家族について

わえは3人兄弟の3男で、わえの生まれた家はわえが生まれてから出ていくまでじいちゃん、ばあちゃんと一緒に住んでる7人家族だった。というのもわえのお父様が、じいちゃんの長男だったからだ。
かかさまは、3人兄弟の長女で、弟が二人といううちだったので、かかさまの家は長男であるかかさまの弟が家を継ぎ、かかさまのおじいさまおばあさまと一緒にくらしておりました。

エマニュエル・トッドによると、日本は親子関係が権威的かつ兄弟間が不平等な家族タイプである直系家族に分類される。結婚しても親子が一緒に住み続ける。但し、それは基本的に長兄(嫡男)であり、他の子供は家から出る。

あたりまえだと思ってたんだが、こういうのって世界のいろんな国で実に様々なんだね。

日本とは対極に位置するのが、平等主義的核家族のフランス・イタリアやラテンアメリカなど。親子関係が自由かつ、兄弟間は平等。

その他、アメリカやイギリスなどの絶対核家族(親子関係が自由かつ兄弟間は不平等)、ロシア・中国などの外婚制共同体家族(親子関係が権威的かつ兄弟間が平等)といった国がある。他にも3タイプぐらいあるらしい。

よく考えれば、家族のあり方というのは、ほんとうに国のあり方の根幹だよな。

でも一方で、うちもそうやけど、今は長男だからといって実家を継ぐみたいなんはない。うちは、3人とも実家からは車で2時間以上かかる別々のところに暮らしている。

つまり、わえたちの親までは直系家族だったのが、わえたちの代で絶対核家族になりつつある。子供や孫が生まれたときに男の子のほうが喜ばれるみたいな風潮もなくなったし、田舎の百姓程度では跡取りって概念もなくなったし、子供に男の子がいなくても昔の武家みたいな御家断絶みたいなそんな考えはあんまりなくなった。

一方で老老介護みたいな問題が出てくるのは、高齢化社会ってだけじゃなくて、この直系家族から絶対核家族への変化があるように思う。

天皇家は世界で唯一百何十代も続いている家みたいなんも、そもそも他の直系家族ではない国には、家が続くという概念自体が理解できないんじゃないだろうか?

話はまとまらないが、別に国家とか社会のことを考えたいわけじゃない。

そもそも、ぼんやりと自分の両親が二人だけで、まだ老いた親の面倒を見ているというのに、言いようのない罪悪感を感じる、というのが、エマニュエル・トッドの家族の分類が何故か頭に強く残った理由なんだ。

いや〜、まとまんね〜な

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