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メモリアル施設を訪れること

3月になった。
東日本大震災から10年の節目が近づいてくる。

ここのところ、noteを毎日更新していて、震災や災害とその復興などについて様々な角度で書いている。

毎回のように、「忘れないこと」だと結論めいたことを書いている。
これは、防災についてだ。

忘れないこととは、思い出してみることだ。
常に忘れずに、というのは不自然だろう。
だとすると、時々思い出してみること、なのだと思う。

震災後、各地にメモリアル施設ができた。
新設されたものもあれば、被災した建築などを残し、メモリアル・アーカイブの意味合いを持たせた施設にしているものもある。
そうした場所を訪れるのは、思い出してみるための最良の方法の一つだろう。

特に、被災した建築や現場を見ること、その場に立つことをおすすめしたい。
こうした施設は「震災遺構」という位置づけでもある。

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これは、震災時に気仙沼向陽高校だった建物が「震災遺構」としてメモリアル施設となっている。

ここは、一般的には維持するのが難しいと思われる被災状況が(ほぼ)そのまま残されているのが貴重だ。
広い校舎が残され、屋上までまわることができるし、映像で被災状況も知ることができる。
その他、施設の内容は、上記リンクを参照願いたい。

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10年というのは、あくまでも節目である。
仙台や三陸の沿岸部などを訪れる機会があった際には、そんな節目やタイミングによらず、是非ともこうした施設に立ち寄ってみていただきたい。

…と、ここまで書いておいて、「忘れないこと」や「思い出すこと」は私の立場での主観が強いものと思い直した。
被災地の発信には「伝えていくこと」と書かれているケースが多い。
様々な層に「伝える」こと、が「忘れないこと」や「思い出すこと」と包含しつつ、未来へ向けた最適な言葉なのだろうと思う。

時に恐ろしく痛々しい津波の傷跡を目にすることになるが、様々な事象の痕跡からメッセージを受け取り、感じて欲しいと思う。

(※このポストで使用している写真は全て私が2020年3月22日に現地で撮影したものです。)



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