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映画鑑賞#4『 シド・バレット ひとりぼっちの狂気』

Day:2024/5/30
Theatre:シネリーブル神戸


『狂気』プラネタリウム神戸上陸……悲しい

5月末にシドバレットの映画観てまいりました。腐れ縁音楽仲間の藁ちゃんと、シネリーブル神戸へ。

ちょっとその前に一つ悲しすぎる話を。

僕、映画観たらだいたいすぐに「映画.com」とかでレビュー見たりするんです。
このシドの映画観た数日後に『関心領域』を観に行ったんですけど、もう観終わってすぐに「え、どゆことどゆこと?」ってレビュー見たり。

それがこのシドの映画に関しては、自分の中でシドバレットという男に対してほとんど解決していることもあって、他人の感想など全く気にならないほどに。

まぁそんなことでたった今、半月遅れでやっとレビューちらちら見てたんです。

そしたらその中に「6月に狂気プラネタリウム神戸上陸」なる情報を書いてる人がいて、知らなくて、すぐ調べたら全日程満席とのことで。
悲しすぎる。

去年東京で狂気50周年だーとかでプラネタリウムやってて、それはすごいイベントやなーいいなーいいなー、って思ってたもんだから、悲しすぎる。

これは少し尾を引きそうですが、まぁとにかく映画の話を。

シドバレット ひとりぼっちの狂気。


シドバレット ひとりぼっちの狂気


シドバレットを知って夢中になったのは高校の時で、知った直後にシドの訃報が届いたのを強く覚えているので2006年かな。

ソロ2枚と一緒に買ったのが、2003年に発売されたシドのドキュメント『The Pink Floyd and Syd Barrett Story』のDVDで、数えきれないほど観て青春を過ごした。

それから18年も経ったわけだけど(まじかよ)、今となってはアルバムはまぁそれなりに聴くけど、DVDにいたってはここ10年は観てなくて。

それでこの度映画が公開されて観に行ったってことなんだけど、正直2003年のDVD以上の情報ってあるのか、ってのが不安なところではあって。

どれくらい被ってるのかはDVDの方を見直さないとわからないんだけど(家に帰っていくら探してもDVDが見つからない、ショックだ)、やはり見覚えのあるインタビューが多かった。
ライブ映像や音楽番組出演の映像なんかも擦られまくっているもので。

監督としてクレジットされているヒプノシスのストームソーガソンは2013年に死んでいて(これ知らなんだ)、この映画では聞き手役のポジションでもあるので2013年以前のインタビューであることは間違いない。

初めて観るインタビュー映像は多数のシドの学生時代の友人(素人)のもので、それはそれで面白かったけど、やっぱり新たな情報と言えるものは見当たらなかった。



そんなわけで映画自体の作りとしては「思った通り」といった感じ。
それでもめちゃくちゃ面白かったし、なんだったら何度も観たことのある涙を溜めながら話すギルモアのシーンで普通に泣いてしまった。

ただこの辺がよくわからなくて、確かにギルモアのこのインタビューは見たことがあるんだけど、DVDの2003年はシド存命なのよね。
他のドキュメントで見たんだろうか…

シドがケンブリッジに隠居して以降、一度も会いに行かなかったことを後悔してる、と自分自身に憤り涙を浮かべるシーン。
ギルモア好きなんです僕。


対してウォーターズが苦手なんです。
なんだろあの、シドについてのインタビューを「自分がカッコつけれるチャンス」だと思ってんじゃねーの?って感じ(偏見100%)。

シドのケンブリッジの家の横に住んでいた人の回顧録みたいなのがあるんです。以前書いたブログに翻訳されたもののリンクを貼っていたんですけど、リンク切れになってまして。
探してみたところ、その回顧録と、読んだ感想を書いてる方がいたので貼っておきます。

ついでに僕が以前シドについてまとめたブログも。

とにかく当時子供だった隣人の男性は、シドのことが恐怖の対象だったらしく、毎日毎日叫び声が聞こえてくるんだとか。
その内容はいつも「ロジャーウォーターズぶっ殺してやる」だった、って証言があって。


これは正直シドの逆恨みである可能性も十分にあるんだけど、僕はシドが好きすぎるので、ウォーターズが悪だと思っちゃってるんですよね。笑


僕がなんとなく感覚的にウォーターズと同じタイプだと勝手に思ってるのがポールマッカートニーとピートタウンゼントで、ポールに関してはそんなに間違ってない感覚だと思うんだけど、ピートタウンゼントに関しては本当に「なんとなく」で。

それでいうとこの映画ではピートタウンゼントが良かったんですよね。


とにかく他のミュージシャンも関係者も学生時代の友人も歴代のガールフレンドも、語ることはシドの天才性だったり狂気性だったりで。
僕は結構飽き飽きしてるんです。そこばかりにスポットを当てすぎてることに。

ピートタウンゼントは映画で唯一そこに触れず、ミュージシャンとしての姿を語ってくれたんじゃないかな。

「ザフーのライブをサボったのは一度きりだ。」
と、クラプトンと共にUFOクラブにライブを観に行ったことを振り返っていた。

シドはもはや誰も使っていなかった古いエコーマシンを2台使っていて、自分もクラプトンもジミヘンドリックスも出していない独特なギターサウンドを展開していた。と。

そう、正直こういうのをもっと聞きたいんです。ありがとうピート。


あとは歴代のガールフレンドの何人かは初出だったのかな??シドの最後の恋人、婚約者って、後にジャックモンクの奥さんになるんよね確か。
それならジャックモンクとかトゥインクとか、インタビュー出てくれんもんかね。


