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マイ・ライフ・ストーリー(転職~今まで)

この記事では、私の人生を振り返り、今に至るまでの足跡をざっくりと紹介したいと思います。


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トップページにも書いてありますが、私は以前、公務員=自衛官として働いていました。


自衛官にも色々な職種がありますが、具体的には、海上自衛隊の音楽隊員として、日々、演奏活動やその準備のための合奏訓練、組織の運営に必要な日常の業務に従事していました。



昨年(令和元年)の暮れに退職しましたが、もしそのまま音楽隊員として勤務していれば、定年までまだ10年ちょっとは安定した生活が補償されていました。


それなのに何故、安定を捨て、転職したのか?


ひとことで言えば、「魂の声に従ったから」です。



誰でも、心の奥底に本当の思い、魂の声があると思いませんか?

多くの場合、それを無視したり、色々な理由をつけたりして、それに従うということはしないようですが。


でも、私は魂の声を無視せず、実行しました。

そして、この選択は正しかった、と思っています。



人は生まれる前に、人生のシナリオ・青写真を描いて生まれて来ると言われていますが、私の場合、この時期の転職も、青写真通りだったのだと思います。



もともと、音楽好きの父親の影響もあってか、小学校6年で金管バンドに入り、トロンボーンを始めました。


そのまま中学・高校と吹奏楽部に所属し、運良くトロンボーンを続ける事ができました。


進路を決める時期が来て、就職することにしましたが、どうせなら楽器を続けられる仕事がしたいと思っていたところ、ちょうど、後に所属する音楽隊を辞める高校のOBに会い、海上自衛隊の音楽隊を紹介されました。


楽器が続けられて、しかも海外にも行ける、という所が決め手となり、海上自衛隊への入隊を決めました。


教育隊での教育期間の後、青森県むつ市にある大湊地方総監部所属の護衛艦に配属され、そこでの7ヶ月半の勤務ののち、念願かなって音楽隊勤務となりました。



音楽隊では、北海道全域と東北3県を活動範囲として、あらゆるジャンルの音楽を演奏しました。また、時には鹿児島や沖縄まで行っての演奏、そして、初任幹部の訓練と国際親善のための遠洋練習航海にも参加して、世界中の国を訪れることが出来たことは、とても貴重な経験だったと思います。



さて、そんなに恵まれた環境で、ある意味天職とまで言える仕事を何故辞めたのか?


その理由の一つが、歯の不調でした。


私が担当していたトロンボーンという金管楽器は、前歯の歯並びや、治療による状態の変化で吹奏感が大きく変わります(実際は金管楽器にとどまらず、木管楽器や声楽家も歯の影響は受けるそうです)。


虫歯の治療により、中学校時代に前歯のうち3本が差し歯になり、当時はそこまで影響はなかったのですが、だんだんと演奏に支障をきたすようになってきました。

吹きにくさを何とかしようと、自分で差し歯をヤスリで削ったり、金管楽器奏者の調整をしてくれる歯科医にかかったりしましたが、一時的に良くなった気はしても、また不調になる、というループを繰り返していました。


そして、あるとき、「こんな調子では、定年までプレイヤーを続けることが出来ないかもしれない。いや、むしろ、もう続けたくはない」と思うようになってきました。


これが一つ目の理由です。


次が、定年後の仕事を意識し始めたこと。


あるとき知り合いに、「音楽隊にいる今はいいかもしれないけど、定年後に備えて、何か資格を取るなりして準備しておいたほうがいいよ」と言われました。

言われたときは、正直、嫌なこと言うなあとも思いましたが、実際、高卒ですぐに入隊したので、当然資格など何もなく、辞めたあとの事はいつか考えなければならないと思いました。

それから、色々と情報収集をするようになり、最終的に行き着いたのが、今の仕事、スピリチュアルライフコーチです。



3つ目が、家庭環境の変化です。


職場で知り合った妻との間に2人の子供を授かり、色々ありながらも幸せに暮らしていましたが、だんだんと妻との関係性が悪化してきました。

そして最終的には、一緒に暮らすのがお互い苦痛になり、関係性も修復出来なくなって、離婚することになりました。

当時は、3年契約の関西勤務の3年目で、令和2年にはむつ市に帰ってくる予定でしたが、子供たちは、私とむつ市に帰ってくることを望み、母親と離れることを選びました。


音楽隊の演奏活動は、県外に出かけることが多く、そしてそれは主に土日でしたから、小学生と幼稚園の子供を抱えての生活では、演奏業務へはほとんど参加出来なくなりました。



この、①歯の不調を抱えたプレイヤーからの脱却、②次にやりたい仕事との出会い、③家庭環境の激変という現実を前にして、深く自分に問いかけたとき、出てきた答えが、退職(転職)でした。



今、こうして振り返れば、ここまでのことを全て盛り込んで、青写真を描いて来たのだろうなあ、と、つくづく思います。

もちろん、元妻とも、今回はそういう役割をしようと、お互いに決めてきたのでしょう。

そして、コロナの影響で世界が大きく変わっていくこの時にも合わせて、なるべくしてこうなった、すべて必然の流れだったと思います。


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さて、あなたは今生、どのような青写真を描いて来たのでしょうか?


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