加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡

工藤哲巳について (2)


2020/1/13

K「作品の内在的な面から。私の今の主な関心は、日本人の美術家が作品の中で表す「自己像」ということで、工藤作品に繰り返し現れる、萎えた男根や、それに類似した昆虫の幼虫とか、軟体動物、あるいは海の無脊椎の生物、これらの表象は、以後の世代の日本の美術家の「自己像」としても繰り返し現れているのではないか、という私の観点です。なぜそうなるのか、ということ。バタイユが自身の思考の前提として語った、「正統な馬」ではないもの。工藤から影響を受けたと語るケリーは、私の観点からはむしろ「正統な馬」なのですね。」

加藤・参照ページ1。http://thewarehousedallas.org/identity-revisited/artists/tetsumi-kudo/?fbclid=IwAR0WJIc7efhxP3N6lAHOsVN1Vb9NGzHHVxnPCFQ_jYgLEXyuCGZLnL7MCkE

加藤・参考文献。ジョルジュ・バタイユ『正統的な馬』(「ドキュマン」創刊号、1929年)。
参照箇所
「ギリシア的とガリア的の二つの表現のあいだの関係は、最も完璧で最も正統的な動物の一つとして自他ともに許される馬という動物の、高貴な、正確に計算された形態に当てはめるとき、さらに意味深長なものとなる。たとえどれほど奇異に思われようとも、この点に関して次のように断言することをためらう理由はない。不思議な偶然の一致で、アテーナイを産地とする馬は、たとえばプラトンの哲学やアクロポリスの建築と同じ資格で、理想の最も完成された表現の一つなのだ、と。そして古典時代のこの動物に関わる表現のすべては、ある共通した尊大さを露呈しながら、ギリシア精神との深い類縁関係を謳うものと考えることができるのである。実際、その間の事情は、あたかも肉体の形態が、社会の形態、思想の形態と同じ程度に、一種の理想的な完成を、あらゆる価値がそこから発生するような完成を目指したかのようである。さながら、ギリシア哲学が具体的事実以外の世界で理想に対して独自に与えようと努めていた確固不抜の調和と階級制度を、これらの形態が徐々に満足させようと試みたかのようであった。いずれにせよ、崇高かつ断固たる思想が事物の流れを規制し誘導するのを、目のあたりにする欲求を誰よりも強く抱いた民族は、馬の姿を描くことによって、容易にその執念を表現することができたのである。もしそれが蜘蛛とか河馬とかの醜悪で滑稽な姿であったとすれば、このような精神の高揚に応えようがなかったにちがいない。」

「20世紀後半以後、美術の中に「ギリシア性」が一番生きていたのは、私はアメリカ美術だと思うのですね。日本には概ねそれが無いという、非対称関係をベースとした私の観点です。」

「(付随して)ちょっと思い浮かんだのは、だいぶ前に矢田さんと東京駅でマイク・ケリーについて話したときに、矢田さんが「(ケリーも含めて)なぜアメリカの(ある種の)スターたちは短命なのでしょう?」という問いがあり、私は「そうですね」という返答だけした記憶がありますが、内心には「ああいうバッド・テイスト系の悪ふざけをしていて、しかもそれで「成功」した暁には、それを以後も継続しなければいけないと同時に鬱じゃない」という私個人の答えがありました。今考えるのは、主に身体面ですね。病んでいる身体=無意識に繋がる表現という、ヨーロッパ由来のシュルレアリズムの公式が、作用している可能性について。」

「「キリスト教圏である」という文脈は、多く文字化されるのですが、アメリカの美術家にある(と私が見る)「ギリシア性」が無意識の部分なのではないか。例えば、「自己への配慮」(=ソクラテス)。」

Y「こんにちは。返信おくれました。「病んでいる身体=無意識に繋がる表現という、ヨーロッパ由来のシュルレアリスムの公式が、作用している」という指摘は興味深いです。加藤さんがいわんとしているのは、より複合的な感じですね。シュルレアリスム的な定義があると同時に、アメリカ美術にあるという「ギリシア性」が、無意識の部分をも含んでいるから、お互いの定義に通じ合わないところがある、ということでしょうか?」

「シュルレアリストの問題は、病んでいることに意味を見出すというのはその通りだと思います。ただ、おそらく第二次大戦などの大きなイベントがあって結果的にそうなってしまった、という部分はあると思います。つまりニーチェ的な超越が歴史の結果としてなくなってしまったというか。この点でボイスの戦後の独自な存在感などにつながっていくと考えます。」

