Whispers of Life

フリーランス英日翻訳家。仕事とはほぼ無関係に、日常を愛し、日常の中の非日常も愛する、た…

Whispers of Life

フリーランス英日翻訳家。仕事とはほぼ無関係に、日常を愛し、日常の中の非日常も愛する、ただそれだけの文章を書きます。ピアノ弾きでもあります。愛する音楽はジャンルレス、愛するミュージシャンベスト5はBeatles、荒井(松任谷)由実、松岡直也、ソニー・ロリンズ、トミー・フラナガン。

最近の記事

高校野球と人生と

夏の高校野球地区予選の季節だ。散歩の途中で近くの球場に立ち寄ったら、名の通った某強豪校に対し、部員が極端に少ない都立高校が「がっぷりよつ」で立ち向かっているところだった。たった一人の三年生がサードを守り、強烈な打球を飛びついて好捕する。いつの間にか、頑張れ、頑張れとスタンド中から声が上がる。二年生エースはなかなかの速球を投げていたけれど、少しずつ、少しずつ追い詰められ、にじり寄られ、とうとう痛打を浴び始めた。ついさっきまで1対2だったのが、みるみるうちに突き放されてゆく。仲間

    • ファースト・インプレッション

      経験的に見て、第一印象というものはたいてい当たっている(もちろん全てのことに例外はある)。 これと同様で、人が思わず口にする最初の言葉というのは、往々にしてその人の本音の発露だ。もちろん、世の中には元来にしてまわりくどい話し方をする人もいるから、例外はある。 僕は人がとっさに発した言葉を聞くのが好きだ。 みずみずしくて、飾り気がなく、とても美しい。表現技法やボキャブラリーの巧拙なんてものはどうでも良い。 その人らしさの発露がとても素敵だし、好きなのだ。 これが悪い方に

      • ある日僕は

        ある日僕は、 悩むこと自体が人生の日課のようになり、いつしか好きだった音楽を聴けなくなり、鍵盤に触ることができなくなった。 好きな音楽を聴き、鍵盤に触れてしまえば、胸をえぐり取られるような気がしたからだ。 その後、なかなかの年月の間海の底に沈んでいた僕は、ある日突然、数年前に死んだ友人のために何かを弾いておきたいと思った。 そして僕は、しまいこんであった安物のシンセサイザーを取り出し、ピアノには程遠いペラッペラの鍵盤を(無理もない。ピアノではないのだから。)カタカタ言わせ

        • 寡黙なエース

          高校に入学したばかりの頃のことだ。 苦手な数学の提出課題が終わらずに昼休み返上でプリントと悪戦苦闘していると、同じ野球部で後にエースピッチャーになる同級生が他のクラスからやってきて僕に声をかけた。グラウンドに出てキャッチボールをやろうとか、そのような誘いだった。 彼は悪戦苦闘している僕を見て、 「なんでこの程度の問題ができないの?」 と、心底不思議そうに言った。 僕はムカっときたが、彼に嫌味という意図はなく、問題が解けない僕のことがつくづく不思議であるといった気持ちな

        高校野球と人生と

          言えない一言

          このお店、本当に美味しい。 なんでいつも空いてるのだろう。 ワンオペ店主の商売っ気のなさなのだろうか。 それとも、斜向かいにできた、 「家系ラーメンを謳っていながら、 ただ家系ラーメンっぽく仕上げているだけの、 何も知らない客を取り込むだけの 資本系の、上辺だけの『没個性的な』ラーメン屋」 に客を奪われているのだろうか。 僕は店主を応援したいから通う。 しかし「美味しかったです」の一言が言えない。 言えばいいじゃん男だろ? って思うでしょう? でもね、言えない。

          言えない一言

          西国分寺のお姫さま

          ある日の朝、西国分寺という駅で特に当てもなく下車し、改札口に向かう階段を登っていた。 すると髪を後ろでまとめた若い女性が、長めのスカートの片方を少しだけ絞り上げるようにして、 急ぎ足でありながらも、極めて品の良い所作で階段を駆け下りてくる。 まるで子供の頃に読んだ何かの童話で、お姫さまが階段を駆け下りてくるシーンのようだ。 お姫さまはそのようにして僕の横を駆け抜けて、 僕が今降りたばかりの中央線・高尾行きにギリギリのところで乗り込んで行った。 今ごろあの高尾行きは

          西国分寺のお姫さま

          ルッキング・アップ

          次女の高校の体育祭を見に行った。 午前の部を見終えて高校の近所のファミレスで食事をしていると、 「緊張で泣きそう」 というLINEが来た。 このあと控えている選抜リレーでの出番のことを言っているのだろう。 僕は僕なりに短めの助言を並べたあと、 「最後は困ったら空を見ろ」 と記して返信した。 特に根拠はなかったけれど。 午後の選抜リレーで、次女は自分なりの走りを見せ、 最後の直線で一人を抜いた。 それを見て、別の団の応援団長をしていた次女の恋人が、 大声を

          ルッキング・アップ

          ある日の「吾輩」との対話

          仕事で疲れてデスクに向かってぼーっとしていたあるとき、 ふと思いついてGemini Advanced(Googleの生成AI)に話しかけてみた。 そのときのやり取りを以下に抜粋する。Qが僕の問いかけ、AがAIの回答である。 実に興味深く、洞察も得られた。それと同時に少々空恐ろしくもなった。 しかしいずれにしても、あくまでこっちは彼らを「有効活用する側」にいなければ、とあらためて気を引き締めたのであった。 ---------------------------- Q

