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田中康雄さん(児童精神科医)インタビュー前編・1 健全な垂直関係の衰退と私事化


「待っていても来ない」ということ

田中:ひきこもりの大会のような集まりとかは、それほど私は縁がなかったのですが、不登校の親の会などとはずいぶん前から縁があったので、今回のひきこもりの親の会の全国大会*(KHJ全国大会.2019)に関わらせていただきました。

杉本:そういったことの延長で、こういう基調講演もあったという感じでしょうか。

田中:そうですね。ひきこもりの分野はちゃんと一生懸命にやっていないので。申し訳なかったと思っているんですけど。

杉本:いえいえ。先生も児童精神科医ということですし、ひきこもりとなると成人以降の話という感じでしょうから。でもどこからが不登校で、どこからがひきこもりかという線引きも難しいと思います。あえて言うなら、就学年齢という部分と、もう就学年齢過ぎというか、成人を超えた年齢でも外に出られないという人。まあニートという言いかたもありますから、そこも線引きが難しくて曖昧だと思うんですけれども。とりあえず葛藤ベースが強いという意味ではひきこもりの人の場合、成人で自責の念が強くて、親子の間でも両者ともちょっと整理がつかなくて苦しい、ということになりましょうか。

田中:ええ。

杉本:ひきこもりはやはり幅があるような気がするんですよ。けっこう外は出るけど働けないとか、バイトにつけないとか。その気になれないとか。そういう人も居るでしょうし、本当に家から出ることも辛く苦しい人まで幅がすごくあるんじゃないかという気がして。でも、おそらく医療機関に罹られるという意味では、児童精神科の領域、不登校のお子さんも幅がけっこうあるのではないかという気がするんですが。如何でしょう?

田中:そうですね。僕自身は1983年に医者になってから、かなり早い段階で不登校の子どもたちと会っていて、不登校に関しては、いろいろなかかわりをして楽しくやってきたというのも変ですけれども(笑)。子どもたちと遊んでいたりしつつ、やっぱり学校に行きたいのに行けない、あるいは「行きたくない」という強いメッセージを出している子とか、学校そのものというより、人とかかわることにすごく抵抗のある子とか、いろんなタイプのかたがいるので。確かにひと言で括れるものでもないし、そのかたの主義主張があってのことですから、それにつきあっていくというようなことをしてきました。ただ、ひきこもりというか、強い不登校の子で私のような者と会いたくないかたもおられますから、そういう状況と、ひきこもりのかたとの接点における難しさというのは共通していると思っていて、まず「待っていても来ない」というのがある。そうなってくると我々のような職種はもう「バンザイ」するしかなくて、せいぜいが親御さんに来ていただいて、お話を伺うと。それはひきこもりのかたでも不登校のかたでも狭い医療という枠の中でやっていることはあまり変わりがなくて、遠巻きに、間接的にそのかたの変化を待つというか、どういう風に生活されているかをただただ眺めているような状況にしか過ぎないのですけれども、そういう意味では似ている所が大きいかもしれません。ただ、一部の不登校のお子さんは親御さんの圧力に抗えないので、来てしまうというのはあります。

杉本:ははは(笑)

田中:(笑)そういう感じでしょうかね。違いといえば(笑)。

杉本:親御さんの圧力で来ざるを得ない(笑)。なるほどね。

田中:うん。そこはやっぱり弱い立場なので。

杉本:そうですね。養われている立場として。

本人ではなく、親のカルテを作ることもある


杉本:ちょっといきなり話が細かいようなところに入って申し訳ないんですけど、相談を持ち込まれるベースというのは、まずは本人が来られない場合だと親御さんが相談に来るというのは当然あるでしょうけど、別の形での相談があったりということはあるんですか?

田中:それはひきこもりの場合?不登校の場合?

