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夜の自由帳

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夜に考える、ぐるぐるとした出口のないこととかの、集積所です。
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#自己紹介

眠いのかお腹が空いているのか具合が悪いのか区別がつかない

眠いのかお腹が空いているのか具合が悪いのか区別がつかない

目眩がしているのか実際に自分が揺れているのか地震なのか、主観と客観の区別が、究極的にはできないのと同じように

ついでに書くと私は人の顔の区別も余りつきません

そこに、今は更にメンタルで苦しいのか心臓で苦しいのかの判断まで必要になるので困ってしまいます笑

でも、本当は困っていないかもしれません。「死ぬのを惜しむか」と聞かれればわたしはたぶん「いいえ」と答えるでしょう
死にたいかと聞かれても「い

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死にかけていた頃の、美しい世界と失われた言葉のお話

死にかけていた頃の、美しい世界と失われた言葉のお話

つい先日は医療機関で「あなたは今死にかけています」といわれたのだけれど、5年くらい前、僕はもう少し根本的な意味で死にかけていた。

酷い不眠で睡眠は3日に一度取れるかどうかで、それも1時間とか90分とか、その程度のもので、常に耳鳴りと、頭痛と、目眩がしていた。血圧は200/120位。そんな生活は3年位は続いていたと思う。

有り金を叩いて内科循環器科、耳鼻科に通ったけれど(各科をたらい回しにされた

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雪溶けを悼む春の屍体

雪溶けを悼む春の屍体

前回の「フランシス・ベーコンの自画像と花と皮膚と祈り」の続きにあるけれど、「花」についてのその後の記載を見つけた。

花は悼みで、過ぎ去ってしまう時間への、変わっていってしまう他者への

レンズを通して光学的な存在を確認して、確かに或る時、或る場所に、確かに自分と相対する他者としてのその時間が存在したこと?

と記載されていた。
最後が「?」で終わっているので結論は確定しなかった様子だけれど、当時

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フランシス・ベーコンの自画像と花と皮膚と祈り

フランシス・ベーコンの自画像と花と皮膚と祈り

昔のメモ帳を見つけて開いてみると、自分でみても当時何を残して置きたかったのかわからないものがある。

何ページか、フランシス・ベーコンについて書いてあって、どうも当時ベーコンの絵について思うことがあったみたいだった。

「フランシス・ベーコンの自画像」と囲われた項目の中には

オレンジ色の背景
フレームの中の人
彼らは話すことが出来ない
口を持たないからだ

フランシス・ベーコンの歪んだ肉体,

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夜に窓から

夜に窓から

「かなしみ」というものが(それを悲しみとかこうと哀しみと書こうと愛しみと書こうと、そんなことはどうでも良くて)、夜に窓の隙間から差し込まれる、薄くて透明なものではなくて、昼の温い日差しの中で肌に纏わり付く汗のようなものに、いつか変わってしまうんじゃないかという恐怖があって、それほど恐ろしいことはないと思う。

生きるということはいつだって過敏であるという意味であって欲しい。
耳鳴りに似た高音と、静

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