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未来にやりたい事があるから、死にたくないと思った。

(途中に出てくるゲームの専門用語については全然説明していないので、訳がわからない人はご自身で調べるか読み飛ばしてください)

画像は父のリハビリに使われる予定のお手玉。小さい頃に遊んだことはあれど、自分で作るのは初めてだった。風車のような、4枚の布地を縫い合わせて、洋裁の立体把握がめちゃくちゃ苦手な私でも、そう苦労する事なく作り上げられた。インターネットに作り方を書き残しておいてくれた先人達よ、ありがとう。中身の小豆は手に入らなかったので、ジェルキャンドル作りのパーツになる細かい丸いガラス的な素材を中に詰めた。40グラムで丁度よかった。

9月に父が骨折して、10月にリハビリ病院に移って、11月10日に退院予定で、退院後もリハビリは続くので、その為の準備を家族でしている。

私は足首に巻くタイプのリハビリ・筋力トレーニング用の重りを選び、足の指を動かすリハビリの為にこうしてお手玉…お足玉?を作っている。足の指で摘んで、持ち上げたり、また置いたりするのかな?自分もそういうトレーニングをした方が、何もない所で躓いたりするような動きの鈍さが解消されそうでいいかも知れないな、なんて思う。とっくに成人を迎えた引きこもりがちの私の体はもういい加減衰えている。両親の方が運動できているんじゃないかってレベルに。

コロナワクチンの副反応も全然辛くなかったなぁ…。妹は2回目の初日夜がとても辛かったそうで少し心配した。3日も過ぎた今日はだいぶ元の具合に戻ってきていたからよかった。

もうコロナとかワクチンの話したくないなぁ。結局姉とは和解したかと聞かれたら、できていないんじゃないかと思う。兄のことも放置している。

話し合いの場を何度設けても、不安を煽られてワクチンに抵抗を覚えた人間の恐怖心を振り払える術がないんだもの。私達とは前提が違うんだもの。世の中って結構そういう場合多い。この間仕事の引き継ぎでもそういう事があってもううまくいかなくてうまくいかなくて辛くて心が死にそうになった。その話は別の機会に書けたら書く。

能天気な姉(過去の記事で姉に対して自分が使った悪い言葉と良い言葉を思い出して導き出した現時点で思う私からの姉の印象を一番表現できている言葉)とは、以前よりは話し合いをしたものの、結局私達がどう言っても、彼女が反ワクチンの友人から与えられたワクチンに対するデタラメな恐怖心を手放してもらうことは出来なかった。

それならもう、姉が打ちたくないと言うなら、無理やりに予約を取らせて接種会場に連れて行くなんて子どもの歯医者じゃないし、できないので、諦めるかと思って、そのまま「世界規模のニュースとか調べて新しい情報も入れているけど自分は(接種は)様子を見ようかな」という兄のことももうそれ以上踏み込む気力もなくなって、上2人の兄姉のことは知らねぇ、付き合っていられねぇ。と自分は結論を出して、考えることをやめた。

姉の方は途中悪くない流れで説得できそうだったのに「食の趣味がぴったり合うから」という理由で、件の友人と2人きりで日帰り旅行にでかけ、友人の思うワクチンの危険性について旅行中も聞かされたに違いない様子で、その後の私達下の姉妹二人のワクチン接種をやめさせたがったので、もう、私は、その友人と姉の縁を切らせるよりも(勿論そんな権利私にはないが)、私が姉との縁を切れればいいのにな。と思った。

姉は以前、ワクチンを打った方がいいと心配する私達家族と、ワクチンは危険だから打つなという友人の板挟みになり「私がどちらを選んでも否定されそうで何も言えない、もうどうしたらいいのかわからない」と泣き出して、そこで私は姉が追い詰められている事を知って、なんとか寄り添いながら、コロナの危険性から彼女を僅かにでも助ける可能性を上げる為にワクチンを打ってもらうにはどうしたらいいんだと改めて頭を抱えた。

それで、まず寄り添うところからやっていかないと話すら聞いてもらえない、信頼してもらえないと考えて、それからは言葉を選んで少しずつ少しずつ説得しようとしてきたのに、結果はこの様だ。私だけじゃない、妹に一番しんどい役目を負ってもらって、妹を苦しめた事を自覚したからやっと私は動き出せたのであって、1人なら姉と積極的に関わり合いになんてなりたくないと普段から思っていたから、だからうまくいかなかったのだ。これまでも、ここでも。恐らくこれからも。

話す機会は増やす。溝はある。埋まらないレベルの溝がある。価値観とか、理解は出来ても共感はできないことがある。逆もある。

話はする。けど、姉も1人の人間で、辛いこと楽しいこと、守りたいもの、こわいもの、大事にしたいもの、手放したくないものがあって、それは俺と同じでは決してなくて、そして俺は姉の事をもうほぼ理解したくないと思っている。いいよ、姉に私の常識が通じなくて。私も姉の常識を否定するから。口には出さないけれど。姉の心まで壊したくはないから。自分から悪人になりたくないと言うよりは、心が壊れたら本当に人間は困るから。姉まで無闇にこちら側に来させたくない。それだけの話なんだ。

題名の話をする。

最近、Twitterのフォロワーさん達とTRPGで遊ぶようになった。住んでいる場所も関東組と関西組で、全員ではしょっちゅう会える訳でもない人達だが、今時のTRPGは昔のように集まって机を囲んで紙のキャラクターシートを広げて遊ぶものではなく、インターネットを介して各々の環境から事前に用意したサーバーなどに集まって遊ぶものになったから、スケジュールさえ合えば、どこにいる誰とでも一緒に遊べる。