杉本:不登校の場合ですとか、先生が診ている児童精神科の領域ですね。

田中:ウチのクリニックの場合では基本はご本人が来られて相談をするというのを基盤に置いているんです。ですから、小さなお子さんの場合はここが何の建物か分からずに来られたり、多少何か思いがありつつも抗えずに来て、小さな抵抗を示すというような部分で、質問しても答えないような、ガードを硬くしてとりあえずは来たよ、という免罪符で終えるというかたもおられます。そういう人の場合は何とか本人は来られるので、カルテは作れます。それ以外の部分で特にご自身の意思がはっきりしていて、いまはまだ受け入れませんと言っているかたの場合は、「そのかたの意思を尊重して、申し訳ないけれどもお父さんかお母さんのカルテを作らせてもらえませんか?」ということで親のカルテを作らせていただきます。で、親御さんがわが子のことで悩まれている当事者としてカルテを作らせていただいて、そのお母さんのお話やお父さんのお悩みのもととなっている一部の悩みのそのお子さんについてのお話をお聞かせください、というような形で伺うと。そういうスタイルをとります。

杉本:では言葉は悪いですけど、診察の主人公はその時はお子さん本人ではなくてご両親の側になってくるわけですね。

田中:そうですね。

杉本:それはご両親が抵抗を示されたりしませんか?

田中:あの~そうですね。ただ、そもそもご本人が納得していないのにご本人の意思に反してその生活史に「受診した」と書かかれるほうが失礼ですから。親御さんが納得していただければ親御さんのカルテを作らせていただきますという風にはしていますね。今のところそこで「NO」と言われたかたはおられないです。

杉本:そこらあたりはやはり親の愛情でしょうか。

田中:医療機関というスタンスがそもそもそういうものだという所でいわゆるひきこもりであれば、あるいは不登校であれば、教育機関や福祉関係の相談室というのがあるので、そういう所が当事者である人、まあそこでも当事者のことで悩まれるかたが相談に行くので、スタイルは僕は同じだと思っているんですけれども。でも、ご自身の保険証で勝手に自分の歴史のある日にカルテが存在していたというほうが騙し討ちじゃないかなと僕は思っているんです。それに対して、親御さんは選択することができるので、「じゃあ私のカルテを作るくらいだったら行きません」という風に言えるかどうか。お子さんに関して「いやいや、あんたのために行くんだから」と言って、本人が居ないのにカルテが作られるというのには僕は昔からけっこう疑問だったんです。でもそういう流れは精神科の場合に如何ともしがたくあって、むかし勤めていた病院は、初回は「家族相談」ということで相談カルテというのを無料で作っていて。1回目はその相談を伺って、2回目はご本人のカルテでご本人を寄こしてくださいということをやるんですけれども、だいたい2回目くらいでご本人が来られるケースはまずないですから、そうすると相談カルテだけがただただ残ってしまい、そのあと親御さんが途方に暮れてしまう。いわゆる相談する手立てがなくなってしまうということなんですよね。

杉本:そうすると、相談カルテで対応する段階では、親は子供のことを思って相談に来るわけですよね。子どもが主人公としての悩みだと。でも子どもはやはり抵抗があって、行かない。そうするとそれ以上親御さんに来てください、話し合いましょうというわけにもいかないということになるわけですね?

田中:そうです。

杉本:そうすると、親御さんも困り果ててしまう。

田中:そうですね。親御さんも本人を連れてこないと診ませんと言われます、と訴えられるんですよね。それはそうだろうなと思って。でも本人を連れてこれない人を診るというのは、自分が逆の立場だったら「君のカルテがあるんだよ」ということ自体がいやだろうなという部分と、半年とか1年とかでようやく本人が腰を上げてこられたときに、実は自分のカルテがあるというのもいやだろうなと。いないところで語られたにせよ、自分の記録を残されていたというのはどうなんだろう?と。まあ僕の勝手なこだわりですけどね(笑)。そんな風に思っていて、やはりここは相談するかたが主人公であり、当事者であるというのが僕の精神科医としての考えなので、来ないお子さんについて悩まれているのがあなたであれば、あなたのカルテを作らせていただくのが、趣旨ではないでしょうかという風にしたいんですよね。

