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珈琲の味

久々に漱石の『三四郎』を読んだ。
短編を除けば漱石の中でも一番好きな小説かもしれない。
それで思い出した話。

数年前に、東京の名喫茶”やなか珈琲”で名作文学の読後感をオリジナルブレンドで再現する、という企画の商品があった。

たしか、「名作のレビュー、感想をAIに分析させ、それを味に変換したブレンド珈琲を作る」という謳い文句の商品だった。
どういう理屈かわからないが、とにかく何種類か豆を買って挽いて飲んでみると、「なるほど、この小説はこの味だろうな」と実感できるような味わいだった。

一人で数種類、ずっと飲んでいると、これは他の人にも感想を聞きたい、文学レビューが生み出した珈琲の味のレビューをさらに聞きたいという欲が首をもたげ、当時親しかった女性に二種類、その文学の題を伏せて、珈琲を淹れて当ててもらう、という衒った遊びをした。

一つは『こころ』、もう一つは『三四郎』で、自分としてはめちゃくちゃ判りやすい二種類を選んだつもりである。
『こころ』は深煎りで苦く、『三四郎』は浅煎りで甘酸っぱい。それは内容の通りの味である、と思っていた。
が、彼女は一口飲んで、
「この苦い方が『三四郎』」
と即答した。

「え?」
味が苦いと判るならこっちは『こころ』ではないか。
そう言うと彼女は(なんで?)と怪訝な顔をする。

『こころ』は親友が自殺する話で、『三四郎』は失恋の話だから、”友の自殺”と”失恋”どちらが苦いと思いますかと尋ねると、彼女は僕の言葉に少し納得しつつも自分の気持ちとしては腑に落ちないというような声で小さく、
「失恋の方が苦いと思う」
と呟いた。

(この女は何を言ってるんだ)と衝撃を受けたが、しかし恋愛にここまで本気になれることへの憧れも生まれた。
それから数年経ったが、今の自分も『三四郎』の方が苦いとは思えない。やはり恋愛は難しい。



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