加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡

テオドール・ジェリコーについて

2019/12/30~2020/1/3

K「矢田さん、こんにちは。前回の「エドゥアール・マネについて」で会話した「全光」の問題から派生する形で、私が主に想起した画家にテオドール・ジェリコー(1791 - 1824年)があります。矢田さんがおっしゃった「ピサロとかセザンヌのいろいろな捉え方への曲がり角」、またはその前の位置に該当するかと思いますが。近年私はジェリコー(または、写真家ではロバート・メープルソープ等)に関心を持っており、「全光」ではないそれ以前の、事物に当たる「特定の光源位置」としての、「斜めからの光」(や、極端な場合は「真横からの光」)の問題が表れている、共通性として。
分析的に言えば、事物に対する特定の光源が斜めや横からの場合、光が直に当たった所と影になった所の、主に間の部分に事物の持つ(ざらつき等の)質感、または事物の形体上持つ入り組んだような特徴、それが明確に表われ出るということがあると思います。反対に、美術史をそのように「全光」とそれ以前と区分した場合、全光以後は、以前に存在した私が上述した問題系が消え、代わりに事物の表面が持つ「模様」的な要素が全面化し、結果全ての表情的なものがのっぺりする、という感じを私は持っています。
ジェリコーの作品を多く所蔵しているのは、ルーブル美術館のようですが、私はルーブルに行ったのは随分前で、その時点ではジェリコーのことを意識はおろか存在すら知らなかったので、実物を未だ一つも見たという記憶はありません。以上に書いたのは、画像のみでの判断です。かなり関心が引きつけられるのです。矢田さんは、ジェリコー作品の現物をご覧になったことがありますか?」

画像1

『突撃する近衛猟騎兵士官』(1812年)ルーヴル美術館

Y「ジェリコー騎馬の絵とかいいですね。ただ、私は本物を一点もみたことがないです。」

「一点思いついたのは近代美術館でデヴィッド・スミスの彫刻の塗装がスポーツウェアみたいと思ったのがある[1]のですが、それはアメリカ的な発想だとちょうどスポーツウェアのおしりのあたりとかが加藤さんの言われるところの光源に対する光と影の中間になるからなのでは、等とおもったことはあります。」

「ルーブル美術館にある『メデューズ号の筏』(1918~19年)は、人がその場にいる写真でみると、そのサイズ感というか、スケール感に驚かされます。加藤さんが画像で示しているのは、『近衛騎兵隊の士官』(1912年)もルーブル美術館にあるもののようで、『メデューズ号の筏』と隣り合わせて展示されることがあるようですが、写真からでもうかがわれるそのスケール感に驚かされます。一枚の写真フレームに収めるとよくわからなくなるような何かがありそうに思います。彼はフランスの初期ロマン派ということなるようですが。」

[追記1] 国立近代美術館に近年所蔵された、デヴィッド・スミス『サークルⅣ』(1962年)のこと。

画像2

『メデューズ号の筏』(1819年)ルーヴル美術館

K「サイズ、大きいんですね。」

Y「縦5m×横7mくらいだと思いますが、それだけでなく、人との対比で大きさを感じさせる性質のものに見えます。あくまで写真での印象ですが。」

K「そんなにでかいんですか!!!それはびっくりしました。『突撃する近衛猟騎兵士官』も、ある程度大きいんですか?」

Y「近衛猟騎兵士官は、縦3.5m×横2.6mです。フランスの「歴史画」ってやたらとでかいですね。ダヴィッドの『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』もルーブルですが、縦6.2m×横9.7mもあるみたいです。原寸を画集に乗せるやつみたら、一人分の顔しかページにはいってなくておどろきました。」

画像3

『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』(1805–07年)ルーヴル美術館

K「大きいですね。それはちょっと、私も実物を見たら感覚の変更を要求されそうなものがありそうですね。ダヴィットの『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』は、ばかでかいという知識はありました。しかし、ダヴィットとジェリコーでは、画面サイズが大きいという点での、それぞれ意味が違ってくるように、私は思います。ダヴィットの方は、絵画上の要素が、羅列的に連続して大きいというか。ジェリコーは、より総合的に大きいという感じがするんですよね。これも空間性の把握力の問題になるでしょうか。」

Y「たしかに、ダヴィッドは物語性の公的な形式にぴったり収まっていそうな気がします。ジェリコーはそれが公的な形式でしめされるのではないものを描いているだけになにか良く分からないもののスケールを描きだそうとした感じがします。ここらへんの作品は、19世紀はじめなので、フランスの国民国家の物語を表現するものでありつつ、複製として絵画作品のイメージが流通して人々の頭を占めてはいない、という微妙な時代のものです。そこも実物を見れていないと良く分からないところです。」

K「なるほどー。」

Y「まあ時代性だけでは説明できない点もいろいろあると思います。国立西洋美術館のフュースリとミレーのデカい作品は、何度か見ましたが[2]、なにか幻想的な看板絵みたいです。「歴史画」の「正統」とぶつかるのを避けているような感じの絵です。」

[追記2] ハインリヒ・フュースリ『グイド・カバルカンティの亡霊に出会うテオドーレ』(1783年)縦2.7m×横3.2mと、ジャン=フランソワ・ミレー『春(ダフニスとクロエ)』(1865年)縦2.4m×横1.3mのこと。