1番印象的だったのが案外シドの妹ローズマリーのインタビューで。
ローズマリーはシドの母親の死後、長年に渡ってシドの面倒を見た苦労人。

シドの隠居生活について色々語ってくれるわけだけど、そのインタビュー姿は冷めてるように怒ってるようにも見えて。
シドを狂人として扱いたがったり、面白がったりすることに飽き飽きしてるだろうし、こういったドキュメンタリーにも迷惑しているのかもしれない。

映画の終盤でローズマリーは
「こういう人生もあることを若い人に少しでも知ってもらえたら」
と吐き捨てるように(そう見えた)言った。
こんな人生を美化するな、と言ってるように聞こえた。

僕はドラッグ文化を含めたヒッピーカルチャーやカウンターカルチャーが大好きで、そこで奇跡的に生まれた音楽達を愛していて。
そのドラッグの副作用が悲惨なものを生んで、反省するのは十分に構わないけど、当時のミュージシャン達が後になってドラッグカルチャーや時代自体や文化そのものを否定することが気に入らなくて。

数年前のロビーロバートソンによるザ・バンドのドキュメンタリーがまさにそうで、完全なるドラッグ撲滅映画みたいな作りになってたり。
まぁロバートソン夫婦が今そういう活動をしていることが大きいんだろうけど。


でも思いっきり負担を被って、長年その現実と向き合い続けなければならなかったローズマリーによるドラッグ否定はやっぱりくらった。

ジミヘンやジャニスやブライアンジョーンズみたいに死んで伝説になったやつとかがいるわけだけど、シドも多分そうで、狂って伝説になった男だったりする。

僕も元々は彼の狂気に魅せられて夢中になったわけだけど、この近年はシンプルに「悲惨」なんだ、と思うようになっていて、それを決定付けるようなローズマリーのインタビューだった。
シドの人生は悲惨だった。


シドの凄さは狂気ではなくて、やっぱり天性のメロディとリズムセンス、発想力、歌詞、まぁ全部なんだけど。笑

その才能はシドのソロ2作でも十分に発揮されているが、やっぱり狂ったヘロヘロのレコーディングばかりが目立ってしまっているのが現実。

でも例えば〝Feel〟みたいな名フォークソングが、あのヘロヘロなレコーディングだからこそ良い、なんてことは絶対ないんです。

もったいないよやっぱり。
ソロ2作を狂人のアシッドフォークとして評価するのは幼稚だ、正直。
あれはどえらい才能が詰まってるけど、ちゃんとレコーディングできなかった「もったいないアルバム」だろう。
まぁその才能の部分だけで十分満足できるものなんですけど。


シドはドラッグで狂った男として語られるけど、それだけで精神崩壊したわけではなくてたぶん。

バンドを追放されたことが決定打というか、追い討ちになったところは絶対にあって。
だからこそフロイドメンバーは罪悪感を長々と抱えてるんだろうし。

この時代ドラッグをやってるミュージシャンは珍しくないのに、どうしてシドだけこんなに落ちてしまったんだろうと考えると、
もちろん繊細すぎたところもあるんだろうけど、
「甘かった」からかもしれない、というのがこの度の映画を見て新たに感じたところで。

シドは簡単にいうと「自分はジョンレノンみたいになれない」ことを悟ってロックスターへの道を蹴った男である。

売れれば好き勝手できると思ったら、そうでもなくて色々がんじがらめになって自由がなくなって次のシングル作るのも大変だし、TVやツアーもやる気でないし。みたいな。

でもそれって多分ジョンだってディランだってそうで、彼らはそれでもスターになりたかったから突き進んだ男で。

甘かった、とも違うのかな。

そもそもシドはジョンレノンになりたくなかった、ってことになるんだと思う。スターになりたくなかったてことに。

スターへの道が開いてるのに、そこに背を向けた点ではカートコバーンに近いのかもしれない。
うん、やっぱり繊細すぎたのか。


〝シーエミリープレイ〟が劇中で爆音で流れた時、あぁやっぱりすんごい曲だな、と震えた。

『夜明けの口笛吹き』は今でもよく聴くけど、シングルは、〝アーノルドレーン〟と〝シーエミリープレイ〟はなかなか聴くタイミングがなかったりして。ベスト盤持ってないので。

音使いもコードもリズムも、神がかってるまじで。

それで、ほえーって思ったのが、
フロイド追放されて、ソロ2作だして、スターズもぽしゃって、3作目全くできる状態じゃない時の話。

そのどうしようもない時期にシドはEMIにふらっと姿を現すことがあったらしいけど、だいたいは金の所望だった、みたいで。
ほとんど物乞いみたいな状態なんだけど、実際には口座に金はたんまりあったようで。

それはデヴィッドボウイが73年『ピンナップス』で〝シーエミリープレイ〟をカバーした印税があったということらしい。

ボウイは単純にシドバレットを崇拝してるから、まぁカバーするのは全くおかしくないんだけど、
シドの状態をわかっていて少しでも足しになるようカバーしたのかもしれない。
ボウイってそういうとこあるから。


いやー観終わって数日ふわふわしておりました。

なんかあてられた、というか。

悲しい、悲惨だ、と感じるんだけど、それでもやっぱり憧れるんですよね。
なんなんでしょう。

終わってから南京町の立ち飲み屋で藁ちゃんと熱弁を繰り広げて帰宅。良い日でございました。

同時期にボブマーリーのドキュメンタリーとかジョンの失われた週末とか、観たい音楽映画が被っていたのでシド映画の優先順位は実は低かったんですけど、まじで観に行ってよかった。ありがとう藁ちゃん。

蓋していたものが開いたというか、そんな大袈裟のことでもないんだけど。まぁ若返りました!笑


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