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「目的」と「手段」の違いを意識すると、新しい視点でモノゴトを見つめ直すことができる。

今、日本の学校は自律を育むことと、真逆のことをしてしまっているように感じます。

手取り足取り丁寧に教え、壁に当たればすぐに手を差しのべる。けんかや対立がおきれば、担任が仲裁に入り、仲直りまで仲介する。そうして手厚く育てられた子どもたちは、自ら考え、判断、決定、行動できず、「自律」できないまま、大人になっていきます。
そして、大人になってからも、何か壁にぶつかると「会社が悪い」「国が悪い」と誰かのせいにしてしまうのです。

こんな「おぉ、バッサリいくなぁ…!」というメッセージから始まる『学校の「当たり前」をやめた。』という本を最近読みました。

公立の中学校なのに
・宿題を出さない
・クラスに担任がいない
・中間、期末テストがない
・服装頭髪指導を行わない

という「本当に??」という驚きの制度を実践している学校の校長先生(工藤先生)が書いた本で、学校、教育という分野に限らず、家庭における子育て、会社におけるマネージメント&組織作り、ひいては社会、国家といった更に大きな概念の運用にも応用できる素晴らしい内容だったので、忘れないように読書メモとして整理してみたいと思います。

▼こんな方におススメのnoteです
・学校に関わらず、何らかの形で「人を育てる」事に携わっている人
・企業や組織の「問題解決」をお手伝いしている人
・チーム、組織作り&運営に悩んでいる人

目的と手段を取り違えない

この一言に本に書かれている大事な部分はギュッと凝縮されています。これだけきちんと理解して貰えればあとはもう大丈夫!と言えるくらい大切。「目的と手段」って何度も聞いたことのあるフレーズでしたが、その意味をちゃんと理解していなかった事にこの本を読んで初めて気づきました。

例えば、公立の中学校で「中間・期末テストを廃止」って「そんな事できるんだ??」と衝撃を受ける制度改革なんですが、なんでこんな大胆なことが実践できるのか?という理由も、この「目的と手段」で説明されています。

※ 全国、ほとんどの公立中学(私立も)では、当たり前のように中間・期末テストを実施していますが、学習指導要領でルールとして「中間・期末テストを実施しなさい」と書いてある訳ではないんだそうです。そうなんだ!?と驚いてしまうのですが、国が示す学習指導要領は「大綱的基準」にすぎず「絶対的基準」ではないそうです。

まず、工藤先生は「学校とは何のためにあるのか?」という、そもそもの「目的」から思考をスタートします。

学校は子どもたちが、「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにある。そのためには、子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち「自律」する力を身に付けさせていく必要がある。

これが工藤先生が考える「学校」という存在の「目的」です。目的が明確になったら次にこの目的を達成する為の「手段」を検討します。

中学校の中間・期末テストといえば、前日に徹夜して(もっと前から勉強しておけば良いのに…)無理やり頭の中に叩き込んで、なんとかテストを乗り切ったら次の日にはすっかり忘れてしまう。私はそんな繰り返しだったのですが皆さんはいかがでしょうか?

工藤先生はこうした「一夜漬け学習」を「テストの点数を取る」という目的においては有効だけど、学習成果を持続的に維持する上では効果的ではない、と指摘しています。

では、「工藤先生の学校では一切テストをやらないの?」というと、全然そんな事はありません。具体的には中間・期末テストの代わりに単元テストを実施しているそうです。

例えばですが「割り算」の単元が終ったら「割り算」のテストをする。そして、単元テストは再チャレンジが可能で、理解できていない部分を一つずつ分かるようにしていきながら、着実に学力を高めていく仕組みにしています。

とてもいい仕組みですよね。特に算数とか英語って「積み上げる」科目なので、最初にちょっと躓くと取り返しがつかなくなったりしますが、この仕組みなら生徒それぞれのペースで学力を伸ばしていくことができます。

また、実力テストという形で「出題範囲」が絞れないテストを実施する回数を増やす事で、生徒たちの本当の学力を測っているそうです。

整理すると、「自律した子供を育てる」という学校としての最上位の「目的」があり、それを達成する為の1つの手段として「社会生活を営む上で必要な学力の定着を図る」という一段階下の目的が生まれます。

そして「学力の定着を図る」という目的を達成する為の手段としては、中間・期末テストという従来通りのやり方は効果的では無い、という判断をして、別のやり方を検討、実施しているという事です。

「中間・期末テストを廃止!」と聞くとまずとても驚いてしまいますが、こうやって「目的と手段」を整理してその意図を理解すると、「なるほどなぁ…」ととても感心しました。

「手段が目的になってしまう」ってどういう意味?

