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震災から今までを振り返る(ちょっと休憩)

9回目の3月11日を迎えた。

仕事以外の時間でコロナウィルスのニュースと、震災関連のニュースを追っていたら、ちょっと疲れてしまった。

復興のまちづくりについて「# 2」まで書いたつづきを、11日に更新しようと思ったのだけど、自分の応援した地域以外の震災の全体像を、あれこれ思い出していたら、すっかり時が過ぎてしまった。


震災の全体像。
それは、「なるべくの」範囲であったり、時間であったり。
もちろん、膨大な被害・被災の中で、その一つ一つに“状況”と“物語”があったわけで。
個人それぞれの捉えられる全体像など、ちっぽけでどこまでも主観だ。
(だからこそ、研究や聞き書き、語り部などの活動が大切なんだとも言える。)
そういう前提のもとに。

あらためて考えると、そうした畏敬がある。

というわけで、復興まちづくりのシリーズをちょっと休憩して、手持ちの写真何枚かで「私の見た東日本大震災」を振り返りたい。

2011年5月に、陸前高田、宮古、大槌、釜石、大船渡、気仙沼、南三陸などに訪れた時に撮影した中から何枚か。

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震災発生から約2ヶ月後。
この時は、とにかく圧倒されてしまったのだと思う。
ただただ、被災状況やら津波の威力を感じるものを夢中で写していただけだった。

特に、入り組んだリアス地形の津波被害では、少しの高低差や距離の差で被害が大きく分かれていることがありありと見て取れた。

最後の写真の「解体お願いします」という大きく書かれたスプレー字に、言い知れぬ悲しさとやるせなさがある。

この時の風景は、脳裏と心に焼き付けておきたいとあらためて思った。
同時に、例えば気仙沼の街なかなどのこの後の復興状況などを考えると、人と街の再生の力も感じずにはいれない。

機を見て、また別の機会の写真を。



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