杉本:なるほど。そうすると、いちおう親御さんの診察ということになってしまいますね。

田中:そうです、そうです。

杉本:先生の御本などを拝読すると、おそらく母親が多いと思うんですけど、母親が子供の悩みで来てるけれど、実は自分の子ども時代をわが子を鏡として観て、自分が子どもだった時の親への葛藤だったり、いろいろな思いだったりを今度は自分の問題として語りだすみたいな話が書いてあったと思うんです。ただそれはやはり親御さんが子どもの悩みで来ているのに自分の悩みに転換するというのは、なかなかふつうは防衛があるでしょうし、あくまで子どもの問題であり、私の問題じゃないって思うことのほうが多いと思うのですけど。その点はけっこう否認されないとすればやはりテクニックなのでしょうか。テクニックというのは言葉は違うと思いますが…。

田中:そうですね。語られるかたがお困りになっているのはウチの子どもが学校に行かないからなんです、家の子がひきこもっていてなかなか仕事に就かないんですよね、ということですね。ですからそのお子さんはどういうかたですか?という風に教えていただくと、あくまでも親御さんが抱えている悩みはそのお子さんとの関係性やそのお子さんがこれからどうなるかということですから、一般的にそういうかたではこういう歩みを歩くかたもおられるし、こういう風になられるかたもおられるますという風に伝えていくこともありますし、今あなたがここに来ているのは、この子を何とかここに連れて来たいからですよねという話をしていくので、そのかたご自身の成育歴とか、そのかたの抱えている生活の悩みそのものにフォーカスをあてることはまずないんですよね。

杉本:なるほど、そうですね。

田中:だからあくまでも息子・娘の相談者としては来るけれども、カルテ上は親のカルテになっているという理解で語られることが多いので、ご自身の夫婦仲のことだからとか、違う話題へということは滅多にないですし、もちろんそこを聞く必要もないことで、そこは何が起こっているのかは私は分からない。ただ、 いわゆる「将を射んとする者はまず馬を射よ」みたいな話なので、こうしてお母さんが来てくれることで、本人もそのうち気づいてくれたらいいよね、ということで「来週またあなたのこと、私、相談に行くんだけど」ということは言ってくださいね、と。

杉本:ああ……。それは言ってくださいと?

田中:はい。私は元々あなたのことが心配で悩んでいるし、間違いあるかかわりをしたくないので相談に行っているんだと。ついてはそのことで勝手な話を私はしてるけれども、もしあなたが私が行ってる精神科の先生に聞いて欲しいことがあったら聞いてみるけれども、何かある?という風に途中から伝書鳩になってくださいという話はするんですよね。そうすると、今の現状にそれなり悩みや困り感を抱えているかたもたまに言語化してくるので、それだったら「寝れない」ということだけ伝えておいてくれ、とか。もう俺にかまうなと言ってくれとか、ウザいんだよということを言っておいてくれという風になると、「ああそんな風に反応したんですね」と。そこでまた切り返してみたり、じゃあそこまで言ってくれているなら僕、ちょっとそのお子さんに手紙書いてみましょうかということで、「いついつくらいからお母さんが外来に来られていて、あなたのことを心配されているようです」ということで、「一度僕もあなたに会いたいですけれども、如何でしょうか」と手紙を書いて、渡してくれますか?とか言うと、たまに言語表出が得意なお子さんの場合だと、じゃあ「寝れないことがありました」とか、「ああです、こうです」ということをメモで伝書してくれて、今度はその返事をするという形になるので、あくまでもお母さんのカルテではあるのだけれども、お子さんとの接点をそこからつなげていくというようなかたも何人かおられて、最終的にはそのかたが一定程度のブランクののち登場してくるということはありますね。

児童精神科を受診する年齢の傾向


杉本:ちょっと私も先ほどの言いかたは飛躍があったというか。唐突過ぎましたが、ある種の家族相談を受けて、一度で終われば問題ないでしょうけど、だいたい普通1回では終わらないでしょうから、相談の継続のなかで、というような形かもしれないですね。

田中:そうですね。

杉本:ではうまくいけば、言語表出ができるお子さんであったり、外に出ることに抵抗がなければ来て、すぐとは行かないでしょうけど、いろいろとやりとりをするなかで思いを語りに来られるお子さんもいるということでしょうか。

