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北川眞也さん(三重大学人文学部准教授)インタビュー後編・3

3.日本人のダブルバインド(逆説命令) 

 
杉本 日本なんかも鑑みるにドイツなんかと非常に近いメンタリティなのかなという感じもして。ドイツ人ほど自我が強いかどうかは分からないですけど。ですから、ぼくは結局は『ノー・フューチャー』の中の「世界中のひきこもりたちよ、団結せよ」の話で、これはなかなかうまいなと思ったんですけど。ダブルバインドの話ですね。

 
北川 はい、してますね。 

 
杉本 日本人の自由競争、自助努力主義、競争原理。本来であればそれと全然相いれない、共同体への順応主義とも書いてますね。天皇制の下での共同体順応主義、同一化に凶暴な競争意識を注入してきた社会とメディアの現実がある。これはダブルバインドになるでしょうと。当然そうだよな、って。「逆説命令」。「どのようにすれば私は競争する個人でありながら、広く行きわたった順応主義を重視できるでしょう」(P.254) 

 
北川 (笑) 

 
杉本 そりゃそうだよな、競争やってるんだったら順応できるわけないじゃん、という。言われてみると間違いなくそうだよな、って。ビフォさんが言ってることは今のグローバリズム経済ってまさにそれだ、ということですよね。

 
北川 まさにこれですよね。本当にこれは日本に限らない。 

 
杉本 日本が一番最初に適応性が高かったんじゃんかという話で。適応できなかったのがひきこもり。「エヘン」みたいな(笑) 

 
北川 どうですか?これは。 

 
杉本 いやあ、ぼくは。「よくぞ言ってくれた」みたいな(笑) 

 
北川 ははは。 

 
杉本 (笑)これを堂々と言えるひきこもりは。ちょっとまだいないと思います(笑) 


北川 それはやっぱり何かある? 


杉本 スティグマで。 


北川 やっぱり? 

 
杉本 ひきこもりは反社会的な傾向性が、と。だからぼくが思うのはアウトノミアの人たちとかオペライズモの人たちって堂々と、勤労精神ないわけでしょう? 

 
北川 堂々と勤労精神はないです。 

 
杉本 ははははは(笑)。それで結局、「従え」と言ったら喧嘩するわけじゃないですか? 

 
北川 まあそうですね。従わないよ、と。というか、行動が先にそうなっていますよね。言葉にすれば、「仕事嫌なんだから」です。「でもカネはほしいな、よこせ」と。 

 
杉本 (笑)。ひきこもりはビフォも書いてますけど、政治的に弱いというか、負けてますからね。自ら敗北しちゃってる、白旗上げちゃってる感じ。自分がやってることは良くないって。社会性がないって。その中で元気な人が「そんな話じゃない」って当事者発信という形でね。 

 
北川 ああ~。

 
杉本 ただビフォさんは心理的な要因は語っていないので。そこはある種「政治的に負けてる」という表現で彼らを救わなきゃということでつながるかなとは思います。精神的な弱さというか、自分で頑張って突っ張ってみても、やはりあるんじゃないかというのは思います。でもみんなあるじゃないですか?精神的な弱さは。 

 
北川 そりゃそうですよ。 

 
杉本 「逃げたさ」。毎日行きたくない、逃げたいというのはね。 

 
北川 うんうん。 

 
杉本 ツイッターでは氾濫してますよ。でも生活があるから我慢。家族があるし、誰も助けてくれないし、食べなくちゃいけないし、我慢だと。特に若い人はそうですよね。これはぼくがいつも年齢で年金がとか、甘い期待を言ってますけど、若い人はね。もう何十年先まで、年金もその時に幾つになったらもらえるかわからんぞみたいな。おそらく北川さんもね。思ったりする部分でしょう。 

 
北川 うんうん。子どもの世代というか、それのみならず、今では親がプレカリアートだったりするし、このままの世の中だと、その子どもがまたさらにプレカリアスだったりするのが傾向として増えいくしかないわけですよね。「格差」じゃないんです。それじゃ上から是正可能なような感じがしてしまいます。そうじゃなくて、問題は「階級」、階級闘争のはず。 

 
杉本 そうですよね。そう考えたらどこかで発想転換というか。いや、発想転換できるかできないかは簡単ではないですけど、認識の転換はしないとな、というのは思います。ぼくは北川さんに会えるということは、この本を書いた人(ビフォ)の翻訳をされている人なんだということで、自分の認識を少しずつ変えなくちゃいけないんじゃない?という意味ではそれを、ポスト・フォーディズム時代の問題を軸にして、で、ひきこもりもいったんは全肯定する。まあビフォさんの考えですね。僕自身は「ひきこもりの皆さん、これですよ」というのは胆力がないのでできませんが(笑)。でもお話をこうやって伺う形ででも、伝えていければと思うぐらいの本ですよ。 

 
北川 ほんまですか。それは本人は喜んじゃいますね。本当に。ひきこもりの経験者に読んでいただけるというのは本人も絶対に。 

 
杉本 思ってないでしょう(爆笑) 

 
北川 思ってないと思います。ひきこもりのこと、たぶんそこまでは知らないかも。 

 
杉本 ははは(笑)

 
北川 けどまあ、それをつかみとれるのがビフォの感性かな、とか。 

 
杉本 いいですよねえ。やっぱり想像力の深さですよね。 

 
北川 うん、本当にね。まさに拒否です。拒否、離脱の大切さです。それがどんな風に表現されようと、拒否、離脱のふるまい、そこは絶対に無条件に肯定する。安心してひきこもれるようになりましょうってことですね。 

 
杉本 だから結局、離脱であり拒否でありという話で行くと時代を先取りしているというか。例えば1980年代、すでに先駆的には欧米でグローバリズム経済にやられてアップアップしているという。まあ白人の社会で仕事がハイパーアクティヴに出来る人はパニック障害になっちゃうとか、精神抗薬を飲みながらガンガンやってるみたいな。 

 
北川 そうですね。そうですよ。 

 
杉本 そうやって働く人種もいれば、日本では無意識だけど抵抗の形として「ひきこもり」という形が出ているのかなぁ?だからまあもし展開として面白いのであれば、ひきこもりの人たちはかくかくこういう理由で私はひきこもっております、と。なぜなら今の資本主義社会が間違っているからです(笑) 

 
北川 それはすでに十分に政治化されていますね(笑) 

 
杉本 (笑)でもそういう言いかたしか、できないかなあ? 

 
北川 なるほど。でもそういう今の世の中のかたちがしんどい、不平等だし、嫌だという感覚。当たり前とされていることが、実は狂ったものでしかない。こんな世界に居場所はないぞ、いたくないぞというね。それは拒否の感覚です。 

 
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