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コロナウイルスが気付かせてくれたこと

「コロナウイルス」
このウイルスがいろんな分野において行き詰まった世の中で生まれ広まっている事は、偶然ではなく、どこか必然的なものかと感じたりもする。

人間の生き方。お金のあり方。教育のあり方。「普通」とは何か。時間の存在。生きるとは。仕事の本質とは何か。健康の大切さ。

外出自粛されたことにより、普段当たり前だったことがそうではないと気付かされる事もあった。
この状況においてどう感じるかは人によって違うだろう。
その違いはこれまでの世界において、人種も違えば、家庭環境、文化など様々な面で区別されてきたことによって生まれたものではないだろうか。
その区別がなかったらどうだろうって考えたりもする。

はたして、ウイルス発生前の人間社会のままでいいのか。
はたまた、今後の改善をしていくべきなのか。
この問いは⚪︎×クイズではない。
だから、以下の意見はあくまで私自身の見解である。少しでも興味をもっていただけたならありがたいと思う。

人間が幸せを感じる瞬間というのは1人1人違う。

他人からの感謝により幸せを感じる人。
新しい知識の習得により幸せを感じる人。
人に認めてもらうことが幸せだという人。
絶景を眺めることが幸せという人。
「楽しい=幸せ」という人。
ビール片手に野球中継が見られれば幸せという人。
家族との時間があれば幸せという人。
生きているだけで幸せという人。
旅行先でいろんな人に出会うことが幸せという人。
夜に一人で好きなミュージシャンの音楽を聴く時間が幸せという人。
推し活が幸せでたまらないという人もいるだろう。

人の幸せを感じる基準、場面は人それぞれだ。

一人一人が幸せを感じながら過ごせる世の中。

みんなが笑顔で毎日暮らせる世の中は想像しただけでもニヤニヤしてしまう。

しかし、人間の感情にはいろんなものがある。
例えば、「無」「怒り」「悲しさ」「嫌悪」「驚き」「恐れ」など。

幸せな時にほとんどの人が感じるであろう「嬉しい」の感情だけで過ごしていくことは不可能だと思う。
人間が「嬉しい」の感情だけで生きていくとどうなるだろうか。
おそらく、「嬉しさってなんだっけ?」
こんな感じになるのではないだろうか。
これはあくまで私の予想である。
他の感情を感じた上で嬉しさに気づく事で、初めて嬉しさに気づけるようになると思う。

そういった観点から考えると、人が暮らしていく中で最も大切な事は

「自らの感情に気づき、さまざまな手段でそれらの感情を表現出来るようになること」

ではないかと考える。さらに、それが人間らしさにつながるのではないかと思ったりもする。

どのような方法をとれば身に付けられるか。

まず、感情の種類を把握し,その人自身が気づけるように意識を自分に向けられるようにすること。
次に、その感情の表現方法(例えば、表情、ジェスチャー、物を使って表現するなど)で自分に最適な方法を見つけること。
加えて、周りが制限をかけないよう自由な環境(区別をなくす)を提供すること。

これら3つの条件が揃えば身に付けられると考える。

これらの実現にあたり、人間社会の平等な環境づくりが必要不可欠である。
近年耳にするベーシックインカムの導入など、少なからずお金に縛られない仕組みの形成が現時点での最善策だと考えている。

ここまで読んでいただいた読者の中には、おそらく、理想論ばかり語っても現実をみなくては問題解決に繋がらないと思われる人もいるだろう。

しかし、まず理想論を語らないことには問題解決のスタートを切ることができないことを読者の方に認識していただきたい。

現実的に考えると、どこの誰かわからない一人間がこんなこと言っても実現する可能性は低いのだが、いろんな考えがある中の一意見という形でここに書かせてもらったつもりだ。

今の世の中は、とても便利な時代である。
しかし、ここで一旦立ち止まり今の時代、今の状況だからこそ人間の本質について再考する必要があるのではないかと私は考える。  

そんなことをコロナウイルスが人間に訴えているのではないかと、思ったり思わなかったりするのである。

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