見出し画像

創作という名の排泄


創作という行為が、世間一般でやけに大層なものだとか、高尚なものだとか、どうにも格式ある生産的で美しい文化だと考えられているように感じる。
創作活動に携わる人々が、これらのことを意識していると炯然と言わずとも、そう感じられるような様子が節々から見てとれることがある。
それも、限って“創作”という活動を積極的に行わぬ位置の第三者的で、消費的な、非創作者とでも言おう俗人に限って感じることがある。

無論私は自分の表現に誇りをもっている人やその心理にけちをつけようというのではない。
また、創作という行為、概念を讒謗するつもりも、それらの俗悪性を捏ねあげて遊説しようというのでもないのだ。寧ろ説きたいのは現代における“創作”というものの通俗性にある。創作のすゝめである。

今や私たちの社会は過去から現在、そして未来へと継がれていくであろう人間の手によって生み出された数多の創作物で溢れかえっている。
大衆文学や、娯楽雑誌、映画、ドラマ、漫画、ゲーム、アニメ等はもはや現代人の生活の一部にさえ成り果てており、それら表象は我々人類の脳の発達段階に、言語が生み出される前からおそらく存在していたであろう、形を変えてきた列記としたメディアである。

このように述べてしまうと確かに創作活動に従事する人とは、知識や多彩な感性、そしてそれらを昇華させるに至るメンタリティなど様々求められるものがある様に受け取ってしまう。

しかし、現代を生きる私たちの創作のハードルは低い。経済的余裕さえあれば好きなメディアを経験値として取得し、またペンと紙を持たずとも脳内で青写真を描くことさえできるのだ。
そして、私達は最も容易く誰もが他人のメディアにアクセスし合うことのできる社会に生まれてきたのだ。今やSNSでは過去最大の個人レベルのプラットフォームであるアカウントが存在している。それらアカウントでは写真からテキスト、ビデオまでが様々な表象イメージをまとめてポストすることで、常時私たちには公開型アトリエ、ミュージアムが展開されている。そこには消費者達が集まり、やがてコミュニティを形成していき、コミュニティが活性化すると、多くのフォロワーを抱えた表現者は更なる創作に邁進し、次々へと規模を拡大し続けていく。生み出されたキャラクターは商品化され通俗性を高め、私たちの社会へ浸透力を深める。
創作物の強大さは異常なのである。例にして、時代を超えて愛された一人の男が生み出したネズミのキャラクターが今や全世界にディズニーという大ブランドへと成長してテーマパークを持つようにさえなるのだ。今や創作という活動が人口に膾炙しているのは八面玲瓏だ。
(このテーマについては宗教と二次創作の関連性や、ビジネスの本質でも、人間の求める衝動は娯楽になりうる芸術的創作物から生まれるということも綴りたいと思っている。今回は割愛する。)

ではここで、創作に携わらない人々が一定数いるのも確かである。では非創作者と創作者の違いとはなんなのだろうか。

それら生産的だと言われる活動を営む者たちを囂しい、懶いと思うこともあるだろう。

しかしそれらはまだ防衛機制の域を出ていない我ら10代の若者だからこそ昇華を必要としている証拠だと私は考える。
あー!まずい、腹が痛い、論文みたいなの書いてたらうんこでそう!!!ッヴ!!!

〜ここでGalileo BGM〜『知覚と快楽の螺旋』

俺の考えはこうだ!

『創作は排泄だ』
日本各地で趣味の悪い某極彩色の顔面オブジェクトを量産させるアイツがしばしば爆発させてがちなあの創作の正体は、つまり排せつなのだ!
何も崇高でない、そして、低俗なものでも無い。
人口に膾炙したあげく、日常的に我々が行う行為であって、何もその行為は愛されるべきだとか、尊ばれるべきだとか、そんな論点に経つ必要はないのだ。たまたま誰かのした巻グソが美しく見えた程度のものなのだ。
そして俺たちは自分の排泄した、かつて自分の身体の一部に抑圧され、溜め込まれたそのクソにやたら愛着が湧くのだ。

『なんだこのスカトロ論者は…』これを読んでるそこのお前は急な文体の異変にも、論旨の整合性の無さにも、無茶苦茶なこの展開にも置いていかれてしまったかもしれない。いや至って俺は大衆に寄り添った芸術の正体を敷衍して啓蒙しようと奔走していることを感じて欲しい。
俺は今必死に踏ん張って排泄しているのだ。内観と向き合い、鳥瞰し、自らの衝動を、この余白に書きなぐり、それを振り返って『何だこのゴミは!観ちゃいられねぇよ!』と笑ってやるその時のために、少しでも俺の愛せる排泄をしているのだ。

これが18年間生きた俺の導き出した、作品の創作の本質である。眼光紙背に徹することが出来ればこの文意とやらが蒙昧な諸君らにも分かることだろう。

排泄しろ。

汚ねぇその内側を、もっと自分の好きな形で、佼佼と撒き散らせ。

さて、俺はここで今宵は3首ほど短歌を読んで終わろう。

その鼻を 折ってやろうか 大癋見
囂しさも 親譲りだな

栴檀は 香らないだと 寧馨児
鹿爪らしい お前が嫌い

そこをどけ 虎虎婆地獄の 鬣犬と
今様色の 管弦楽団


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?