ファミコン生誕40周年。

写真AC: 最後の旅人customさんより拝借。

ファミコンが誕生したのが1983年7月15日。

我が家にファミコンがやってきたのはその1年後、1984年だっただろうか。
1979年生まれの自分は、まだ小学校にあがりきらない時に、親からプレゼントされたのである。

最初に手に入れたゲームは、「スーパーマリオブラザーズ」…ではなく、難易度が非常に高いと言われている「高橋名人の冒険島」「グラディウス」「がんばれゴエモンからくり道中」。

今と違って攻略サイトやYouTubeなんてものはなく、手探りで完全クリアを目指して長時間ゲームに没頭した。

そして、迎える結末は、「親にファミコンを隠される」わけだ。
時にはファミコンのACアダプタだけを隠されたときもある。

お金がない中で、「ファミマガ」「ファミ勝」などの情報誌を読み漁る。
「大技林」なんていう裏技本や攻略本を買う。
「ドラクエ」なんてソフトがないのに攻略本を買って、頭の中でイメージを膨らませていた。

「影の伝説」「オセロ」「迷宮組曲」…ちょっとずつゲームを買い足す。
我が家は勝敗が決まるゲームというものを嫌い、人生ゲームなども負けると腹立つから絶対にやらないと、対戦系のゲームはやらなかった。

そんな中で、唯一最後までクリアできたのが「迷宮組曲」だ。

何度も何度も敵に倒されながら、謎解きをし、最後のボスを倒したとき、最高の達成感に浸ったのを今でも覚えている。

実は、我が家は自分が6才の時に父親を亡くし、母子家庭として育った。
姉たちは6才と9才離れているので、自分が小学生に上がったら、下の姉は6年生となるので、学校を卒業していく。上の姉なんて、中学校を卒業していくわけだ。

いわゆる「鍵っ子」で、学校から帰ってくると、鍵のかかった家に一人帰ってくる。

そりゃあやることといえば、ファミコンになるわけで。

友達と遊ぶときも、学校から友達の家より遠くに住んでいたので、遊びに来る子も少なく、大体友達の家のファミコンでみんなでワイワイしながら遊んで、家路につく。

真冬になると、楽しかった友達との時間を終えて、寒風吹き荒れる、下手すると風雪吹き荒れる中で遠い家まで一人とぼとぼ泣きながら帰ったこともある。

ファミコンはそんな寂しさから救ってくれた存在でもあった。

40を超え、ファミコンよりも年を取った今。
今だに「ドラクエ」シリーズをひたすら遊び、たまに引っ張り出してきた「迷宮組曲」を遊ぶ。

人生の中でどれくらい色んなソフトに出会っただろう…?

ゲームに携わる仕事に就きたいなって思ったこともあった。
今でも、プログラムを一から覚えるのは難しいにしても、広報の仕事とかしてみたいなぁって思うこともしばしば。

まあ、趣味は仕事にすると途中でくじけてしまうことが多い気もするけど。

ファミコンはこの後の人生でもやってるような気がするなぁ。

改めて、ファミコン40周年おめでとう。

任天堂ウェブサイト
https://www.nintendo.co.jp/
https://www.nintendo.com/jp/famicom/index.html

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