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「高校3年間で福島のことが好きになったんです」 東北出身大学生のこれまでとこれからの選択

福島県伊達市出身の大学生、石田あやめさん。友人を介して、オンラインで初めてお会いしたのが昨年10月でした。「中高生と一緒につくる体験学習プロジェクト SEARCHLIGHT PROJECT」の一環で大学生トークセッションの準備を進めていた時期で、あやめさんにはスピーカーとしての協力をお願いする打合せでした。この時、あやめさんから「高校3年間で福島のことが好きになったんです」という言葉を聞いて、素直に素敵だなぁと思ったんです。そして、初対面の僕に自信を持って伝えてくれたあやめさんは、どんな高校生活を送ったのか、ぜひお聞きしてみたくなりました。雑談も交えながら、かれこれ5時間程インタビューさせてもらったと思います(ありがとうございます😊)。お聞きしたお話を僕1人に留めておくのはもったいないので、noteで発信させていただきます。

\石田あやめさん プロフィール/
現在、都留文科大学 教養学部 3年。福島県立福島高等学校卒業。在学中、科学部の放射線班で研究活動を行いながら、学外での活動にも参加。高校生や大学生のための社会塾「あすびと塾」や「高校生が伝える ふくしま食べる通信(以下、「食べる通信」)」の発行を行う団体「あすびと福島」の活動を通して、福島と向き合う。大学では、環境社会学ゼミに所属。

石田あやめさん(福島県出身、都留文科大学3年)

福島の方々の暮らしや人生に触れる

ー 高校時代のお話をいろいろ聞かせてくれて、ありがとうございます。「地元福島のことを好きになった」と言い切れるのは素敵だし、すごいなぁと思ったんですね。高校に入って、いつ頃思えたんですか。

あやめさん:今振り返ってみると、高校生活を送りながら少しずつ思うようになったのかなと思います。高校入学後「高校生食べる通信」という活動に参加していて、高校2年の秋、喜多方市の山都(やまと)地区にあるお蕎麦屋さんを取材で訪れたことがあったんです。

ー 「食べる通信」?

あやめさん:はい。福島県内の高校生が農家さんや漁師さんを取材して、年4回、取材記事と一緒に旬の食べ物をお送りするサービスがあるんです。母親が購入していたので、私も知っていました。高校生になったら自分も取材したいと思って、高1の5月に事務局の方にメールをお送りしたんです。

ー 高校入学直後の時期に、自らメールを送ったんですか。

あやめさん:はい。後から聞いたら、メールで応募してきたのは、私が初めてだったらしいです(笑)。

ー 事務局の方もきっと忘れられないでしょうね。

あやめさん:そうかも知れません(笑)。そして、高1から数えて6回目の取材が、山都のお蕎麦屋さんだったんです。この時、取材させていただいた方が、ほんとうに楽しそうにお話しされていて、楽しそうにお仕事されていらっしゃったんです。お話を伺ったり、周りの風景を見ているうちに「私、ここに住みたい」って、ふとそう思えたんです。

ー お蕎麦屋さんが、とっても素敵な表情をされていらっしゃったんでしょうね。「ここに住みたい」と思うのは、相当心が動かされないと思えない感覚ですよね。

あやめさん:そうですよね。私、中学までは、福島に住み続けたいとは全然思えなくて。。。この取材で「福島に住みたい」と思えたことは、自分でも驚きでした。何でも周りにある都会よりも、山都の方がすごく魅力的に映ったんですよね。便利に囲まれるよりも、素朴な生活をしたかったんだと思って、「あ、私、福島のことが好きなんじゃん」という想いが湧き起こってきたんです。

ー おお、とても印象的な出来事ですね。

あやめさん:はい。食べる通信で取材させていただく方は、家と学校の往復だけでは、なかなか会えない方々なんです。時には、異端だなぁと感じる方もいらっしゃいます(笑)。取材を通して、そうした方々の暮らしぶりや、人生をお聞きするんですが、自分もこういう人生を送りたいと思える方がいらっしゃって。あと、こういう方々もいろいろ悩むことがあるんだと知れたのは、自分にとって大きな発見でした。

