京大と東大

なんか京大のやつが偉そうに東大は意外と研究が下手くそだから。みたいな事言ってて、そうじゃない京大のやつは京大は東大と張り合おうなんて思ってない。って言ってて、この、ごちゃごちゃしたスタイルが伝統と格式の京都のプライドなんやろな。まあなんやろ。林田理沙の卒論はきっかけはショパンであれ、日本に西洋音楽がいかに根付いたか。ってテーマで、仮に西洋音楽とは何で、どのようにあるべきか。ってテーマがあったら、まあ前者は日本史で、後者は世界史で、何がロックで何がロックじゃないか、ずっとうだうだ言ってるミュージシャンにはなりたくないが、そもそもなんか俺がプロレス風に東大対京大って構図で研究成果を比較するコラムを作ったら、何もあらそったり競ったりする必要ないじゃないか。と言われて、僕ははっとしたが、林田理沙の卒論テーマはペリーみたいなもんで、偏りは確かにあるとは思ってて、日本史では大統領より外交官を騒ぐ風習があるから、遣唐使だの遣隋使だの、まあだけど、郵便局員がラブレターを運ぶ時だって、CDショップの店員さんがロックアイコンを扱う時だってもちろんそりゃああるだろうけどさ。学問としてはまあいかにあるべきかが最初で、それからいかにそれを受け入れて折り合いをつけていくべきかが次だとは思うんだが、俺が思うのはロックはどうも反対みたいな気がするというか、厳密には何がロックかを語るやつはロックじゃないんじゃないか。みたいな事は思うんだよな。学者肌というか。ロックンロールもそろそろまあどういうものであるかだとか学術的に扱われていい時期にはあるとは思うけど、まあなんだろな。確かに東大は政治寄りなんだよな。京大が学問をしているとしたら。まあ西洋音楽を語るとがったやつより日本と西洋音楽との関係性を語る林田理沙の方がまあ受け入れやすいところはあって、そもそもNHKをはじめにしなくてもいいけど、をはじめとするテレビ、あらため、テレビジョンは、いかにお茶の間に社会的な情勢を伝えるかという橋渡し的位置どりではあるから、東大の学者がNHKが来て、取材したいって言うから、答えてやったら、政治の話が入って流して、流れて、キレてたが、いい度胸だなあ。専門の知識もない人が教えを請いて、ふいにするとかさ。ガチギレしてたが。まあ難しくて、同じ分野の学者は沢山いるから、そいつはそいつがダメなら他のやつに行くだけで、なんとも思っちゃないんだよ。だけど、本来なら教えてやる義務はどこにもなくて、まあ、報道がどうとか俺はわからないけど。この前シングルマザーに取材が来てた中ではNHKが一番問題意識はまともだったけどな。美人じゃなかったが、大体取材する人って明るくて美人の人が多くて、たぶん男が気をよくして、べらべらしゃべるんだろ。NHKはそうじゃなかったが。まあ俺が何を言いたいかと言うと、その学術的価値が政治を上回る必要があるから、東大は政治寄りなんだよ。まあ滅茶苦茶難しくて、学問はまず、学問の歴史があって、新しい事をしなくちゃいけなくて、その、教科書の一行が滅茶苦茶大変で、疑えってタイプもいるけど。加えるタイプも減らすタイプも書き替えるタイプ?塗り替えるタイプもまあわからんがごちゃごちゃ沢山色々いて、まあなんか学生(大学生)はお金払って授業受けてるのに取材させてくださいとかいって、あーだこーだ言うレポーターだかなんだかはクソだよな。まあ知らないけどさあ。学問をする上では新しい結果を加える事も大事だけど、何が最先端かを知らないと自分の立ち位置も理解できないからな。それを教えてくれる人はなかなかいないのにな。

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