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友近賞受賞作「県民には買うものがある」(5/5)

 林田くんのいいところをひとつ挙げるとすれば、私のことを決してそんな風には消費しなかったことだろう。
 彼はインターネットのなかで自分を誇示しようという気持ちは微塵もない人間だ。自分のことをつぶやくなんて恥知らずだと言い、ツイッターも登録せずにいる。知り合ったコミュニティ型SNSでの自己紹介文も、「滋賀住みの25です、よろしく(歯を見せて笑ってる絵文字)♪」といった簡素なものだった。
 彼が私を消費するとしても、それは「ヤれる若い女」以外の意味を持たなかったし、私からしても彼は「車を持っている男の体」以外にはなり得なかった。だから私たちはお互いを本気で不満に思う余地さえ持たず、誰にも自慢できないようなセックスを繰り返すことができたのだ。

 家に帰ってからしばらく迷って、結局エクレアは食べずに捨てた。食べようとしてしばらく見つめてみたが、ラブホの冷蔵庫でたたずんでいたところや甘いにおいのする林田くんの性器が思い出され、どうも心証が悪かったのだ。代わりに冷凍庫にもとから入っていた安いミルクアイスバーを一本手に取る。母の立つキッチンのほうからはコロッケの揚がるにおいが漂っている。夕飯ができるのを部屋で待つ間、林田くんとはもう会わないような気が何となくしていた。
 この春休みで私は週1のペースで林田くんに会い続けて、ヒロミちゃんと話していた「男と二人でこの世に存在する」ことを達成した。自分でも驚くほど、自らを磨り減らすことはなく、だ。
 車内での居住まい。コンドームのにおい。ことの最中、たくさん声を出すと何となくお互いに愛おしいような気がしてくる感じ。たとえ相手が林田くんでも、手に入れたそれらの感覚は今まで目にしてきた滋賀の景色や、滋賀に編み上げられてしまった私の感性をちゃんと上等なものに変えていった。以前よりは、世界の画素数が高く、生きている心地もたしかにある。そんな気がする。安っぽい上等だという自覚はある。でも、じゃあ、安っぽくない上等って何かと問われると今の私にはよく分からない。

 ヒロミちゃんはというと、私が想像していたよりひどい結末は迎えなかった。と、思う。彼女はあの後斎藤さんから、まるで息をするみたいにヤり捨てられて終わった。
 春休み中の、ある土曜のことだった。夕方ごろ、たまたま斎藤さんと暇が重なったヒロミちゃんは、彼のアパートまで駅からバスを乗り継いで行き(斎藤さんは原付を持っているが迎えに来るのを面倒くさがった)、着いた後は会話もそこそこに、オーケー・ゴーのかかる部屋で短いセックスをしたそうだ。壁際にはベースが置いてあり、浅野いにおの漫画が全巻揃えてあり、ビームスの紙袋がいくつも散らばっていた。
 アパートまで意気揚々と乗り込んだヒロミちゃんだったが、目に飛び込むその全てに、彼女は途方に暮れてしまったという。それを電話口で聞きながら、私も心底ぞっとしていた。あれだけ派手で安っぽい言葉を吐いていたのに、彼女はここにきて「途方に暮れてしまった」としか言わなかった。斎藤さんにとってヒロミちゃんは女子高生どころか、花粉のように部屋へ舞い込んできて、すこし鼻をかすめて去っていくような存在にしかならなかったのではないか。そんな考えが過ぎるも、本人には言えない。かわりにエッチ気持ちよかった? と聞くと、なんかもーわからんなぁ、と電話の向こうでヒロミちゃんは力なく笑っていた。「なんか取りこぼしてる」と言った彼女があれだけ強く求めていたものって、結局何だったのだろう。その声を聞きながら私はぼんやり思った。
 冬が終わり、春になる前の、空気がゆるんで妙になれなれしい時分の電話だった。それから程なくして斎藤さんからの連絡は途絶えたらしい。もしあれからずるずるとセックスを続けたり、斎藤さんに恋愛ごっこを仕掛けられたりしたら、それこそ彼女の完敗になっていたことだろう。

