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自己流枕草子

3月は、もうすぐ春なのかと期待させておいて強すぎる寒風が吹いたりして何度も失望させられたあげくに、下旬に差し掛かるといきなり桜が開花したりして心からホッとさせられる、そんな「自然に翻弄される季節」だから、それはそれで好きだ。

そんな不確実な季節に、さまざまな状況での別れの予感や、現実の別れがあったりするのも、なんとも心をまさぐられるような気がして気恥ずかしくもなる。

日本は四季があるから素晴らしい、とはよく言われる。
確かにそうだし、そんな母国のことを心から愛している。
しかしその一方で、一年中暑くてうんざりするような地域や、一年中日照時間が短く、なんだか気が滅入るような、やたらと雨の多い地域であっても、人は必ず光明を見出しているはずだ。人にはそんな能力が備わっている。

僕は人のそういう側面を神秘的だと思うし(神などは一切信じないが)、実にありがたいことだと思う。

僕がいちばん好きな季節は真夏である。
その理由は、昭和の高校球児だった頃に「練習中にほんの少ししか飲ませてもらえなかった水」が、どれほど美味しかったことか、それを身をもって体験したからだ。

今となっては、もちろん真夏はビールが最高だ。

しかしそれ以前に、汗をダラダラ流しながら喉を鳴らして飲む水という存在が、どれほどありがたかったことか。身をもって知ったのが高校の頃であった。

昭和の高校野球には多くの弊害があったことは有名ではあるが、どれほど苦しく、苦い経験にも、案外と大切な記憶が伴うものだ。

結局、人はなんだかんだで、たいていのことには光明を見出すものだ。
長い間海の底に沈んでいた自分だからこそ声を大にして言いたい。

細々と生きてさえいれば、いつの間にか思わぬ方向から光が差し込むものだ。
だから人生は不思議で面白い。

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