【詩】ほんのちょっとのこと
不思議なこともあるもので今わたしの読んでいる本ではp163の中で(*憂鬱)が漢字であるのに(*おち込む)は部分的にヒラガナであって予測変換が不思議とふかのうであるp163〜p164の間には余白があらわれたのだが(*あらわれた)はp164でヒラガナであって(ひと)は漢字でありまたこのスクリーンも残念ながら余白だらけでもあるからどちらの余白も漢字なのだがここの余白あちらの余白をくっつけるメディウムとしての人は数字と間違えないよ(うに)漢字であることが望ましいのはいっ(たい)どんなひとのためなのだろうといきをつくひまもなくあめ(にわか雨)が降ってくるとスマホが教えてくれたのでベランダにいるわたしのリク亀のカメを漢字にしたのは不思議と気まぐれであって「見てたら可哀想になっちゃって」という声がした途端可愛そうと変換し間違えたのだが「しまちがえる。」は文字でそれを変換しょうとしたら「し。」が絶対に変換したくない漢字になってしまってこんなにひらがなの「し!」を大切にしなくてはならない日が来るなんて「くる?」を不思議と漢字にしたくなるのだがしたくなるのなるが鳴るにいちいちなってしまってカメをいそいで(とり)こんでいると「なるのなるがなる」が気にいり何度も繰り返し口にしているときひらがな、カタカタそして漢字は英語を並列に配置する規則にした(がい)ながらも一度従いとタイプしてからした(がい)と書き直したあの憂鬱に似ていてゆ(う)うつには似ていない不思議な感情はただの文字でありそれでも私の家の中では「45×90だな。」と声が響きそんな気まぐれがキャンディーににているが煮てはいないしくれなずまないしp164の端っこには(*テル・ケル誌65号)と印刷されていていながらも結構たくさんの生き物がいた。
「テル・ケル
『テル・ケル』(Tel Quel、「あるがま
ま」の意)は、1960年にフィリップ・
ソレルスらフランスの若手作家によって
創刊された季刊の前衛文学雑誌および叢
書。現在はガリマール出版社から刊行さ
れている。ウィキペディアより一部分を
抜粋
*は「恋愛のディスクール断章」ロラ
ン・バルト 三好郁朗 1980
みずず書房 より引用 」
モダン焼き。絶対にモダン焼きににてる、ソースは
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