田中:そうですね。それでそちらの問題がある程度落ち着いてきたら、逆にお母様が今度は、次回は私のことを相談していいでしょうか、と言われることがあって。それはもちろんカルテもあるし、こうやって来ていただいているのですから当然ですよというと、「ちょっと配偶者のことで」とか、「自分自身の過去のことで」とかということをつらつらと語られることもたまにあると。そういうようなことでしょうかね。

杉本:そうしますと、お薬とかは関係のない所での話し合いで終わるケースも多そうですね。

田中:そうですね。僕の外来はそんなにお薬は出してないんですよね。基本あまり効かないと思うから、という話をしているので(笑)。

杉本:臨床の場合ですが、年齢の幅はあると思うんですけど、平均的にはやはり中高生の思春期的課題でこられるのですか?あるいはもうちょっと下のお子さんが多いのか。本人が来られるケースの場合ですけれども…。

田中:ウチの場合はどうだったかな?たぶん3分の2くらいは19歳以下で、3分の1くらいが19歳以上。20歳くらいですかね。そのなかでも相談年齢の多い年齢というのは就学前後のお子さんで、4歳から6歳くらい。

杉本:幼保育児ですね。

田中:そうですね。そこでひと山があって。あとは、小学校6年までは同じくらいの数が続き、中学になるとちょっと受診が遠のきますかね。お子さん自身も「何で行かなきゃならないんだ」という意思表示が顕在化して、ちょっと足を遠のかせる時期が続き、で、中学2年の後半~3年くらいの高校進学を考える時期にまた多少上乗せになり、高校になってくると、学校で対応してくれるケースも増えてきて。とくに発達障がいの場合、一部は高等支援学校とかに行かれているケースが多いので、そうするともう高校が良くも悪くもというか、卒業後の就労移行専門学校みたいになってくるので、そうすると3年間かけて実習先でずいぶんと頑張っていくとそこにかなりフォーカスが行くので、定期的な通院が難しくなってきて。長期の休みの時に顔を見せに来るという部分で,少し書類上の部分でしょうかね。特別児童扶養手当とか、そういう福祉的なサービスの診断書のときに来られますけれども、普段は滅多に来ないです。ただ,卒業後にそのままうまく就労できればいいですけど、そこでちょっと頓挫してくると、また相談がちょっと増えてきて。20歳のときに障害年金の申請が可能かどうかということで、ひと山増えて、という。そんな流れになりますかね。

杉本:一年半後に障害年金が降りる可能性があればやはり受診はしておいたほうがいいですよね。

田中:はい、そうですね。それくらいまでは五月雨式に来ますけれども。

「プラバタイゼーション」(私事化)


杉本:そうなんですね。そこで、え~と、何といったら良いでしょう。葛藤ベースの、母子父子間の葛藤絡みでいま、ひきこもりの当事者発信みたいなことが増えてきています。やはりそういう人たちの中にはひきこもり歴が長く、僕と同世代の50代だったりもするんですね。そうすると親子関係の葛藤からひきこもったとか、割とその、尾崎豊的な、というか(笑)。社会的なものに叩き潰されてひきこもりましたみたいな。底を見たところからはいあがったみたいな話とかがあって、割と90年代くらいはもしかしたら思春期外来みたいなね。親子間葛藤とか、学校も抑圧機能として闘って潰れた、みたいな。そういうような印象だったんですけど、その時は僕も発達障がいという言葉も知らず、いま考えると、ある年齢まで行くと特別支援教育とかがあって、いま先生が仰るように特別支援校が次に就職のためのケアもちゃんとやっていくみたいな。割とこういったお医者さんにかかるまでのクッションがけっこう出来つつあるのかなというのがいま話を聞いた印象ですけれども。あえて言ってしまえば昔はノイローゼとか神経症とか、対人恐怖症とかという形で自己認識してたと思うんですけど、それがあまり聞かれなくなったというか、むしろ発達の問題、発達の障がいという方向で特別支援教育というようなことが時代のひとつのトレンドと言いますか。ひとつの主流になってきているのかな、という風に思ったのですが。どう思われますか?そのあたり。

