加藤豪・矢田滋

加藤豪 1964年生まれ。美術家。 【主な展覧会】2008年、釜山ビエンナーレ(釜山市…

加藤豪・矢田滋

加藤豪 1964年生まれ。美術家。 【主な展覧会】2008年、釜山ビエンナーレ(釜山市立美術館)。1997年、デ・ジェンダリズム展(世田谷美術館)。  矢田滋 1980年生まれ。美術批評家。アメリカ戦後美術が特に専門。20世紀美術全般、現代美術全般を研究対象にしています。

最近の記事

加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡

80年代以降のアメリカ西海岸美術について (1) 2020/2/16~18 Y「こんにちは。ボナールとコート―ルドの展覧会の絵について次にやろうという話がすでに出ていますが、個人的には、これも何度か話題に出た「80年代以降のアメリカ西海岸美術」を往復書簡でやるのもいいのではないかと思いました。ちょっと急な提案ですが。ひとつには加藤さんが『工藤哲巳について(2)』で論じていたマイク・ケリーにおける「ギリシャ性」と「シュルレアリスムの病的さ」のアンヴィバレンスの問題をそこでもっ

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      工藤哲巳について (3)  2020/1/29~2/3 K「私は「みずゑ」のバックナンバー(’72年12月号)での工藤哲巳と針生一郎との対談記事を再読し、現代文明で人間生活が消費やセックスなども含めて機械化しても、主体のコンプレックスだけはしつこく残るという話を工藤がしていて、現在にも大きく当てはまると思いました。周りの美術家や、あるいは新進のギャラリストを見ても、美術の「正統」などは極端に度外視し、機械的に自己の欲望に忠実に行動することに居直ると同時に、その背後に多くはマ

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        工藤哲巳について (2) 2020/1/13 K「作品の内在的な面から。私の今の主な関心は、日本人の美術家が作品の中で表す「自己像」ということで、工藤作品に繰り返し現れる、萎えた男根や、それに類似した昆虫の幼虫とか、軟体動物、あるいは海の無脊椎の生物、これらの表象は、以後の世代の日本の美術家の「自己像」としても繰り返し現れているのではないか、という私の観点です。なぜそうなるのか、ということ。バタイユが自身の思考の前提として語った、「正統な馬」ではないもの。工藤から影響を受

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          工藤哲巳について (1) 2020/1/7 K「マイク・ケリーの工藤哲巳についての文章は、矢田さんは読んだことがありますか?」 Y「はい。アメリカのウォーカーアートセンターでの工藤の回顧展カタログに、ケリーが彼とボイスに影響を受けたと書いた文章が掲載されていたので買いました[1]。」 [追記1] TETSUMI KUDO Garden of Metamorphosis Walker Art Center (2009)のこと。 K「マイク・ケリーがボイスにも影響を受けた

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          テオドール・ジェリコーについて 2019/12/30~2020/1/3 K「矢田さん、こんにちは。前回の「エドゥアール・マネについて」で会話した「全光」の問題から派生する形で、私が主に想起した画家にテオドール・ジェリコー(1791 - 1824年)があります。矢田さんがおっしゃった「ピサロとかセザンヌのいろいろな捉え方への曲がり角」、またはその前の位置に該当するかと思いますが。近年私はジェリコー(または、写真家ではロバート・メープルソープ等)に関心を持っており、「全光」で

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          エドゥアール・マネについて 2019/12/25~27 K「矢田さん、こんにちは。ちょっと伺いたいことがあるのですが。東京都美術館の「コートールド美術館展 魅惑の印象派」(2019年9月10日~12月15日)ってご覧になりました? 来年の1月3日から愛知県美術館にこれが巡回するので、見に行こうと思うのですが、目当てはセザンヌが2点ほど来るのでそれと、好きな作品ではないですが有名なエドゥアール・マネの『フォリー=ベルジェールのバー』、この現物を見るのは私は初めてで、矢田さんは

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