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「幸せになろう」と結婚すると離婚する

アンドゲート田村です。
株式会社アンドゲートという会社の代表をやっています。

この記事では離婚したときに考え抜いた「結婚する意味」について書きます。
事業の話題からは離れますが「人間関係の在り方」や「物事の在り方」につながりますので、仕事や趣味に応用が可能です。
「離婚したお話」とありますが、具体的な体験談はありません。すみません!

離婚することは悪いことではないですが、離婚したくて結婚する人はいないので「結婚」について悩まれている方に良い影響が与えられれば良いなと思います。

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プロポーズの言葉、覚えてますか?

結婚されている方はプロポーズの言葉を覚えていますでしょうか?
まだ結婚されていない方は、どんなプロポーズをしたい・されたいか想像してみてください。

「結婚してください。」
「愛しています。」
「君のいない人生は考えられない。」
…及第点です。希望・事実・想いを伝えているだけなので問題ありません。

「ずっと一緒にいてください。」
「何があっても傍にいるから。」
「支え合って生きていこう。」
…合格です!おめでとうございます!結婚とは何かをわかっていらっしゃる!

「絶対、幸せにします。」
「一緒に幸せになりましょう。」
「幸せな家庭を築きましょう。」
…はいー!アウトです!失格です!離婚します。気をつけてください。

実際のプロポーズはセレモニーみたいなものなので、堅苦しく考えずにロマンチックに素敵な言葉を贈る方が良いと思います。

ちなみに私は覚えていません。

「幸せになろう」と結婚するとどうなるか

結婚する多くの方は大人なのでお分かりだと思いますが、人生良いこともあれば悪いこともあります。
むしろ、悪いことの方が多いような気もします。

それもそのはず、人の本能は成長し続けるようにできているからです。(マズローの欲求5段階説など)
現状に満足した時点で成長は止まるため、人という生き物は常に何かしらの欲求不満を抱えている状態が維持されます。

言い換えると、意識しない限り「幸せである」という状態はやってこないのです。
また、幸せとは「なる」ものではなく「気付く」ものであり、その判断基準は自分の中にあります。

「しあわせは いつも自分のこころがきめる」(相田みつを)

判断基準が自分の中にあるものを、結婚相手とは言え他人に動向に委ねていては、見つけられるものも見つけられなくなります。

多様性を尊重しすぎて組織が崩壊したお話」でも書きましたが、人は寄り添いすぎると関係性が破綻します。
たった二人でもコミュニティとなるので「共通の価値観やルール」が必要です。

その「共通の価値観やルール」を実現難易度の高い「幸せ」にしてしまうと
「あれ?この人と結婚したけど、幸せになっていないな?」という状態になってしまい、夫婦関係は破滅を迎えます。

結婚とは「不幸にならない為のセーフティネット」である

では「共通の価値観やルール」に何を設定すれば良いのかと言うと「何があってもずっと味方でいること」をお勧めします。

よくドラマで「世界中が敵になっても君を守る。」というセリフがありますが、とても的を得ています。
「世界中が敵になるって…お前、何した?」という感じではありますが、例えば「会社の人間関係で悩んでいる」や「趣味の仲間と喧嘩した」ということはあると思います。

そうした事でコミュニティから外れると、人は本能的に大きな不安を感じます。
しかし、この世の中にたった一人でも味方がいると思うと、それだけでちょっと前向きになれる気がしませんか?

キリスト教は答えを教えてくれていた

私の宗教観は「不可知論」なので「神はいるかも知れないし、いないかも知れない、人類には到底わからない」というスタンスなのでご安心いただきたいのですが(?)
宗教は「不幸にならない為のフレームワーク」だと思っています。

例えば、キリスト教の結婚式では下記の言葉が使われています。

病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
妻(夫)として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?

「幸せにしますか?」とは言っておらず「どんな時でも愛しますか?」と言っています。
これぞ結婚の真髄!やはり宗教の教えは偉大ですね。

「幸せになる」ことではなく「不幸にならない」ことを目指す

ここから応用編です。
人間関係でも組織論でも、製品の品質でも共通して使える考え方ですが
物事の関係性や品質は構成する要素の下限によって決められる」と考えています。
「リービッヒの最小律」「ドベネックの桶」と呼ばれる理論です。

人との付き合い方であれば、いつもは優しいけどお酒を飲むと暴力を振るう人とは距離を置いたほうが良いですし
組織論であれば、トップの能力を伸ばすよりもボトムの底上げを行ったほうが全体最適になりますし
良い機能を持った製品でも重大な不具合があれば、その不具合によって評価が下がってしまう事を指します。

私はそのことを「ペイン(痛み)を取り除く」と呼んでいます。
足から血がダラダラ流れているのに、プロテインを飲んで腕の筋トレをしている人がいたら「まず足のケガを治せよ」とツッコみますよね。

もちろん「大きな目的」を達成するために、いわゆる「我慢」することもありますが
「今の不幸」と「大きな目的」を天秤にかけて「大きな目的」の方が重要と判断していますので、幾分かは納得感があります。
重要なのは不幸を「完全に無くすこと」ではなく「説明できる状態にしておくこと」だと思っています。

何事も「幸せになること」ではなく「不幸にならないこと」を重要視して活動すると、良い人間関係や高い目標の実現ができるというお話しでした。
何かの参考になれば幸いです。

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