田中:いま言われているひとたちがどういう課題を抱えておられるかは少なくとも僕は網羅することは出来ないんですけれども、一時期というか、いまもそうですけれども、発達障がいにみられそうなかたたちへの周囲の関心、特に福祉や教育の現場は、そこへのアンテナが高くなっていて、かなり色が薄いかたでも、「そうではないだろうか?」という風に白羽の矢を立て、特別支援教育のルートに乗せたほうがいいのではないかという発想が先走ってしまう傾向はすごく強いという風には思います。本来の多様な教育を提供する学校という中でサポートできるはずではないか、と思えるような人であっても、わざわざ支援教育に乗せていくというようなストーリーが何かこう、そこへ向けたがる先生と、向けたがらない先生と、そこはかなり恣意的なので、システムとしておかしいなあと思うんだけど、そういう風にちょっとなっていて、今でいう、そういうトレンドとしてはやはり「発達障がいか、どうか」というのが第一関門のような所で大きいですよね。そこはちょっと強く違和感を感じている所ではあります。

杉本:そうですよね。僕らの頃はプレ校内暴力的な中学校だったんですけど、いまであれば、もしかしたら「発達の特性」云々の話になってしまうのかなあ?と。そういうことに全く無知だった思春期頃の自分の気持ちに立ち返ると、そのラベリングのようなものはどうなんだ?と思います。でも、「困ったな、学校に行くとあいつらがいる、学校イヤだな」。でも、それが例えば「あいつは発達障がいだからさ」。もしかしたらいまの子どももね。中学生くらい、思春期くらいになるとそこそこ、「あいつ、発達の問題かもしれない」みたいな形でのかかわらなさみたいなものがあるかもしれませんが。あの頃はいろいろと攻撃的にふるまってくる子が結構いたので、「あいつら、本当に困るな」と。まあ、ジャイアンですよね。

田中:ええ。

杉本:ジャイアン君たちが居てくれるんで、”学校行くの、つらいな”と思ったりしたわけですが。ちょっとジャイアンという表現は違うんだけれども(笑)。ただ発達障がいという言いかたも違和感があって、ADHD傾向が強い攻撃的なA君みたいな形にされてしまうのも…。いますごく綺麗ごとを言っているんですけどね。クラスの中にいろんな人間が居て、ガチャガチャしてて面倒くさいし、先生たちも抑えるのが大変だというのはあるにしても、やっぱり同じ生徒という枠でみざるを得なかった、というか。
 別の観点というのがなかったから、こちらは体力も勉強もできないし、向こうは勉強はできないけれども、体力はある。また技術科目とか、「旋盤」の扱いが上手いとか。スポーツできるとかっていうことだけでも、その自信で生き生きしてるみたいな(笑)。でもいじめはやるぞ、みたいな(苦笑)。そういう感じの人が「発達の特性が」みたいになるのは、ちょっとどうかな?と正直思う所はありますね。

