勝手に始めるドラフト会議で、選ばれない人を見るのが苦痛だった。

「こいつは別に要らない」



その一言を聞くと、
自分自身に言われては無いけど、
酷く心の中が嵐のように荒れてしまうことがあった。


要らないなんて平気で言えるその子の気持ちは
どういったモノなんなんだろう?



自分が言われたら嫌だとは思わないの?
言われた本人の事を気にしていないの?
そんな考えが頭の中を洗濯機がグルグルと
回る様に僕の脳内を駆け巡る。

今思えば、
その行為は黒く汚れた部分を洗い流して、
自分が抱えているモヤモヤした気持ちを
真っ白くキレイにするためのモノだった。

でも、
そのモヤモヤはどれだけの時間を掛けて考えても
黒く汚れた部分は落ちることなく染み付いている。


あれは小学生の頃だった。

サッカーやドッヂボールなどの2チームに分けて
行う様な遊びの際に、大体クラスの中の権力のある子
2人が自分のチームに欲しい人をじゃんけんをして
奪い合う。

地域によって呼び方は様々だけど、
僕の育った地域ではチーム分けのじゃんけんを
「とりとり」と呼んでいた。



この勝手に始められるドラフト会議の様なモノで、
必要な人間•必要の無い人間に分けられてしまう。
たった2人の権力者によって選ばれる。



そこには、
話し合いという平和的な要素は存在していない。
運動神経がいい人間や体の大きな人間が優先的に
選ばれる残酷なシステム。


「あいつは絶対欲しい」
「〇〇はもらうわ」
と言って選んでいく様は、まるでどこかの国にいる
王様が優秀な奴隷を購入する様に感じた。

そこには一切の配慮とかは無くて、
どれだけ仲が良かったとしてもチームに貢献
出来そうな人しか選ばれない。



クラスでユーモアがあって面白い人間だとしても
簡単にその場では友情が切り捨てられる。


優劣を勝手に付けられて王様に選ばれること。
それはあまりにも辛くて目を背けたくなる
光景だった。

当然、
運動神経が良い人は最初に選ばれる。
そして、
まだ選ばれていない人は売れ残っているような状態。

僕は、
たまたま運動神経が良くて比較的どの遊びでも
最初ら辺に選ばれることが多くてその後の光景を
見ることがほとんどだった。

内心、
無事に選んでもらえた安心した様な気持ちと
選ばれずに残っている人を見ることで感じる複雑な
気持ちの両方を抱えながらいつも見ていた。

その中でも僕が見ていて一番辛かったことがある。

それは最後の1人まで残ってしまう人がいて、
集まったチームの人数が偶数できっちり2つに
割り切れれば良いんだけど、
人数が奇数であれば必ず1人は
最後に余ってしまう。



その光景を見るのが苦痛だった。



そこで売れ残りを突きつけられるのである。
そして売れ残ったという現実を受け入れる
時間も無かった。

なぜなら、
次に行われるのが、僕の地域で呼ばれていた、
「いるか/いらんかじゃんけん」が始まる。



見ての通り、
1人余った人を要るか•要らないのかを
じゃんけんで決めること。



それは、
たとえじゃんけんで勝ったとしても自分のチームには要らないと拒否できることもできるものだった。



大体最後に残る様な子は決まっていて、
いつもその子の姿を見てみると、
顔は笑っているけど目だけは悲壮感に溢れていた。



余ってしまった現実を突きつけらた上に、
すぐ目の前で自分が「要るか・要らないか」を
ジャンケンされた上で勝ったやつが「要らない」と
言ってしまう。


要は、
「チームに入れると戦力が落ちる」と
判断されてしまう。



その子が傷ついてしまうと分かっている上で
要らないと言えるような人が、
僕には信じられなかったし冷酷な人間だとも思った。

かと言って自分がその子の代わりになって
同じような目に会いたいかと聞かれたら首を
縦に振ることは出来ないと思った。

誰かのことよりまず自分。そういう人間だった。
誰かのことを想うことはあっても、
自分という優先順位を越えることはなかった。


でも、
選ばれない痛みを体に焼印を押されるように
しっかりと理解はしている。

そして自分が選ぶ側に回ることはこの先一生
無いと思うし、
これまで22年の短い人生の中でやっぱり
選ぶ側に回ることは無かった。

あったとしても自ら選ぶ側に行きたいとは
到底思えなかった。

選ぶぐらいなら選ばれる方が良い。
それは選ぶ側に回って人を無碍に傷つけることに対しての恐怖心がどこかで顔を覗かしてるからでもある。




社会人になってからでもさっき言ったような
近い経験があった。

それは僕と同じ課に所属している同期の子が、
他の課の先輩社員の方と担当の営業先へ同行した
際のことだった。

その子は愛想も良くて人当たりも抜群に良かった。
その反面自分と言えばそこまで愛想が良い方とは
お世辞でも思えない。

自分から会話を広げることは何とか頑張らないと
会話さえもままならい。

だから、
ある程度どんな質問をしようかとか、
会話の内容の準備をしないといけないような人間。

その子が同行先から会社に戻ってきた時ある言葉を
聞いて背筋がゾッとした。

その先輩社員が、
「この子素直で良いね!うちの課に欲しいぐらいです」と僕が所属している上司の方と話している所が
聞こえてしまった。

ああそうか。
選ばれない気持ちって虚しいんだ。
そこには何も無い。

ただただ空虚で自分なんて本当はそこに
存在していなかったんじゃ無いかと思うほどだった。

こんな気持ちになるぐらいだったら自分はやっぱり
選ばれる人になりたい。

誰かが選ばれずに不幸になったとしても
自分が選ばれるに越したことは無い。

全員が選ばれるような平等な世界でも無いし、
幸せになれる訳でも無い。

だから、
たとえ選ばれなくて不幸な人が生まれてしまっても、
やっぱり僕のことを選んで欲しい。 





それは選ばれない痛みに誰よりも怯えているから。




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