K「ジェリコーは馬が好きだったようですね。Wikipediaに書いてありました。落馬して、ほどなくして若くして亡くなったとも。」

Y「そこらへんもロマン派の前身と言われる理由なのでしょうね。まあ作品も「動いている」感じがしますね。」

K「そうですね、動いている感じはダヴィッドと比較すると明瞭ですね。ほぼ、同時期でありながら、これだけ違ってくると。矢田さんが言うような過渡期であるということ。」

Y「そうですね。「歴史画」といってもスケール感のあつかいが大きく変わっていくのは、当時のフランスの変動とか美術とテクノロジーの関係とかと深いかかわりがあるように思います。『メデュース号の筏』はみごとなピラミッド構図ですがそれと同時に場面の土台がうねっているという二重性を感じます。騎馬の絵画とかもそうですね。とにかくここらへんは実物でみてみたいです。」

矢田・参照ページ1。https://arthistoryproject.com/artists/theodore-gericault/sailboat-on-a-raging-sea/?fbclid=IwAR3iQp2WrXcnu-OTZ4DsJESShgz0JdDQkvEkn-aIe9C8PfToTZBY7rrkzGM

2。https://www.pubhist.com/w55460?fbclid=IwAR0eHCEyfWQWCic0o0kQ8JRXmGDT94dorcdSs2M_8wgppnaGH4Qejp0YQMk

K「そうですね、確かに。2点には共通性が、矢田さんから言われてあらためて発見ができます。」

Y「印象派になると「ジャポニズム」の影響で波の構図がでてくるので、そういう話に巻き込まれないで言葉でやるのは難しい感じがします。こういう部分も日本で論じるとキャッチ―じゃないというかなんというか・・・」

K「「ジャポニズム」→波の構図って、代表的な作品は何になりますか?」

Y「これですかね。あと関連して、クールベの波とか、ナビ派の平面化とか。浮世絵の影響がでてくると、人物中心の重要性が消えているし、ジェリコーとは違うはなしなのに言葉の上でどう区別するか、ですね。」

矢田・参照ページ3。http://blog.livedoor.jp/a_delp/2017-12-26_Monet?fbclid=IwAR16HzDVUQo3byBoJfvzGdv6CtpS0NgOyEsY3dVJ2JFR-RPPhhJr77zHrXI

Y「たとえば、国立西洋美術館は、ルーブルにあるような歴史画のマスターピースがないせいか、あるいはナショナリズム的な動機もあるのか、西洋のロマン派あたりからジャポニズムに西洋絵画が影響を受けるあたりの流れをいつもヌルっとつなげて常設しているとおもうのですよね。」

K「ああ、本当だ。対応関係が分かりますね。ただ、一気に、ジェリコーから、ストレスが軽くなりますね。クールベの波は、中間っぽいですね。」

Y「もともと浮世絵の構図に、日本の絵画の近代化のひとつの表れという側面があるし、モネが近代的な明るい色彩でやるジャポニズム的な模倣作品は二重に軽量化した感じがします。」

K「「人物中心の重要性が消えていく」、というのも、あらためて感じさせられますね。鑑賞する主体が、描かれている人物に同一化不能になるという、一つの切断の地点でもありますね。」

「同一化の問題は、以後、映画の方に移行してくのか。」

Y「そうですね。「演劇性」というと薄っぺらいですが、比較として、絵画で人物を描いてそれまではなにかがあったのに、という空虚感を後の絵画に読み込むことができるように思います。」

K「「国立西洋美術館は、ルーブルにあるような歴史画のマスターピースがないせいか、あるいはナショナリズム的な動機もあるのか、西洋のロマン派あたりからジャポニズムに西洋絵画が影響を受けるあたりの流れをいつもヌルっとつなげて常設している」、この辺の矢田さんの問題提起的な見方は私は興味深いですね。」

Y「「西洋近代は浮世絵によって日本の美術を発見した」という言明だと、日本の歴史の厚みも芋ずる式に発見されたようですが、19世紀中期以降、実際には「フランス絵画の近代性に資するような時代並行的な部分が」あくまで発見されたに留まる例が多いと個人的には思います。その点が、語るレトリックと展示法の両方でうまくカバーされてしまっている気がします。」

K「なるほどなるほど。発見されたのは(日本の)「厚み」ではないという問題点ですね。」

Y「そうですね。」

K「大きいですね、それは。そこを、レトリックと展示双方でぬるっと表象してしまうと・・。」

Y「高階秀爾みたいな世代の人は、とにかく日本にある西洋美術の存在とコレクションの経緯をアピールするところから始まっているので、そうする理由は分かるのですが[3]、その後が問題だと思います。」

[追記3] 高階秀爾は、美術館学芸員、西洋美術史家、評論家、芸術賞の審査員、美術雑誌の編集など多岐わたる活動を行う。1959年にフランスから帰国以降学芸員となり西洋美術館で二回在任、2002年からは倉敷の大原美術館の館長となる。日本の美術館関係者や観客にたいして「松方コレクション」の重要性を周知させた中心人物といえる。

K「そうではない、なにかざらつきのようなものが欲しいということになりますね、私の欲望としても。」

Y「なるほど。」



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