 先ほどインスタグラムにアップされていた夕空と電信柱の写真には、キャプションでこう添えられてあった。
『ちょっと前までここには書けんくらいどん底やったけど(笑)大学いい感じやし、地元の空はきれいやし、月曜からもたのしみっ:)周りに感謝。』
 私はすかさず指先で「いいね!」のマークをタップする。本当に「いいね!」と思ってのことだった。彼女はある意味ヤり捨てられた過去、どん底だった春休み、という冠を女の身体で買ったのかもしれない。ヒロミちゃんはそういう残酷さに負けない人だし、何よりセンチメンタルの才に長けている。オーケー・ゴーとか浅野いにおといった小骨みたいな苦々しさに、ずっと揺るがされることはない。そういえばヒロミちゃんのそういうところが好きだったなと思い出したのだ。あと、ギャルと仲良くできるところも。
 その晩私はコロッケをたらふく食べ、電話帳から林田くんの名前を消し、次の日大学へ履いていくため、ニューバランスを玄関におろしてから眠った。

 それから2ヶ月が経った。私は滋賀の女子高生から京都の大学生になり、恋人までできた。
 この恋人というのがまた、まぼろしのような精彩さを持った人で、私はときどき彼が本当に自分の恋人なのかと疑いたくなる。名前はミチルくんといって、大学は違うけれど、同じ映画研究会に所属しているひとつ上の男の子だ。スピッツが好きで、二眼レフの古いカメラを持っている。主に古着を着ていて、シロクマの描かれたトートバッグを愛用中である。彼の地元は京都だ。移動は大体ロードバイクでするらしい。

 大学に入ってからの私はニューバランスのスニーカーを履き、無地のワンピースをさらりと着て、ときどき丸眼鏡もつけて登校している。今の私なら、ヒロミちゃんが見せてくれた斎藤さんの写真に混じっても違和感がないだろう。そういう人間になるための努力をしたのだ。主にネットショップなどを利用して、そういう人間たちに負けないように。
 努力の甲斐あって、映研の新入生歓迎会ではちやほやされたし、huluで流し見した付け焼き刃の映画の知識でもボロは出なかった。見た目がそれらしいと、人は言動への疑りまで鈍くなるのかもしれない。いい気になって薄いカルアミルクを飲んでいたところ、ミチルくんから声をかけられた。全くのまがい物のはずなのに、私は京都でも案外通用してしまうのだった。
 連絡先を消したあの日から、林田くんが連絡して来ることはもうなかった。

「ねぇ、ミチルくん」
「なあに」
「私ね、空とか電信柱がすき」
「あは、じゃあ今度いいところ連れて行ったげるね」
 林田くんと言葉を交わしていたときとは真反対に丁寧なことばを、私はミチルくんに使う。彼には林田くんと違って、私を不満に思う余地があるから。彼も彼で、私の多少派手な言葉づかいを疑うことはなく、むしろそこが魅力だと思っているらしい。ヒロミちゃんの言葉を拝借してみても、この通りご機嫌になってしまうほどだ。
 私は「そっち側」になるため、部屋が段ボールで埋もれてしまうほどネットショップを利用しまくったけど、ミチルくんはそんなことをしなくとも、地肌に古着のニットが貼っついていてもおかしくない感じがする。自分は古着やニューバランスを身につける人間であると、生まれたときから知っていたのではないかと、ときどき思えてしまうくらいに。例の斎藤さんなんかも、その類の人だったのではないかな、とたまに思い出す。
 ミチルくんとのセックスは未だ遂行できていない。もうすぐ付き合って1ヶ月になるから、そろそろ時期ではないか、と思っている。彼とは林田くんのときよりもう少し上等な世界を見られるかもしれない。ミチルくんは林田くんと違うから。何が違うのかって、ぜんぶが違うのだ。私に求めていることとか、そこからの広がりとか、すべてが。
 人に自慢できるようなセックスを今度こそする。心のうちでこっそり決心して、ロードバイクに跨る彼と烏丸通りで別れを告げた。遠ざかっていく完ぺきなその背中を見届けながらふと思った。人に自慢できるようなセックスができたら、私は何になるんだろう。

