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死にかけていた頃の、美しい世界と失われた言葉のお話

つい先日は医療機関で「あなたは今死にかけています」といわれたのだけれど、5年くらい前、僕はもう少し根本的な意味で死にかけていた。

酷い不眠で睡眠は3日に一度取れるかどうかで、それも1時間とか90分とか、その程度のもので、常に耳鳴りと、頭痛と、目眩がしていた。血圧は200/120位。そんな生活は3年位は続いていたと思う。

有り金を叩いて内科循環器科、耳鼻科に通ったけれど(各科をたらい回しにされた上に大量の検査をされて、10万だったか20万だったかを支払ったのだ)「原因はよくわかりませんね」と言われ、少なくとも不眠は見てもらえるかと思った精神科ではまともに相手にされなかった(初診をすぐに受けられる精神科がほとんどなく、そういう場所は何某かの問題を抱えている場合があると知るのはずっと後の話だった)。

信じてもらえるかわからないけれど、困窮し、実家に戻った時に住んでいた部屋は夏は夜21時を過ぎても40℃を超え、冬は2-4℃くらいの気温だった(真冬でも、暖房を点けることは禁止されていた)。

それでもしがみつく様に向かい合っていたMacと一眼レフで、大量の写真と、わずかな言葉を残していた。

その頃に書いたメモには

この不眠と寂しさと耳鳴りが、ぼくを支えていると思う。

と書いてある。

健康と幸せの観点からは賛同されないだろうけれど、この感覚は正しかったと、今も思う。

揺らいでいる僕の視界と耳には、その日1日、もしくは1週間を救ってくれる美しい瞬間が与えられていた。

例えば、真っ赤な対向車が跳ね返す美しい光とか、春の風が揺らすレースのカーテンの軌跡とか、そう言ったもの。
死にかけの、過敏な神経にしか映らないもの。そう言ったものが両手に溢れていて、僕はそれを切り取る言葉をたくさん持っていた。

この頃僕の数少ない友達は、「あなたがそんなにも眠れないのは、人の体温を拒絶し過ぎているからだと思う。もしも必要なら、眠るまで、ただ、同じ部屋にいてあげようか?」と言ってくれたけれど、僕は眠れるかどうかわからない自分を見守ってこんな部屋にいたら、それこそ死んでしまうよ、と思って、「大丈夫だよ」と辞退した記憶がある。

(確かにこの頃の僕は、隣にいるのが誰であろうと、人がいるところでは一睡もできずに、ただ、窓の外を眺めて一晩を明かしていた)

その時の生活をもう数年続ければ死ぬしかなかっただろう、という状況ではあったけれど(むしろその時の付けで先日死にかけたとも言えるけれど)、適切な報酬を得て、適切な保証を得て、適切な治療を受けている今、僕はあの凍った様な美しさとそれを切り取る言葉を随分失ってしまったと思う。


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