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語学に対する思いを綴ってみる。

私は語学学習が好きなんだなと、社会人として数年働いてやっと理解しました。

大学の頃から留学などを行い、海外には5年近く住んでいましたが、自分が語学学習が好きだから留学したいという考えではありませんでした。

留学自体は、なんとなく海外の大学にチャレンジしてみたいと思った程度の気持ちで実行しましたし、英語についても、人とコミュニケーションが円滑に取れれば発音はあまり気にしないタイプでした。

しかしながら、あくまで言語はツールだと捉えていたはずだったのですが、第三カ国語となる中国語を本格的に勉強し始めてから、語学学習自体を自分は楽しんでいるんだなと実感しました。

語学学習は大変なところも多いですが、楽しく、自分の人生を豊かにしてくれることは間違いないと私は確信しているので、私の語学に対する思いを今回は書いてみようと思います。

ありきたりな論点になるかもしれないですが、私が感じることを率直にそのまま書いてみます。


語学は世界を広げる

私が語学学習が素晴らしいと思う理由の1つ目は、自分のアクセスできる世界を広げてくれる、というありきたりな観点です。

まず初めに語学として一番身近な英語について言及しますが、英語の他にも当てはまるでしょう。

コミュニケーションツールとして英語を使えるかどうかはアクセスできる人の数や、チャンスの数に大きく関わるな、と社会人になってからも感じています。

高校や、大学のうちにやりたいことがなにかよくわからないのであれば、英語をやっておいて損することは間違いなくないでしょう。

日本に住んでいたとしても、外国人はたくさんいます。

仕事の時のみならず、友達と飲みに行った時に外国人と話すこともあるかもしれません。

もし自分が暮らしていて外国人と話したりする機会が1週間のうちにほとんどないとしたら、一度もっと外国出身の人と交流することを考えてみてもいいかもしれません。

せっかく世の中にはいろんな人がいるのだから、海外の人たちとの集団とも接点をたまには持ってみると面白いですし、学びがあります。


自分の会社に外国人がいたとしたら、まず、彼らは日本で仕事をすることを(どういうわけか)選び、そこにいるんだなと再認識しましょう。

自分の身に置き換えて考えてみると、やはり彼らは自ら自分の身を外国の地に置いて仕事をしているチャレンジャーなんだなあと思えます。

そう思ったらなんとなくどういう経緯で日本で仕事をしているのか気になってきます。

ぜひ英語でも日本語でもいいので話しかけて、彼らのストーリーを聞いてみましょう。

今すぐ海外で仕事を探してマイノリティとして働き始めるべき、という極端な話ではないのですが、働く場所は必ずしも日本に縛られる必要もないということは改めて考えていいはずです。

英語を使う理由は、人とのコミュニケーションだけに限られるわけではありません。

情報収集する時、エンターテイメントとして動画などを楽しむときも、英語ができるだけでアクセスできる媒体の数が圧倒的に広がります。

コンテンツのほとんどは英語で発信されています。

それらにいつでも大きな心理的ハードルなしにアクセスできるように努力しておくことは絶対にプラスになるはずです。


語学は平等

私が語学学習が素晴らしいと思う理由の2つ目は、学習の機会や難易度が平等であるということです。

語学学習にかかるコストは基本的に誰にでも平等です(だと考えています)。

母国語に加えて何か言語を学習しようと考えた時、習得への難易度は誰にとってもほとんど同じでしょう。(母国語との関係によって少々のアドバンテージなどは違うかもしれませんが)

ですが、ヨーロッパなどの人は小さい頃から英語を含んだ複数の言語に親しんでいるが故に、アジア人より習熟度が高いように感じるときもあります。

しかし、それは実際に練習しているのが幼少期とか小学生の時であるというだけで、大人になってから第二外国語として練習をしても、習得するのはもちろん可能です。

つまり、言語を勉強する時の難易度は平等に与えられていると考えて大丈夫なはずなのです。

また、現在はオンラインで語学レッスンを気軽に受講できたり、Youtubeなどを利用して無料で大量の学習コンテンツにアクセスできることを考えると、学習へのアクセスという観点からも、平等性が存在しています。

これらの「難易度」と「アクセス性」は平等だ、というのは良いところでもあり、ある意味残酷でもあります。

前述の通り、幼い頃から複数の言語に触れている人というのは大人になったときには既に数ヶ国語を流暢に話すアドバンテージがありますし、

そういう人たちが多い国というのはグローバル経済の中で競争力が高いと考えられます。

つまり、語学学習は平等であるが故に、実力は絶対量として如実に現れます。

それがある意味残酷であるという理由です。


語学は継続

私が語学学習が素晴らしいと思う理由の3つ目は、語学学習は継続によるものであり、近道がないということです。

語学学習へのアクセスはある程度平等であるという一方で、実際の習熟度は継続量によって決まります。

語学の習得にはある程度の絶対的時間が必要になり、誰でもできる一方でだれでもすぐに上達するような甘い話はありません。

資本主義の中で地位が高くても、お金がたとえあったとしても、語学習得にかかる時間はさほど変わらないとでしょう。

その語学を習得することで何かやりたいことがあったり、モチベーションを保つことができる人はコツコツと続けることができますし、継続が困難な人もいると思います。

大事なのは、一定のレベルに達するまでの我慢と継続です。

この一定のレベルを「語学習得のための最初のハードル」と呼ぶならば、
それを超えるまでは忍耐との戦いになります。

私の英語学習の例で言うと、
1年ほど留学した際に勉強した経験がそのハードルを越えるのにかかった量でした。

その後は、加速度的に自分で学習を進めることができたのを覚えています。最初のハードルを超えると、その言語を使うのが苦でなくなります。

ドラゴンボールで、悟空がスーパーサイヤ人の状態で生活する修行をしていたように、第二言語で生活をすることが自然にできるようになります。
そうなれば、学習の継続難易度はグッと落ちます。

最初のハードルを超えるまでは、自分のかけた時間や努力量はそのままダイレクトに反映されるのが語学学習です。

この意味で、ジムに行って愚直にダンベルをあげた分だけ筋肉がついていく筋トレとかにも通ずるものがあります。


まとめ

以上つらつらと自分が語学学習に対して抱えている思いを書いてみました。

語学は地道な「継続」によって習熟され、
学習の機会は「平等」に与えられる。

語学を学ぶことで、自分の世界が広がる。

ということになります。

英語を勉強することはもう言うまでもなく当たり前のことで、それが自発的にできないと自分の競争力は確実に低下するでしょう。

また、競争力というような意識の高めな観点ではなく、英語ができることで楽しいことが増えるということをもっと認識するべきだと思います。

また、もしどこかの国の食や文化などに興味があるのであれば、第3ヶ国語として他の言語を勉強するのも、自分の人生を豊かにしてくれるものだと信じています。

私の場合はそれが中国語であり、これからも勉強を続けていこうと思っています。

語学学習は継続によってのみ習熟度があがるため、ある意味残酷なくらい平等です。

なにか継続的に勉強して自分のスキルが上がっていくことが本質的に好きな人には、おすすめの勉強分野だと思います。


それではみなさんも良い語学学習ライフを。

今回はこの辺で。

kenmaro


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