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166㎝ VS 2m43㎝ no,5

ずっと明かりの見えない雑草の中を
ひたすら走り続けてきて
春高には手が届きませんでしたが
たくさんのバレー猛者達が
一定の評価をしてくれたことは
かけがえのない財産です。
交換したTシャツは50枚になり、
インスタフォロワーも800人近くなりました。

M高校(I県)の子が
「一緒にS大学(東北地方)でバレーやろう」
と誘ってくれたこと、本当に嬉しかった。
オープンキャンパスに行き、
とても楽しかったようですが
本人は将来なりたい中学校教師と整体師、
両方資格が取れるバレー部のない大学を
選択しました。

なぜ先生なのか。
中学生の時、不登校だった子を
校外学習と卒業式に出席させたことが
きっかけです。
担任の先生の希望が
「クラス全員一緒に卒業する」
ことだったのでそれを叶えたかったのと
「自分ならもっとできる」
と思ったそうです。

整体師は腰椎分離症で整体に通って
お世話になったのがきっかけです。
何がきっかけになるかわかりませんね。

身長が160㎝台でも高校までなら
やり方次第で全国に通用する、という
手応えはありました。
周りと身長が20㎝くらい違うので
跳ぶタイミングが違うこと、
メータージャンパーだったこと、
打ち出しが速いこと、
眼がいいのでジャンプした頂点で
穴をすぐ見つけられて
コースの打ち分けができたこと、
ブロック指3本上を狙ってブロックアウト・
サイドアウト取ること等々。

その反面
背が低い分毎回全力で跳ばないといけない
ので体力の消耗が激しく、
春高予選決勝は足がつる寸前で
あまり跳べてはいませんでした。

もし全国に行けたら
「身体の小さな子ども達に夢と希望と
勇気を与えられる!」
(上から目線みたいな物言いで申し訳ない)
と思ってました。

身長が低いからリベロ、ではなく
"アタッカー"という選択肢。
アタッカーはみんなの憧れのポジション
ですからね。
アタッカーで起用してくださった
監督には感謝しています。

過去全国で男子で160㎝台のアタッカーは
いなかったと思うので
その壁を打ち破るのが我が子であって
ほしかった、というのが本音です。

主人は「個人技スポーツだったら
もっと違ってたかもしれない」
と言っていましたが、
バレーがとにかく大好きなので
得意なことより
自分が好きなこと・やりたいことを
する方が結果は伴わなくても
人間幸せなんじゃないか?
と最近は思います。

主人も高校時代、
169㎝のエース兼キャプテンでした。
元祖です笑
C県は昔から強豪ひしめく激戦区で
県ベスト8が最高だったそうです。
実業団上がりの監督で
平手打ちはしょっ中で
口から血を流した状態でコートに立ったり
して相手チームが引いていたそうです笑


以前、次男が所属している
リトルシニアの進学相談会で聞いた話
ですが、
強豪校はスカウト(特待、推薦)で獲得した
選手を優先して起用する傾向があり、
一般入試で入ったとしても
充分なチャンスを貰えない場合があることや
中2の新人戦で有望選手をピックし、
中2の3月には進学先が内定しているので
夏の部活動体験で推薦をもらうことは
ほぼないこと等初めて知りました・・・

私が知らないだけで
スポーツ推薦受けるような子達の中では
暗黙の了解なんでしょう。

"知っていたらチャレンジしなかったか?"
何がよくてどちらがいいのか
私にはわかりません。

野球とバレーではジャンルが違いますが
推薦の形態は大差ないと思われ、
子どもが出場したのは異例中の異例なんだ、
と後から知りました。


後日談ですが
受験しようとしたM高校(N県)、
もう関わることないだろうと思っていましたが監督同士が繋がっていて
しょっ中練習試合してました笑

私の亡くなった祖母の住まいがN県、
主人の亡くなった祖母の住まいが
我が子が通ったI県A町でした。
進学先をそこに決めたのは
"祖母がひ孫にあたる我が子をきっと
見守ってくれる"
と思ったのも決定要因の一つでした。

同じ中学バレー部から2人、
コロナ禍毎日一緒にバレーしていた
N市の子1人が
A高校(C県)に行きましたが、
バレー部の監督と我が子のK高校の監督が
兄弟でした笑


将来、160㎝台の男子アタッカーが
全国出場すること、
今か今かと楽しみにしています。

目指せ!
リアル日向翔陽!
リアル星海光来!

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