ー とても素敵な出会いですね。自分で質問を準備して伺って、いろんな方とお話しできたのが様々な発見に結びついたんでしょうね。

高校3年間は、地元と向き合うと決めたんです

沿岸エリアの漁港で働く方へ取材

ー 高校生の時、学外で積極的に活動されたのは、何か理由があるんですか。

あやめさん:はい。私が小学4年の時、東日本大震災が起きたんです。震災後、テレビや新聞などのメディアで「福島は人が住めるのか」といったような、福島が叩かれるような報道が続きました。こうして、福島について悪いことを言われると、自分も否定されているような、なんだかその標的になっていると感じていました。

ー そういった感覚で過ごしていたんですね。

あやめさん:そうです。今だからこそ、こうして言語化できる部分も多いんですが、福島が日本から取り残されている感覚があって、それは、自分も社会から取り残されている感じだったんです。胸を張って、自分が福島出身だと言えることができないと思いました。

ー そこまで、、、特に印象に残っている報道はありますか。

あやめさん:避難先いじめの報道は、とても衝撃的でした。被害に遭っていたのは、顔も名前も知らない方々でしたが、裏返せば自分にも刃が向かうのではないかという怖さがありました。

ー 避難先での様々な衝突や差別と言われるようなことが、当時はいろいろ報道されていました。

あやめさん:震災が起きてから、中学を卒業するまでの約5年間、私自身ずっと福島から逃げているという感覚がありました。ずっとそんな形で生活を送っていて、なあなあになっている自分がダサいなと。福島高校に入るのも、食べる通信に参加することも、高校3年間は腹を括って地元に向き合ってみようと、自分と約束したんです。

ー 覚悟を感じる表現がいくつも出てきました。

あやめさん:大学で福島を離れる可能性もあると思っていて、この3年間は、福島とちゃんと向き合おうと決めたんです。そうすることで、何かが見えてくるかも知れないと思ったし、自分の気持ちにもあとぐされなく、逃げている感覚も断ち切れるんじゃあないかと思ったんですね。

ー 強い気持ちを持ってスタートした高校生活なんですね。

あこがれの科学部に入りたかった

ー 高校はどのように選択して決めたんですか。

あやめさん:福島高校を選んだのは、進学校に入ることでいい大学に行けるんじゃないかという思惑もありました。高校卒業後は、地元の福島を離れて大学に入って、そこで社会人としてのキャリアもスタートするのかなと、ぼんやりと考えている程度でした。ただ、具体的に描いていた将来像がある訳ではありませんでした。

ー なるほど。

あやめさん:父親が福島高校出身だったので、負けたくない気持ちもあったのは確かです(笑)

ー ありますよね、そういう気持ちって。めっちゃわかります。

あやめさん:あとは、科学部の影響が強いです。私が中学生の時期から、福島高校の科学部の活動がよく知られていたのが、記憶に残っていたんですね。私自身が、理科が好きだったということもあり、科学部に惹かれていました。

ー 福島高校は、スーパーサイエンススクール(SSH)にも選定されていますもんね。

あやめさん:そうなんです。実験も本格的で、科学部の部員数も100名を超えていました。

ー えええ、そんなに部員がいるんですか。

あやめさん:部活では最大派閥(笑)

ー 僕の高校では、運動系の部活に入る生徒が多かったので、科学部が最大派閥の高校と聞くとちょっと驚いてしまいます。

あやめさん:ちなみに、正式な部名は「スーパーサイエンス部」というんですけど。他校だと「科学部」という名前が多いので、表彰式などで呼ばれるのが恥ずかしかったです(笑) 内部では、みんな略してSSと呼んでいます。

ー 名前もすごい。。。

あやめさん:科学部では、研究班がいくつかあって、私は放射線班に所属していました。最初の半年はひたすらインプットの勉強をして、1年生にとっては、10月の県大会が初めての発表の場でした。

ー 確かに一定の知識がないと実験や調査にもついていけなさそうです。ちなみに、一風変わった、名物先生がいらっしゃたりしたんですか。

あやめさん:いました!生物の先生なんですが、「常識を疑え、当たり前を疑え」と授業でおっしゃっていましたね。

ー なんだか、大学の授業みたいですね。

あやめさん:今思うとそうかも知れません。「当たり前と思ったことを疑え。それは、実は当たり前でなかったりする」、「いろんなところに行って、いろんなものを見て、常識を疑え」と伝えていただいたことは、何か自分の行動にも影響しているのかも知れません。