          ある日の「吾輩」との対話

          僕の中の田中

          田中という姓は日本において極めてポピュラーで、我が故郷、群馬にも大勢の田中がいた。 僕の人生で関わりのあった田中といえば、そんな群馬時代に、小中学校で同級生だった3人がそうだ。 1人は親友であり、 1人は僕の母のところにピアノを習いにきていた女の子で、 もう1人は9年間で一度も同じクラスになったことがないため直接的な関わりはなかったものの、弾けそうな笑顔と苦しそうな顔(バスケ部ですごく走らされていたイメージがある)が記憶に残っている。 このバスケ部の田中君は一年ほど

          僕の中の田中

          ある美容師と客の会話

          「ひと通り、ほんの少しだけ切ってください」 「いいんですか? この仕上がりは、ものすごく腕のいい方のカットだとお見受けしますけど。」 「構いません。 上書きしてください。」 「消去ではなく、上書きですね。 わかりました。任せてください。」

          ある美容師と客の会話

          ある老夫婦と

          あるターミナル駅で、ある日僕は、末娘と2人でバスを待っていた。 ベンチに腰掛けてあれこれ話していると、明らかに人生の大先輩とおぼしきご夫婦がやって来た。 ベンチに空きはない。当たり前だが僕と娘は席を譲った。 ご婦人は丁寧な口調で謝意を伝えてくれ、男性の方に着席をうながす。 頑固そうな顔つきの男性は厳然たる決意を滲ませるように、前だけを向いてこちらは見ない。 ご婦人は「お父さん、せっかくああおっしゃってくださってるのに、早く座りなさいよ」と言いながら男性にうながす。 彼

          ある老夫婦と

          Melodies of Nishiogikubo

          薄ぼんやりとした、形容しがたい淡い色の空の下で、僕は歩く。 街から街へ。 歩いても歩いても、記憶が追いかけてくる。 許したはずのことや、手放したはずのことたちが。 それなりの手応えの仕事をやり遂げて、心にゆとりができたときに限ってこうなる。 呼んでなんかいない。 勝手に向こうからやってくるのだ。 西荻窪の、品の良さそうな焦茶色のマンションを右手に見る活気に満ちた通りにさしかかるころ、僕はなんとはなしに耳を澄ませた。 さわさわと、風が街路樹をくすぐる音が聞こえる。

          Melodies of Nishiogikubo

          シガレット アンド コーヒー

          高校の卒業式の夜に行われた「クラスコンパ」で初めてタバコを口にしたとき、僕はこの嗜好品をどう味わうか、その方法を全く知らなかった。ただくわえてみて、吸ったり吐いたりしてみるのだが、手応えのようなものがない。くわえたあと、そこから先にどうしたらいいか知らなかったのだ。 野球部の仲間で、別の店でコンパをしていた他クラスのある友人が、渋谷の路上でそんな僕のことを見かけて声をかけてきた。 彼は僕のぎこちない仕草を笑い、そういうのは喫煙とは言えず、できもしないくせに何をスカしたことを

          シガレット アンド コーヒー

          花は咲かないが、咲く。

          自分を含め、多くの人が、決して咲くことのない花を咲かせようと、もがくようにして生きている。 もちろん誰もがその気になれば心の中に花を咲かせることはできるのであるから、たいして悲観するようなことじゃない。 とはいえ、空模様が暗ければ気持ちも沈む。 そんな日に、どうせ今日も行列だろうとダメ元で通りかかったラーメン屋さんに、奇跡的に空席があったので、思わず吸い込まれてしまった。 ここの若き店主の先代は良くも悪くもテキトーなラーメンの作り方をする人であった。 そのテキトーな先代

          花は咲かないが、咲く。

          石灰の思い出

          中学の野球部の2年生だったあるとき、アップ(準備運動)を終えてキャッチボールを始めようとすると、自分のグローブがないことに気づいた。 僕とキャッチボールなどする時間の取れなかった忙しい父が買ってくれた大切なグローブで、よし、お父さんがお前の名前書いといてやろう、などと言って父自身の名前をうっかり書いてしまった、そんな愛おしい痕跡の残る我が相棒である。 よりにもよって油性のマイネームでそう書かれたグローブを僕は懸命に使った。 油性といえども使い込めばやがては薄くなってくる

          石灰の思い出

          友よ…(埼玉県熊谷市にて)

          半年ぶりに、3年ほど前に他界した親友の墓参りに行った。 東京の僕の自宅は多摩霊園が近いので、気を利かせたのか、コンビニにも墓参りの人をあてこんだお花の数々が並んでいたりする季節である。 それを見て、いてもたってもいられなくなり、彼が眠る熊谷まで出かけたのだった。 久しぶりに訪ねた熊谷の空は、相変わらず悲しいほどに碧い。 彼の墓石には「絆」と刻まれているだけで名前は端っこの方の別のところを見ないとわからないから、毎回迷う。 僕は花をさし、線香をたき、墓石に水をかけ、そ

          友よ…(埼玉県熊谷市にて)