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メタバース関連の仮想空間における名前とアバター設定の考え方

はじめに

この記事は、インターネットにおける自由なコミュニケーションについて考える記事です。

私は普段、批判的な記事を書いたりツイートすることはほぼ全くありません。(批判はあまり生産的ではないので)

ですが、この記事はちょっと批判的なので見たくない方は読み飛ばしてあげてください(笑)

実名での活動は義務か?

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インターネット上でも実店舗でも、実名を出して発信したり労働したりする必要があるのか?という議論がたまに見られます。私は、実名を出すことを義務化する必要はないと考えています。

私普段から人の意見を真っ向から100%否定する事はまずありません(物事を進めるため、状況に応じた選択はしますが)。

なぜなら良い悪いは状況によって異なったり、確定させる判断材料が足りない事がほとんどだからです。

ですが、実名に関しては真っ向から反対です。理由は、実名という個人情報が個人を特定する情報とは程遠い、曖昧かつ不公平な情報だからです。

実名で個人を特定出来るかはその人の名前自体に大きく影響します。実名のユニーク度合いが人によって天と地の差があることで、社会活動において背負う個人のリスクも天と地の差になります。

例えば「鈴木一郎」という名前だけ知っている人ををインターネットで見つけるのはほぼ無理ですよね?良くいらっしゃる名前ですし、そもそも野球選手のイチローさんの情報がたくさん出てきます。
鈴木一郎さんを責めてるわけではないです(^^;

ですが、世界に1人しかいない名前ならば、数文字のフルネームによってインターネット上のその人物に関する情報が簡単に紐づきます。


社会活動における役割を演じるということ

人は役割を演じる事(ロールプレイ)によって社会活動に参加します。趣味でも仕事でも同様です。その役割に必要な責任は免許証等の個人証明を要望したり雇用契約で決めれば良く、インターネットの世界において実名を出す事で責任を強要するのは違うかなと思っています。理由はこれまで述べた通り、実名が個人が確実に特定可能ではない中途半端な情報だからです。

インターネット上で実名活動を強制するなら、個人が特定可能な情報(個人番号など)を登録させて管理する方がフェアで合理的です。


実名を出すかどうかは個人の自由だと思う

ここまでを踏まえて、実名をインターネット上に出すのは個人の自由(どのくらい責任を負うかは自分で決める)だと私は考えているのですが、ずっと腑に落ちないプラットフォームがあります。

そう、Facebookの実名登録推奨システムです。銀行のように登録時に免許証等を求めて1人1アカウントにするのならわかるのですが、そこは管理せずに実名活動を強いる理由がどうしてもわかりません。実名でも同姓同名が多い方は知り合いでも見つけられませんし、全く知らない人でも珍しい名前なら簡単に見つけられます。

これほどフェアではなく、個人を特定する力も弱く、実名登録したかどうかを確認する術すら無い情報を強要するのは、やはり納得が行きません。せめて登録は実名で他の人からはニックネームで見える、であればまだわかりますが。

個人的にはSNSにおけるFacebookの停滞・衰退はこの実名登録が関係しているとも考えています。せっかく自由な繋がり方ができるインターネットで実名縛りをすると、リアルと同じ窮屈さを感じてしまうんですよね。

リアルと同じ信頼を得るためのSNSならビジネス用途で使うLinkedInの方が目的がハッキリしていて納得感があります。私も、LinkedInは迷わず実名で登録しています。Facebookはその点制度設計が中途半端です。趣味の交流なら実名を出すかどうかはその人が決めれば良いことだと思います。Facebookは実名を強要したが故に、上司や尊敬する人がFacebookをやっていてビジネス用途にせざるを得なくなった人も多いのではないでしょうか。

また、Facebookは実名推奨を振りかざして本人っぽくないアカウントをすぐに凍結するのも結果的に満足度を大きく下げていそうです。実名を入れても凍結された方は数多くいるようです。私も突然凍結されて解除手続きをしたことがあります。しかも本名でなく名前っぽい文字列であれば登録できてしまうので、実名ではないスパムアカウントが大量に存在します。この辺は他のSNSよりも酷いくらいです。

じゃあFacebookを使わなければ良い、と言ってしまえばそれまでなんですが、世界ではまだ多くの人が使っているSNSだけに、私の知り合いにはFacebookを介さないと連絡が取れないメンバーもいます。そのため、当面はFacebookというプラットフォームとうまく付き合っていく必要があります。


メタバースではどうなる?

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この話はメタバースにも通じていることで、せっかくコミュニケーションの可能性が大幅に拡張されたメタバースで、実名やリアルに近い顔をわざわざ設定させるようなことだけはFacebookから社名変更したMetaでやって欲しくないものです。

相手の実名とプロフィールが常にわかる状態になってしまうと、相手のポジションを想定して会話をしてしまいます。お互いの職業や立場が前提に入った、固定観念に縛られたコミュニケーションしかすることができず、メタバースの可能性を半分以上潰すことになると思います。

新しいSNSのカタチ、新しい経済圏としてのメタバースには期待しているのですが、そこだけが心配。

例えば火星人のアバターとアンパンマンのアバターが人間と環境について真剣に話し合っても良いですよね。アバターというのはその人の表現したい概念を自由にカタチにしたものであって、コミュニケーションの概念を拡張する自由度がメタバースの良い所だと思っています。

メタバースが何だかわからない人は、ここはスルーしてもらってOKです。
近々、通信技術者から見たメタバースの本質について記事を書く予定です。

おわりに

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普段から腑に落ちないインターネット上での実名登録強制について少し考えてみました。

考えた結果、やはり腑に落ちないままでした(^^;

インターネット、そしてこれから新しいコミュニケーションとして拡張されていくメタバース等の仮想世界においても、実名を強制することはデメリットが大きいと思います。コミュニケーションの可能性を潰すことになります。

まとまりの無い文章を読んで頂いてありがとうございましたm(_ _)m
おわり。

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