ー 面白いなぁ。聞けば聞くほど、大学教授の言葉みたいです。

福島第1原発を視察

福島第1原発を視察した際の新聞記事

ー 科学部の活動で、忘れられないものはありますか。

あやめさん:高1の秋、福島第1原発を視察したのは、とても貴重な体験でした。それまでは、18歳未満の視察は断れていたんです。高校から継続的に打診されていて、科学部での放射線班の活動も認められ、視察が実現したんです。

ー それは、すごい。当時、どういった思いで原発を視察しようと考えたんですか。

あやめさん:「東日本大震災で、何が本当に起こっていたのか知りたい」という思いが、一番大きかったです。高校3年間は福島にとことん向き合う、と決めていたので、原発を見ることはその核心に触れることだと思いました。小学生だった当時、私にとって放射線というものはあまりに難しく、周りの大人も知らないし、何より福島、東北全体が復旧復興でバタバタしていたので、子どもにまで情報が回ってきませんでした。だからこそ、何が起こったのか知りたかったんです。メディアとか他の人の目を通さずに、自分の目で直接見たいと強く思っていました。

ー 「自分の目で」ということをとても大事にして、行動されたんですね。

あやめさん:はい。せっかくの視察の機会なので、自主的な勉強会も重ねました。視察前夜も遅くまで、原発について自分なりに調べてみました。親がもういいんじゃないと言っていたのを覚えています。

ー 高校入学時の覚悟と、放射線班での活動もあって、あやめさんのいろんな想いが錯綜して臨んだ視察なんでしょうね。実際に視察してみて、どんな気持ちが湧き起こってきましたか。

あやめさん:原発を視察してみると、科学部で調査研究してきたことと、実際に起きたことが繋がっていく面白さや納得感と共に、あの時とんでもないことが起こったのだと、改めて感じました。廃炉に要する時間は、私が生きているうちに終わるのかどうか、と言った所です。その途方もない時間を、私は生きていくのだと思い、廃炉のことはもちろん、福島のことを多くの人に伝えたいと思いました。この見学を、見て終わっただけに終わらせたくない、ここから繋げたいと強く思ったんです。私が関心を寄せている「伝える」、「伝えたい」というキーワードの原点となる体験だったのかも知れません。

ー あやめさんが五感でいろいろ感じたことが、がつんと伝わってきました。「伝える」ということでは、科学部では、様々な場で研究成果を発表する機会もあったんですよね。

あやめさん:たくさんありました。その都度、研究発表に向けて顧問の先生から厳しいフィードバックをいただけたことで、論理的な思考やプレゼンのスキルもだいぶ身についたかも知れません。

ー そういった実感があるんですね。こうしたスキルは、大学はもちろん、社会人になっても職種を問わず必要なスキルだと思うので、高校生の時にこうした経験ができるのは素晴らしいですね。

あやめさん:当時は必死に食らいついていただけなんですけどね。今思うと、とてもありがたいです。

ケンブリッジ大教授の一言が背中を押してくれた

高校2年、ケンブリッジ大学で放射線研究について発表

ー 海外で発表する機会もあったのだとか。

あやめさん:何回か海外を訪れたのですが、印象に残っているのは英ケンブリッジ大学で開催されたサイエンス・ワークショップです。ケンブリッジ大教授の指導を受けながら、現地の高校生と一緒に、生物や化学などさまざまな分野に関する実験や討論をし、議論を深めるプログラムがあったんです。

ー 英国で、現地の高校生や教授と英語で話したりするんですよね。

あやめさん:もちろんそうです。めちゃくちゃ話すスピードが早い教授がいて、お話しされている内容の半分くらいしか分からなかったです。。。ある日、この教授から突然言われたんです。「あなたは、福島で放射線について研究しているらしいね。よければ、明日の朝イチの授業で、その研究について英語でプレゼンしてくれないかな?」