K「そうですね、ケリーの精神、身体上で、複合的なヨーロッパ由来の作用があると私は見ています。一つには、ドラッグの使用が(おそらくは一面では鬱病治療という名目があるにはせよ)あるのではないかと私は想定するし、もう一方では作品の形態上で、工藤作品に比べても圧倒的に基礎的な(例えば、私がそれを「ギリシア性」と呼ぶ)フォーマルな要素が圧倒的に強いと思うのですね。構成力とか、あるいは色彩に関しても。総じて、知的な抑制が効いているというか。」

Y「ケリーはいろいろな様式をゆるく使いまわしているようで、全体がピッタリとはまっていて結果として空間的になる感じが凄いです。前期がそうだと思うのですが。そしてそれは技巧的にひねろうというわけでもないというのが不思議な感じです。」

K「「空間性」がちゃんとしているんですよね。」

Y「ヴィジョナリーであるのから逃げないところでシュルレアリスムと親近感はあるのですが、幻想のための閉じた場所をつくるのとは対照的なので空間的でもあると思います。」

「「空間」の出し方が虚というか、表向きのイメージの表示を否定するみたいに出てくるのも独特だと思います。トータルでみると、イメージが最終的に貧しくなるというか。」

K「「第二次大戦などの大きなイベントがあって結果的にそうなってしまった」という部分は、私も大きな要素だと思います。私はバタイユの戦中日記としても読める『有罪者』や、または同時期の『内的体験』『ニーチェについて』を読んできていて、または少しそれ以前の時期の「ドキュマン」編集時のバタイユの周辺に集まってきていたシュルレアリストたちのことを、主に考慮しています。」

Y「バタイユとマッソンは初期はかなりフランスのカトリックに肩入れして超越を追い求めている感じですが、政治的な展開に不満があるのか、1920~30年代なんともいえない独自路線になってます。マッソンは写本の美術の研究で出発しているみたいです。」

K「ケリーの「ヴィジョナリーであるのから逃げない」というシュルレアリスムとの親近性の指摘、なるほど。」

「「空間」の出し方が虚」というのも、面白い指摘ですね。「イメージが最終的に貧しくなる」というのも。」

「バタイユ初期の『ランスの大聖堂』(1918年)ですね(私はこれは読んではいないですが)。マッソンも、そういう流れが共通してあったんですね。」

Y「シンプルさが重要と気付かせる感じがします。なかなか考えないようなところで。美術という枠がないとはいえバッドテイスト系のアートにサブカルチャーという枠はあるけど・・まあ難しいです。」

「シュルレアリストから共産党員もヴィシー政権擁護の人も両方あらわれましたが、バタイユとマッソンは多分文学的でも美術的でもないところでなにか大きなものがあると仮定して結びつく感じがします。歴史を逆算してみると、二人の活動にまとまりがあるようにみえるんですよね。」

K「「シンプルさが重要と気付かせる感じ」というのも、すごく面白い指摘ですね。工藤さんは、80年代半ばに帰国した後に、「自分はついついやりすぎたり、言いすぎたりしてしまう癖がある」という内容のことを、確かどこかで自己言及的に発言していたと思います。私自身、工藤さんと直に接触する中でも、それは感じていた部分なのです。」

Y「「ついついやりすぎたり、言い過ぎたりしてしまう」と本人がいっているんですね。それは「芸大的」な作品制作の方法論なども関わっているのでしょうか。工藤の絵画教育の系譜って本読んでもよくわからない感じですが。」

「カタログ読み返したのですが、ケリーの工藤に対する関心って、作品とパフォーマーが融合してみえるところにあるみたいです。作りこみの過剰さに関しては蛍光色を強く用いた時期の作品に注目することで不問に付すみたいな感じでした。」

K「元は「芸大的」なものに由来するのかどうかは、私は幅をもって検証はできないですが。例えば、榎倉康二さんは、会田誠を部分的にでも評価していたような形跡が私には見受けられるし、一番分かりやすい例は、村上隆さんのような埋め尽くすペインティングですが、村上さんの初期の「DOB君」あたりの時期に、榎倉さんは急逝しているので、どういう判断をしていたのか私には分からない所です。」

Y「写真ちいさくてわかりずらいですが、こういうやつの蛍光色の多用ですね。」

矢田・参照ページ2。https://www.stedelijk.nl/en/collection/3611-tetsumi-kudo-cultivation-by-radio-activity-in-the-electronic-circuit

