話す内容と、話す行為それ自体①
人が話すのを聴いているとき、その内容と意味を理解しようとする。
人の文章を読んでいるとき、書かれている内容と意味を理解しようとする。
それ以外に何を理解するのか?
話している・書いている行為そのものの理解だ。
話されている・書かれていることに反応して、気を取られて、話している・書いている行為そのものには関心を向けていなかったりする。
発話内容は当然ながら、発話行為そのものを見る必要もあると思う。
「それを話すことでその人は何をしようとしているのか」という問い。
これがなかなか難しい。書かれているものなら時間をかけられるので容易だ。ただ、話しているとその流れてくる言葉に捉われて、話す行為そのものにまでしっかり気が回らない。
気が回っていないことに気づくも、数分後にはまた気が回っていないことに気づくの繰り返し。
そのような心構えでいることが多くなかったので、慣れが必要なのだろう。
例えば、コンテクストにもよるけれど、「今日は天気が良いですね。」という発言。
これは「私はあなたに対して敵意はありませんよ」「あなたに接近しようとしています」と示しているようなものだ。正直、内容は大して重要ではない。
そこで内容にだけ反応して「はい」とだけ返事したり、「はい、見ればわかります。だからなんなのでしょうか。」と返したら、非友好的・敵対的だと取られる可能性は高い。
あるいは、むしろ関わりたくないがために、意図的にそういった発言をすることもあるだろう。
上の天気の例くらいなら、「それを話すことでその人は何をしようとしているのか」は容易に読み取ることができるだろう。
しかし少し定型を外れると、読み取りが難しくなったり、内容のみに捉われ始めてしまう。