私は元々夜更かしな生活をしている癖に、夜更かしはいけないことだと思っていて、明るい時間に活動を始めて、夜は早く眠るのが正しいのだと思い込んでいて、かつ、それができない自分は落ちこぼれのダメ人間だと思って生きてきたので、大体が夜〜深夜になる社会人のセッションに参加する事自体にまず抵抗と遠慮があった。

この考え方は自分にのみ当て嵌めてそういった自分を否定し奮い立たせたいが為の考え方だったので、過去も現在も、同じように過ごされている人を否定したい訳ではないのだが、この文章を見て気を悪くされた方がいたら申し訳なく思う。あなたの事ではないです。これは私の事です。

そして、そんな考え方で自分を追い詰めても、結局奮い立つ事もなく、ただただ自己否定を繰り返し理想的な人間になれず、自分を責め続けるだけの最悪の状態が続いていた。私のこの考え方は自分で生み出した精神の地獄だった。

こんな考え方を持ったこんなダメな自分が、声をかけてもらっても断るばかりですみません…と、自分を追い詰めて他人と距離を取りたがる悪循環のドツボにハマっていた時期があった。今年の春先に恋人と別れて、別れたかったそれまでに抱えていたストレスと、別れを切り出すストレスで、恋人と別れた後数ヶ月虚脱状態になり、なんとか立ち直り、めちゃくちゃ落ちた筋力とか、いつ再開できるかわからない仕事=現状収入無しとか、その時抱えていた問題は何も解決してはいなかったが、なんか「もうええか」と思って、とりあえず元気にならないと何も始められない、働くこともできない。まずは楽しいことを楽しめる余裕を取り戻さなくては、と、そう思ったあたりから、ダラダラゲームをしたり、時々家事をしたり、家族の仕事の些細な手伝いをしたり、目の前のことをこなして日々を過ごして、少しずつは元気になってきた。これが夏の頃の記憶なのでこの後に姉コロナ陽性騒動が起こるのだがそれは別記事にもう書いているからここでは置いておいて。

「ダメな自分を肯定しよう」と思って(それはわたしにはなかなかに困難なことなのだけれど)夜ふかしもそうなってしまった日はそういう日とし、寝過ごしても洗濯物は畳んだからよし、というように、ダメなところだけを見ないで、自分ができた何か小さなことでも認めて肯定してやるようにした。そうしているうちに否定と肯定のパワーバランスが半々くらいになってきたので、私はいよいよ、フォロワーさんのお誘いを受けた。自己肯定感の低さから度々断っていた(そしてその度に更に自己肯定感を失っていた)本当は大好きで一緒に遊びたいフォロワーさんからの、クトゥルフ神話RPGシナリオへの誘いを、受けた。

TRPGは楽しい。やるほどに楽しさの奥深さがわかってくる。今日もそれで衝撃を覚えたので、こうして記事を書きにきたのだ。

やってみたいシナリオがある。沢山ある。やる為には、既にそのシナリオを経験した人に付き合ってもらい、ゲームの進行役になってもらい、自分がプレイヤーとして遊ばせてもらわないといけない。そうして遊び終わったら、望むなら自分も、別の人が楽しく遊べるよう、進行役になれるようになる。今、プレイヤーになりたいので、進行役は頼めそうな人がいるが、一緒にプレイヤーになって遊んでくれる人をみつけないといけない。そしてその人たちとスケジュールを合わせる必要がある。ここがネックで、TRPG初心者の私は、一つ一つのシナリオを遊ぶのに精一杯で、セッションの予定をカツカツにする余裕がない。でも周りの人達は、もうずっとTRPGを遊ぶようになって長いから、先の先まで予定が詰まっている。来年のいつ頃に〜とか、そんな具合。今日は半年先の話をされている方がいた。結構普通にこういう事がある。

で、だ。一緒に遊びたい人達は先の先まで予定がある。だから、私と遊んでもらえそうな日が来るのは更にその先ということで。

でも私は、知らない人がいたっていいけど、物によっては、親しい人達と苦楽を共にする狂気の冒険がしたい。叶うならあの人やこの人と是非あのシナリオをご一緒したい。そんなことを考えていたら、いつくるかまだ未定のその日を信じたくなった。未来があると思いたくなった。その日が来るまで死にたくないなと思った。それから先も、長生きがしたいなと思った。

人と交流したいのだ。社会の目がこわい、なんて、物事を大きく捉えて怯えて引きこもってきたけれど、簡単なことで、やっぱりそうかとも思うことなんだけど、人と遊ぶのは楽しいのだ。私はみんなと遊びたいのだ。

やっと半々くらいの自信と、やりたい事とやりたくない事がわかってきた。やり続けたいと強く思う事もわかった。だから長生きがしたい。今はドンピシャに月経で貧血だから、あーあチクショウと思うけど、これから寒くもなるから夏よりはどうしても気が滅入るけど、冬の間の死にたさはいつも首元にいるけれど、死にたくないのだ。未来を生きたいのだ。こんな気持ちは久しぶりだ。未来に希望を抱いたのは。

とりあえず、肩凝りがえぐいので、まずは地味〜なストレッチでもして、嫌いだけど筋トレも少しずつして、長いこと遊べる元気な体を手に入れたいぞ。手に入れるぞ!と断言できないのはもう性分なので許してほしいが、努力はするよ。自信だって、半分くらいはついたんだから。

長くなった。

今日はこんなもんで。

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