ー 突然すごいオーダーですね。

あやめさん:無茶振りが来たなと思いました(笑)。答えは、もちろんYESなんですけど。

ー 学校外でもいろんな方に取材したり、科学部での発表に慣れていたのが活かされた訳ですね。

あやめさん:そうかも知れません。研究発表という場でありながら、震災後の「今の福島」を伝える機会でもあると思ったので、食べる通信での取材の経験も活きましたね。

ー 確かに、自分で取材していると、自分の言葉で伝えることができますもんね。

あやめさん:ゼロから発表準備したのでとても大変だったですが、発表後に教授から「ありがとう。あなたなら、きっといろんなことができるよ」とお声掛けいただけたんです。こうして背中を押してもらえたことが、とても嬉しかった。伝えることの大切さを、改めて認識しました。

ー これはめっちゃ嬉しかったでしょうね。いやー、すごい経験をされていますね。

ウルトラマンに出会ってしまった

ー 学外での活動について、もう少しお話を聞かせてください。食べる通信を発行しているのは「あすびと福島」という団体なんですね。

あやめさん:そうです。私が「食べる通信」に参加したくて問い合わせたところ、事務局の方から「あすびと福島」が運営している「あすびと塾」という高校生や大学生のための社会塾をご紹介いただいて。そこで、中学からの友人を連れて行って、覗いてみることにしたんです。

ー 巻き込み力がすばらしいです。高校生がどんな活動をしているんですか。

あやめさん:活動内容は様々なんですけど。毎月、週末に2回程度集まる機会があって、社会人のお話を聞く機会もあれば、高校生同士がお互いの活動をインタビューしたり、悩んでいることへのアイデア出しなんかもやりましたね。

ー お互いの活動を知れると、刺激も受けそうですね。

あやめさん:おっしゃる通りです。あと、高校生同士で福島の未来を語る会もありました。こうした対話を1回あたり5- 6時間やるんですよ。

ー 5− 6時間も!

あやめさん:そうなんです(笑)時間もそうなんですが、初めて参加した時、1つ2つ年上の先輩の対話スキルがとても高くて、度肝を抜かれました。

ー そこまで!どんな風にすごかったんですか。

あやめさん:先輩が、自分の意見を論理立てて、自分の言葉で伝えている光景を前にして、まさにウルトマランに見えました。自分がついていけるか心配で仕方なかったです。。。そして、先輩方が、自分も含めて他メンバーの意見を否定しようとせずに、しっかり聞いてくれるんです。その姿勢がとても素敵でした。

ー トレーニングする機会がないと、こうしたスキルは身に付かない気がします。ほんとにウルトマラマンに見えたんでしょうね。

あやめさん:これは、とんでもないところに来てしまったと(笑)でも、身近に目標とする先輩がいらしゃって、よかったです。団体の代表の方は、誰よりも元気で、誰よりも先頭に立って行動されていて慕われているんです。とても尊敬していますが、私の周りが大人だけではなく、年齢が1つ2つ上の高校生の先輩がいてくれたことは、目指すものが身近に明確な姿としてあったのでよかったのかも知れません。

ー あすびと塾での活動は、大学生活で活かされたりしたんですか。

あやめさん:高校まではインプット型の勉強だと思うんですが、大学に入ると自分の考えが求められる場合が多いですよね。大学1年の時、私の周りにはそのギャップに苦しむ学生がいた印象があるんですが、私はスッと入っていくことができました。大学生になって、あすびと塾の凄さを実感しています。

ー なるほど。自分の意見をまとめて伝える力が相当ついたんでしょうね。

自分にとって福島って何だろう

ー 冒頭で、福島が好きになったエピソードを聞かせてもらいました。それまで、何か気持ちの変容はあったりしたんですか。

あやめさん:高1の春休み、福島を1周してみたいと思い立ち、青春18切符で1人旅をしたんです。1年間いろいろ活動してみて、自分にとって福島って何だろうという答えを見つけたくなったんです。

ー まさに、自分でいろいろ行動したからこそ、次の景色を見たくなったということですね。

あやめさん:そうです。自分から福島のことを知りたいと思えたのは、大きな変化でしたね。会津、いわき、白河といろんな地域を訪れて思ったのは、福島を見る観察力が身についてきたかも知れないということでした。1年前は、電車から見る風景が田んぼと果樹園しかないなぁ、という感じでした。

ー 僕も山形県の田舎出身なので、その感覚はよくわかります。

あやめさん:福島の有名なものを聞かれると、単純に「桃!」ってなっていました(笑)。それが、地域ごとの街のつくりだったり、ちょっとした小さな気づきにアンテナが張るようになっていたんです。

