怒りと愛の狭間に

久方ぶりです。

人波で溢れた東京の渦に盲目的に巻き込まれながら、だらだらとそしてゆるゆると日々を紡いでいます。

最近様々な人間関係の摩擦を目の当たりにして、久々に文字に起こしたいなと思った次第です。

殊に最近思うのは、ある事象が起きた時、怒りの感情を表出できる人は、その人への興味や愛がある場合もあれば、真の理不尽に憤怒していて理性的に見えて感情的になっている場合もあり、怒りという事象1つとってみても人それぞれのベクトルがあるということです。

人が怒っている場合の対応策としては、怒っている人のベクトルを見極めることが重要になってくるのではないかと考えています。

まずは怒っている人が愛情を持って叱責している場合を考えてみます。
愛情は時に優しさになりますが、時に矛先になると思っています。
一般的に愛情に対して人は過剰であれば煙たがり、過小であれば寂しさを覚えます。
愛は不可解であり、寄り添えないのに決して無くすことの出来ない人間の根源に根付いている不思議な感情です。
ただでさえこんな不安定な愛情を不安定な怒りと掛け合わせてしまっているので、人が我を忘れるのも想像に難くありません。

こうした場合は怒られる側は怒っている側が何に対して怒っているのかを見極め、適切な言葉を相手にフィードバックする必要があります。
そこで言葉選択を間違えると怒りの度合いは増幅していくはずなので、タイミングと言葉のチョイスを怒られながら考える努力をする必要があります。

怒っている側は、自分がこの人に対して何を期待しているのか、どんな言葉や対応があれば許せるのかを考えながら怒る必要があります。
しかし感情的になっている場合の方が多いので、冷静になることを言い聞かせ、1度怒るのを中断することも大事かもしれません。
もし冷静になれたら、相手への期待のハードルを下げるチャンスだと思います。

どちらかがこの考えを持てれば和解への一歩が踏み出せると思うのですが、怒られる側にもプライドがあり、怒る側も許せない点がどうしてもあるので、一筋縄ではいきません。
上に書いたことを認識しながら、無意識的に妥協点、着地点を見出すことが解決の糸口になるのではないかなと考えています。

真の理不尽に憤怒している場合を考えます。
この場合は何を話しても怒っている側は冷静ではないので、時間をあけることが第1選択なような気がします。

ここで言葉は無意味です。無駄に謝ったり、早急な解決を見出そうとすると、火に油を注ぐだけです。

時間はかなり有効な薬で、良くも悪くも人の感情を整理できるチャンスを与えます。
お互いゆっくりと整理し、日を改めて話すのがいいと考えます。


人の感情は難しいもので、巷に愛や憎の歌が溢れているように、真の答えはありません。

最近は好きな人の1つの行動で興醒めしてしまう「蛙化現象」という言葉もあるように、人間の感情の移り変わりは天気よりも激しいです。

でも感情は誰しもが携えて生まれてくるものであり、環境要因や人生観などで七変化するものです。

今までの摩擦の経験は1つ1つの症例だと思うので、1個1個どうすべきだったか考察する行動は、人間性を豊かにする第一歩になるのではないかと考えます。

みんながみんな同じベクトルの感情であったらそれはそれで生きるのは楽だと思いますが、そこに個性が生まれるから人間は面白いと思います。

「みんなちがってみんないい」と言ったのは相田みつをですが、本当にその通りだと思います。


いろいろと考えながらまた明日から東京の渦の塒に巻き込まれて生きていく所存です。

愛情も怒りもコントロール出来る人間に

なれたらいいな。

ちいを

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