田中:そうですよね。

杉本:さすがにそこらへんのところまで発達の特性がとか、やってるのかはわかりませんが。

田中:まあでも、ひとつの流れとしては、「のび太・ジャイアン症候群」という名前も現れましたから。発達障がいの黎明期の95年くらいでしょうかね。のび太君が不注意性のADHDで、ジャイアン君が衝動性、攻撃性が高いADHDで、みたいな意味づけで、「のび太型・ジャイアン型」みたいな分けかたをしている。まあ、藤子Fさん自身がいじめられ体験があったと僕は思っていて。で、どちらかというとのび太君のような人に親和性があって、イメージを作って行き漫画化していく中でやはり現実の学校場面ではジャイアン的な子に悩まれて苦しんでいた学生時代をデフォルメしたのがあの主人公たちなんだろうと思うので。まあ、どの子供たち、僕自身もそうですけれども、あの無作為で30人から40人の学級を形成した時にのび太的なお子さんや、ジャイアン的なお子さんや、非常にヒロインチックな静ちゃんみたいなお子さんや、ちょっと雑然としたジャイアンの妹のようなタイプとか、要領がいいんだか悪いんだか分からないスネ夫のような子というのは、デフォルメしたかたちで居たんですよね。それでひとつの社会を作っていたという所の中で紆余曲折というのが、ミニ社会としての通過儀礼でそこを通して社会へ行ったときに、まあ、いろんなかたがいて、それでも支え合って生きていくんだよなという図式がずっとあったと思うんですよね。
 でもそれがたぶん世界的にも、まあ日本の流れの中でも、それこそ不登校が問題になった時にある先生が本を書かれたとき「プラバタイゼーション」(私事化)という“自分さえよければよい”という発想に我々がなってきた。それがおそらくじわじわと70年代から80年代の間に少しずつ大人の中で出てきて、その大人社会の中で「新人類」と云われる人たちが登場してきたり、大人のほうも脱サラして、社会に組み込まれずにいわゆる「飛び出よう」という。その地域にも迎合せずに小さなファミリーという単位で動いて、コミュニティという単位から抜け出していくというあたりで生きやすくはなったんだけれども、生きやすくなった反面、自分で責任を負わなくちゃならないとか、自分で判断しなくてはならないことの責務が増えた。そうすると力がある人はそこで伸びていくけれども、無い人は枠組みが緩やかになったぶん生きづらくなってきて、頓挫してくる。例えば脱サラしても倒産してしまう。だから非常にフロンティア精神があるかたはプラバタイゼーションで行けるんだけど、そんな地力がない人のほうが圧倒的に多いので、線路を外されてしまったというところで途方に暮れる。そのかたたちの子どもたちが90年代以降からだんだん支えを失ってきて、家族の中だけのちっちゃなルールに縛られる。そうすると学校に馴染めないとかいうときに、撤退せざるを得なかったりという風になって来たんじゃないかという話を,いじめの構造とか、不登校の問題を発表された学者さんが語っておいでで、僕はその頃不登校の子を見ていたので、「ああ、なるほどな」という風に思いましたね。
 自分が良いように生きられたらいいよなというのって、実はすごく力を試されるもので、不安になった時に誰も助けてもらえないとなったら辛いよね、という。それはドラえもんがいないから。「なるほど、そういうことかな」と思ったことがあって。発達障がいが表にでたころは、その中で出てきたつまづきだとか、困りというのを、「それは発達障がいがあるからだよ」という風に、一見外在化して説明したように見えるんだけど、むしろそういう特性のあるかたを包摂できない社会があると僕は思っています。かつてはそれらもすべて社会は包摂したじゃないかと。それはそのかたひとりひとりは苦しい時代もあった。実際僕の経験でも、高校時代にいじめられたこともあったし、怖かった時代もあったし、不登校の時もあった。そんなに順調に社会参加したくなかったけど、参加せざるを得ないという切羽詰まったところで病みを抱えたときでも、誰かがサポートしてくれたおかげでそれほど追い詰められずに済んだという実体験があります。でも病みは残っている。そういう包摂社会が「君は発達障がいがあるから仕方がないんだよ」というと、一見、「あ、じゃあ休んでいいんだ」「こもっていいんだ」となっても、それは社会から包摂されていないから次の手立てがなくなってしまって、そのまま止まっちゃうんじゃないか。そこから先、発達障がいとしての人生を歩みなさいという風に福祉の路線が行くのはそれでいいのかな?という疑問が、いまの発達障がいなどのトレンドの中で感じていますね。

杉本:やはり個人主義的というか、個人化が進んで、社会というこの目に見えないものなんですけど、社会という枠組みで見ると、社会が個を解き放ったまま、社会のほうが責任を負わなくなったという?

田中:そうです、そうです。

杉本:個々人の人たちが、自由にやっていいから、その責任は自分で負ってね、という形で社会自体はもう、そこに関しては関与しませんという風になってしまった、ということでしょうか。

田中:そうですね。

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札幌で人文社会系のインタビュー活動をしています。自由と社会を軸に考えつつ、最近は道外にも取材に行っています。インタビューサイトURL https://www.kenjisugimoto.net/

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