「勉強しなさい」の不思議

 「勉強しなさい」

 小中学生の頃、多くの人は一度は親に言われたことのある言葉だと思います。外で遊んだりゲームばかりしていたら、親もそれは心配になりますしね。

 しかし、私自身、親に「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく今まで生きてきました。それでも地域のトップ校から名の知れた大学への進学でき、勉強であまり苦労はしてきませんでした。

 だからといって、私自身、勉強が好きであるわけでもなく、都市部のいわゆるお受験を受けてきたような人間でもないんです。

 小学校の頃は、外で遊ぶことはほとんどなく、家でずーっとテレビゲームをしていましたし、中学生になっても、学校と部活以外は基本ゲームをしてましたから、家によくきていた弟の友達には、「弟くんのお兄ちゃんはいつもゲームをしている」と周りに噂されたりもしました(笑)

 けれど、テスト前になればしっかり自分の時間を見つけて勉強したりするなど、切り替えが自分でできていたから、学校の授業に遅れをとることなく良い結果を取れていたのだと思います。


 つまり、「勉強しなさい」が必ずしも通用するわけではないということです。


 「勉強しなさい」と言われて気分が良くなる人はいません。同時に、気分が乗らない状況で勉強しても効率がいいとは思えません。つまり、勉強しなさいは悪影響でしかないのです。


 「あなたみたいに切り替えられるならいいけど、ずーっとゲームしてる子供はどうするの?」って思う人がいると思います。


 まずそういった人に言いたいのは、テストで赤点をとっても気にせずにゲームをし続け、先生に呼び出しをくらっても遊びまくる子供は想像つきますか?

 人間なら誰しも、何が危険であるかを知っていますし、自分が危ない状況にあるのであれば、自分で危機感を持って何とかしてその状況から出ようとするものです。

 もちろん、良くない成績を取ってからでは遅いとか、計画性が大事とかいうことも、もっともですが、(先にも述べたことと関連しますが)人に言われてやるのと自発的にやるのでは、その後の結果が大きく変わってくるのです。それは、良くない成績を取ってでも、計画性を一時的に失っていてでも守られるべき姿勢であると言えます。

 子供の自主性を保ってこそ、長期的なスパンで見れば、勉強その他の面での向上が見られるのです。

 他にもこんなことを考える人がいると思います。「あなたは勉強がもともとできていたから、親は何も言わなかっただけで、できない子にはちゃんとやるように教えるべき」という考えです。

 冒頭で、勉学で"あまり"苦労しなかった、と言いました。つまり、わたしにも、苦労した、というより勉強ができるようになりたかった時期があったということです。

 そもそも、勉強ができるようになりたいとは多くの人が思うことではありませんか。自分よりもできる人がいてその人に追いつきたい、勉強のライバルがいてそいつに勝ちたい、勉強ができるようになってなりたい職業につきたい、など理由は様々だと思いますが、結局は誰かのためというより自分の満足のためにやっていくことが多いように感じます。

 つまり、親に言われなくても自分でなんとかしようとする時期がいずれ訪れるということでしょう。


 もし自分が親となり、子供のしつけをするようになったとしたら、ぜひ「勉強しなさい」と声掛けするのではなく、子供の自主性を重んじてあげてほしいと、私個人の考えとして、思うところであります。


 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。これが実践的ではないにしても、何かのためになったら良いなと思います。


 


 

 

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