ー それは、面白い気づきです。いろいろな方との「対話」と「振り返り」の繰り返しが、「福島のことが好きになったんです」の言葉につながっているんですね。

どこに自分の興味関心が転がっているかなんて分からない

ー 学内外でいろんなチャレンジをされた高校3年間。その後の進学先はどのように考えたんですか。

あやめさん:まず、理系分野には進みたくないと思い始めたんです。サイエンスの分野で、ある事象と向き合うよりも、人や社会と向き合い探究できる学問がいいなぁと考えました。

ー そうなんですか。科学部で活動されていて、理系学部を狙うことに繋がるのかなと思いました。

あやめさん:科学部で活動するうちに、科学の世界で福島を捉えることに限界があると思ったんです。もちろん、放射線量のデータを調査して明らかにできることもあるんですが、例えば「被ばく線量」という言葉が福島に入ってきて、福島に住む方々の生活がどう変化したのかなどは、科学的なアプローチだけでは分からないこともたくさんあるなと。

ー それは、科学部で数値やデータを追いかける一方で、福島の方々と直接お話しされたあやめさんならではの観点ですね。

あやめさん:確かにそうかも知れません。そして、具体的な学部を考えたとき、専門を限定されることなく、地域社会や教養などを幅広く学べるところがいいなぁと思ったんです。

ー 「幅広く」というのは、どういうことを考えたんですか。

あやめさん:私自身が、高校3年間で福島に対する考えが180度変わったことが、大きく影響しています。たった数年で考えが変わるんだと思うと、どこに自分の興味関心があるかなんて分からないと思ったんですよ。

ー おお、それはご自身の実体験を踏まえた考えなので、とても伝わってきました。

あやめさん:いろんなものを見ながら、世界を広げていきたいと思いました。

もう1つのふるさとができた

岡山県西粟倉村で木材を利用したアクセサリーグッズ販売にチャレンジ

ー 大学でも、きっと学外の活動に参加されたんでしょうね。

あやめさん:はい(笑)あすびと塾が、東京で大学生向けに活動を展開しているので、そちらに参加していますね。

ー 大学生になっても福島とのつながりが続いているんですね。

あやめさん:そうです!その他には、南相馬にある団体のプログラム経由で、さとのば大学のカリキュラムを受講しました。さとのば大学は「地域を巡る大学」というコンセプトのもと、地域に滞在して、地域の人とプロジェクトを一緒にやってみることを大切にしているんです。日本各地に10ヶ所の滞在候補地があるのですが、私は岡山県西粟倉村を選んで1ヶ月半滞在したんです。

ー あやめさんを紹介してくれた方が、西粟倉村に滞在していた、さとのば大学の学生でしたね。西粟倉村といえば、移住者が多く、地方創生の観点で注目を集めていますよね。

あやめさん:そうですね、ローカルベンチャーも多いんですよ。滞在期間は短かったんですが、木材を利用したアクセサリーの商品開発にチャレンジしたり、素敵な方との出会いも多く、もう1つのふるさとができた感じです。

ー 「もう1つのふるさと」という表現がいいですね。会いたい人がいる街があるって、素敵ですもんね。

言葉で伝える仕事を福島で

ー これから就職活動をする時期に入ってくると思います。大学卒業後のキャリアはどう考えているんですか。

あやめさん:言葉を通して、人に伝える仕事がしたいと思っています。将来を考えるにあたり、自分が何に関心があるのか、何に向いているのか、友人に聞いてみたり、自分でも改めて調べてみたんです。そうすると「人の架け橋」、「仲介役」といったキーワードに、自分でもピンときたのと、知り合いも「あやめっぽい」と言ってくれました。

ー 今まで、いろいろお話をお聞きしてきて、「言葉」、「伝える」というキーワードは、確かにあやめさんに合っていると僕も思いました。

あやめさん:振り返ると、やっぱり「食べる通信」の取材が楽しかったんですよね。

ー おー、ここが原点なんですね。とすると、福島に戻ることを考えているんですか。

あやめさん:そうです!地元のメディア関連の仕事に就きたいです。

ー 陰ながら応援しています。前職で採用担当をしていたので、何か力になれることがあれば言ってください。今回は、いろいろお話を聞かせてくれてありがとうございました。

あやめさん:こちらこそありがとうございました。


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