 そして家へ帰ってきた今、私はミチルくんの「ネット用」のツイッターアカウントを偶然見つけてしまった。
 ポエミーな内容をぽつぽつとツイートするアカウントらしく、名前も「mtr」とぼかされていて、大学の人とは誰も繋がっていない。フォロワーは、2000人もいた。

『mtr@326:電信柱が好きなこいびとと行きたい場所を、Googleマップでみている。
 リツイート:4 いいね:17』

『mtr@326:こいびとが緑のワンピース着てる日、いいことあったり、なかったりする。
 リツイート:30 いいね:80』

 遡ると何度も何度も出てくるこの「こいびと」とは、紛れもなく私のことであった。一見惚気のようだけど、遡れば遡るほど、シロタPのツイートを見たときと同じ、むしろそれ以上に不気味な衝撃に私は侵食されていく。

 いくら私が滋賀のマクドの不埒な女子高生を脱したとしても。丸眼鏡やニューバランスの世界の人間になったとしても。丁寧で派手なことばを使ってみたとしても。それらの努力は全て、男一人のインターネットでの在りようを彩るため、「mtr」のまなざしの素晴らしさを浮き彫りにするためだけに、むなしく消費されているのだった。
 また消費された。私は部屋のベッドでしばらくうずくまる。

 林田くんはイオンでパーカを買っていた。ヒロミちゃんは大学に入ってから髪を茶髪にし、今まで興味なんて無さそうだったサマンサタバサの鞄を買った。私は古着屋に行くのが恥ずかしくて、流行っているテイストの服と小物を大量にネットショップで買った。私たちは、ばかみたいに意志のない購買行動を、繰り返している。
 それは私も、ヒロミちゃんも、そして林田くんも、自分が何の人であるかいつまでも不確かだからだ。いろんなものを買って身につけるけど、いつまでも底にある揺らぎが消えない。いくら買ったものを貼り付けてみても、その揺らぎが透けて見えるようだ。
 シロタPやミチルくんのように、自分が何の人間であるか強く主張し、その上他人が必死につくりあげた価値を、自分にそのままコピーして貼り付けるような乱暴ができたら、どれほど良いだろう。
 私が琵琶湖から離れた滋賀ではないどこかで産まれていたら、こうはならなかったんだろうか。何かを強く信じたり、没頭したり、主張したりして、他人に貼り付けられない人間になり得たのだろうか。
 むかつく。私の服も靴も丸眼鏡も、読む本も聞く音楽も、ことばも思想もくすぶりも、全部は私のためにあるはずなのに。ミチルくんが「mtr」であるために使われていいものなんかじゃないのに。ミチルくんは、ただ私の女の身体だけを、どうぶつみたいに消費してくれたら、それで良かったのに。

 画面をスワイプすると、ミチルくんの新しいツイートが更新されて上に乗った。
『mtr@326:こいびとは、湖の近くに住んでいる』
 私はツイッターを閉じ、インスタグラムを開く。ミチルくんが今日撮った私たちの足元を写した写真の下に、ヒロミちゃんの空の写真がアップされていた。夜空の写真だ。暗くて、あまり上手くは撮れていない。
『こういう日は、夜風に吹かれて、せつなくなるに限るよね。地元の空が、すきだなあ。』
 いつになくシンプルなキャプションだったが、ああゲロを吐くみたいなときのヒロミちゃんだ、と私の心は仄かにゆるんだ。乱暴にいいね! をタップしてから、林田くんのことを考えてオナニーをし、眠った。

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