「埋め尽くすのは海外にアピールするときに日本人の表現の定番という感がありますね。それに美学的な意味があるのか、社会学的な意味しかないような気もしますが。」

K「これは実物で見ました。アムステルダムで。」

Y「そうなんですか。カタログみると、なんかここらへんと70年代中期以降はまた違う感じがしないでもないです。」

K「この緑色の蛍光色をよく使っていますよね。象徴性で、ブラックライトや蛍光灯とのペアにより使っているのでしょうが、押しが強い感じですね。」

「70年代中期以降は、工藤さんは一つの転換点というか、一つの大きな境目だと思います。」

Y「会田誠の場合、ゴチャゴチャと描きこむこと自体より、色のはまってなさが気になります。まあ「日本洋画」の背景からそれを肯定するみたくなるみたいですが。」

K「「埋め尽くすのは海外にアピールするときに日本人の表現の定番」というのは、その通りですね。」

「会田誠と村上隆の差異と言うなら、おそらくその辺になりますか。村上隆は、そういう意味で海外に持って行く時の日本人の「正統」なのですね。」

「だから、草間彌生のことも考慮すると、「芸大」の問題には必ずしも還元できないということに、なるのかと思います。」

Y「色彩的にモダニズムに接近したといわれる戦前からの坂本繁二郎の絵画とかも、近似値を追っただけで、初期の書き込み優位の教育法からずっとすれ違いがあるという感じで、「日本洋画」を振り返ってからそういう指摘がしたくなる気持ち自体は分かります。村上はそこからは抜けたかった感じですね。というか日本画出身でもあるし。」

「なんかわかりづらくなりました。色彩のハマってなさの話です。」

「ケリーもアッサンブラ―ジュ性の類例で草間を出していました。」

K「「近似値」を追っただけの「モダニズム」という、日本人にとっての痛い指摘と、そこからの飛躍としての、椹木野衣さんの「悪い場所」論、と村上隆さんその他の日本の美術家たちの「正統」という話ですね。」

Y「そうですね。椹木の「日本・現代・美術」は、そこから文壇的な議論に引きずり込んでいく感じでひどいですが。」

K「ケリーの日本人美術家へのそのような複数の言及を見ると、私は個人的には、第二次世界大戦の戦勝国の内にあるケリーの倫理観のようなものを、感じてしまうのですが。」

Y「それはあると思います。ということは同時にアメリカ人にないと日本人がおもっていた歴史的な屈折の感性があるので、思考のありかたとして、逆にアメリカの落陽を感じさせる人物でもあると思います。」

K「坂本繁二郎の作品は、今まで注意してみたことが私はなかったのですが、画像で見るとボケボケですね。工藤哲巳の先ほどの緑色の比較的大きい立体作品も、あらためて見ると蛍光色とか使って押しが強いだけで、ボケボケですね。」

「先ほどの、私の言葉では日本人の「空間把持」能力の限界の問題と、「色のはまってなさ」(=基礎的なバルールの問題)は、両者当然関係するのですが、個別に今後考えていかないと私は難しいかと思いました。」

Y「坂本繁二郎は、描写用の色が限られていて、そこから離れる挑戦をするほどいろんなパラメーターに甘さが出てくるのが、画集なんかでみて分かりやすいと感じます。」

「なるほど。まあ自分もそれほど専門的に考えているとはえないのですが、それぞれに別の背景があるのはその通りかもしれないです。」

K「ペール色な感じですね。自己の「持ち色」みたいに意識で作り上げると(工藤の「蛍光色の多用」もそうですが)、必然的に狭くなるという感じがします。ケリーの場合はそれがあまり感じられず、むしろ色彩というもののトータリティを感じる。」

Y「「色の問題はモダンペインティングでも一代限りの探求でないのに、日本だと一人の画家の個性の問題にされ過ぎだというのはよく思います。」

K「そうですね。」

Y「ピサロからセザンヌとか、モローからルオーとか、うまく比較できている本とか見ると、必ずしも同じ探求している訳でないですが、何かが受け継がれて、頭でっかちからもアカデミズムからも離れようとしている説得力もでてくる気がします。」

K「「空間把持」の問題は、基本的に私は、例えば訓練するならモノクロトーンで考えていかないと、できないのではないかと思うのです。」

Y「なるほど。」

「ペール色の問題は、ぶっちゃけ、使っているほうが「外国のいろ」だと思ってフェティッシュ化に行きやすい風にみえます。」

K「だから「ピサロからセザンヌ」等々の、客観的レベルで見られる継承性というのは、「個別の自己を盛り立てる」=「自己救済の神話」を超えた何か共有部分がないと、成立しないものだと私は思うのですね。」

「「外国のいろ」という、イメージ・レベルでの使用ですね。」

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