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石灰の思い出
中学の野球部の2年生だったあるとき、アップ(準備運動)を終えてキャッチボールを始めようとすると、自分のグローブがないことに気づいた。
僕とキャッチボールなどする時間の取れなかった忙しい父が買ってくれた大切なグローブで、よし、お父さんがお前の名前書いといてやろう、などと言って父自身の名前をうっかり書いてしまった、そんな愛おしい痕跡の残る我が相棒である。
よりにもよって油性のマイネームでそう書かれたグローブを僕は懸命に使った。
油性といえども使い込めばやがては薄くなってくるだろう、そうしたら自分の名前を上書きしよう、と考えたのである。
そのグローブが見当たらない。
キャッチボールを始める先輩や同級生のチームメイトのかたわらで、僕は懸命に相棒を探した。
やがて、3年生の、どちらかといえば優等生的な雰囲気の、ヤンチャさとは無縁のWという男がニヤニヤしながら、
グラウンドのライン引きに使う石灰の入った大きな箱から、真っ白になった僕のグローブを取り出して、「ほらよ」と僕に向かって投げ捨てたのだった。
当時から喜怒哀楽の激しかった自分なのに、そのとき僕は、どういうわけか心を無にした。
悲しみよりも先に、なんだこの哀れな先輩は、と思えたのである。大人になってからそんなふうに思えたことはないのに、あのときはそのような奇妙な達観があったのだ。
人という生き物の屈折した心の中を知った。
それと同時に、さして目立つ存在でもなかった自分の何がこの男の癇に障ったのか、それがわからず困惑した。
高1のときの荒木大輔や桑田や清原であれば、圧倒的な才能あふれる下級生に嫉妬した上級生からこうしたことをされたこともあるかもしれない。
しかしよりにもよって、中2の、特にどうということのない選手の自分である。
まったくもって理解ができなかった。
心を無にしたはずの自分だったが、練習を終えて教室に戻り、仲間と着替えているとき、無にしていたはずの心が、音を立てるように急にザブンザブンと波立ってきた。
なぜだ。なんだこの仕打ちは。
怒りを抑えてむくれた顔をしていると、同期の中で中心的な存在で、のちに主将になる親友、Aが気にかけてくれ、どうしたの、何があったの、と声をかけてくれた。
嬉しかった。
しかし微笑むことができない。
Aは、のちに4番を打つことになる、これまた僕の親友Kに話しかけた。
「K、ミンメ(当時の僕のあだ名)どうしたのかね」
と。
それに対して、普段からひょうひょうとしたところのあるKは、たったひと言、
「ほっとケーキ」
と答えたのであった。
こうして僕は、AとKがもたらしてくれた「ぬくもり」によって救われたのであった。
本人たちは大して憶えていないかもしれないけれど、こうした「光をもらった」瞬間は、もらった側は強烈に憶えているものだ。
改めて言いたい。
ありがとう。
そして、Aとは再会を果たせたが、K とは卒業以来会えていない。
どうか再会できますように。
みんな大好きだよ。
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