シャワーで流れていくアイデアたちは。

どこに行ってしまうんだろう。溜まった湯船に入っていないだろうか、すくってみてもアイデアは思い出せない。

お風呂に入って考えごとをしていると、結構いいものが浮かんでくる。エッセイのアイデアや表現するときの言葉遣い。よしよしと思いながら、意気揚々とシャワーを浴び始めると決まって後悔することになる。

シャワーと一緒に流れていってしまうように、今さっき浮かんだアイデアが綺麗さっぱり忘れてしまう。あれ?と思ってみても、もう遅い。考えてみても同じように浮かんでこない。

似たようなことは家の中を移動しているときにも起こる。リビングにいた自分が他の部屋に移動すると、あれ?何しに来たんだっけとなる。まるで、その時思っていたことをリビングに置いてきてしまったようだ。

アイデアというものは観念的なもので目には見えない。頭の中にあるものだ。ただそうでもないかもしれないと思うようになってきた。

言葉の元を調べてみると、古代ギリシャ語の「イデア」であったという考えがある。哲学でいうイデアは、心の目や魂の目でみる「物事の真の姿」とされた。ただ語源をたどってみると、「見られるもの」、「ものの姿や形」であるとなっている。

アイデアは見えないもののはずなんだけど、シャワーで流れ落ちた考えや、リビングに置いてきた考えを思うと「そこにあるもの」のような気がしてならない。

そんな解決することではないことを書いてきたが、今日もまたシャワーでアイデアを落としてきた。どこかで拾えないだろうか。川で拾え直せないかな。


おわり


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