「手段が目的になってしまう」というフレーズも何度も聞いたことがありますが、その意味をきちんと考えたことが無かったので、もう少し深堀りしてみたいと思います。

例えば私の通っていたごくごく普通の公立の中学校では

・ジャージの上着のファスナーは胸元の学校名より下に下げてはいけない
・ジャージのズボンに付いているファスナーは開けてはいけない
・体操服はズボンの中にしまう

といった、とてもどうでも良さそうな服装に関する校則がありました。
なんでこういった決まりがあるのか?は一切語られず「こういう決まりがあるんだから黙って従え!」といった感じで体育教師が睨みを効かせていましたが、これが「手段が目的になってしまう」ことの一例です。

「体操服はズボンの中にしまう」というルールは、何らかの目的を達成するための手段だったはずが、いつの間にかその目的が忘れ去られ「体操服はズボンの中にしまう、というルールに従わせる」ということが目的になってしまいます。

そもそもの学校の「目的」である「自律した子どもを育てる」を実現する為には、何を手段として選ぶのが効果的なのか?限られた人員、時間の中でどの手段に力を注ぐべきなのか?を検討する必要があります。

ですが、目的が忘れさられている為に「体操服はズボンの中にしまえ!」と怒る事に時間とエネルギーを割いてしまい、目的達成の為に優先度の高い手段を実施するリソースが無くなってしまう。これが「手段が目的になってしまう」ということです。

身近なところにもこんな例って沢山ありそうですよね。

なぜクラスの固定担任制をやめたのか?

こちらもとても納得感のある施策だったので簡単にご紹介したいと思います。「クラス担任」という今までの人生で一度も疑問に感じたことのない、私にとっての「常識、当たり前」を抜本的に変えてしまったこの改革。

固定担任制というのは1クラスにつき1人の主担任(副担任がいる場合もある)が決まっているという仕組みですが、工藤先生の学校では1クラスに1人の担任という形ではなく、4クラスあれば4人の先生がチームとして4つのクラスを共同で担当する、というような「全員担任制」という仕組みを採用しています。

なんでこのような仕組みをとっているかというと、考えてみれば当たり前なんですが、先生も一人の人間でありそれぞれに得意分野や苦手な分野もあるからです。

例えば「生徒のサインを読み取るのが得意な先生」「保護者対応が得意な先生」「ITを活用した授業の工夫が得意な先生」などがいて、それぞれの個性を生かして、得意なことを活かしながら&苦手なことを補いながら、生徒たちを指導していくことができる仕組みとなっています。

また、本の中では固定担任制の問題点として「あの先生に担当して貰えたら当たり」「あの先生はハズレ」といった意識が親や生徒に芽生えてしまうこと、また、クラス同士で比較、競争が生まれる事で「ハズレ」のクラスで学級崩壊といった問題がおきやすい状況が生まれることも指摘していました。

本の中では他にも沢山の「そんな事出来るんだ??」という取組みが紹介されていてとても刺激的だったので、興味が持てそうでしたら読んでみてください。

工藤先生は新卒からずっと学校の先生をしている純粋な教育畑出身の人ですが、実践していること、書いていることは「教育」の枠を飛び越えて「イノベーションをどう起こすか?」という話をしています。大事な事なのでもう一度おさらいすると、工藤先生が行っているイノベーションの源泉は、

1, 目的と手段を取り違えない
2, 上位目標を忘れない
3, 自律のための教育を大切にする

の3点です。すごくシンプルで分かりやすいからこそ、最上位の目的を達成する為の手段として「これが最適なのか?」を常に自問自答しながら、軸をぶらすことなく一連の改革を実行できているんでしょうね。人を巻き込んでいく上でもシンプルさが大切。

さいごに

「目的と手段の明確化」を整理していく過程で、あれ?これって今までnoteに書いてきた「会社にとってなぜVisionが大切なのか?」という話に繋がってくるな、という気づきがありました。

更に言うと、UXデザイン、デザイン思考のプロセス前半で行う「解くべき問いは本当にこれで良いのか?」という「問いの設定」でやっていることも、言い方が違うだけで同じことをしています。

何が本当の問題なのか? → 解決したい問題 → プロジェクトの「目的」

になるからです。
今回のnoteはもうかなり長くなってしまったので、また別の機会に「いろいろな文脈で問題解決の手法が語られているけど、つまるところ大切な部分は一緒だよね!」的なnoteを書いてみたいと思います。

目的と手段の明確化。仕事をしたり、子供と接したりする際に「今やっていることってそもそもの目的は何だったんだっけ?」と一段俯瞰した視点を持っておけると、目的達成のための手段が選びやすくなるので、日常生活の中でもそういう視点を持てるよう意識していきたいです。

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