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家で里山を再現するのが「里庭」

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「里庭」についてまとめています。 写真をたくさんご紹介します。 庭づくりの本質、真実について綴ります。
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#里山

家で里山を再現するのが里庭3「利用の多様性→管理の多様性→環境の多様性→生物の多様性」が里山のカラクリ

里山の生物多様性を守ってきたのは実は私たちでした。 みなさんが知ってる生き物たちが出てきます。 日本の自然って地域や場所によって大きな違いがあると思いますが、ご批判を承知の上で極端な言い方で国内の森や林などの環境を大きく分けると「奥山の自然」と「里山の自然」かも知れません。細かく分類すれさらに深く紹介できるのですが・・・。 では、里山の自然はどうでしょうか。畑や田んぼ。雑木林や竹林、ため池や小川などの環境の集まった環境です。毎年、地域などの皆さんや農家の皆さんが定期的に

家で里山を再現するのが里庭5「管理費0円の庭の魅力」

人も植物も野鳥も昆虫・・・ 無農薬で果樹の実を毎年当たり前のように収穫するためには母となる木の健康であること。そのためにはポイントを掴んだ剪定、育てている方向、対象とする果樹に適した肥料などですが、里庭果樹にはもう一つ需要なことがあります。受粉作業です。植物は花が咲き、受粉して始めて実がつきます。果樹園さんなどはこの受粉作業にミツバチなどを活用していますが、個人宅でミツバチのリースというわけにいきません。そこで大活躍してくれるのが野鳥や昆虫たちです。里庭は生き物たちによって

家で里山を再現するのが里庭8「こうすれば育っちゃう無農薬野菜」

雑木林で落ち葉、家畜たちのフンなどは果樹や畑の作物たちを育てる自然のエネルギーとして使っていた記憶を鮮明に覚えています。当時(60程年前)はホームセンターな気の利いたお店などありませんでした。 野菜の苗も肥料も全て自家製でした。 毎日暮らしから出るナマモノ(野菜クズ、魚介類などのアラや貝殻など)は畑の栄養源になっていました。当時を振り返れば循環型の暮らしの中には無駄なものはほとんどなかったように思います。 三浦半島に移住を決意したのは住宅地では動物たちとの暮らし(ヤギや

家で里山を再現するのが里庭16「これが私が農薬を使わない理由の一つです」

都市が故郷となるカワセミたち 生まれ育ったのは横浜の里山。小学校へは5キロほど歩いて登校。牛車が通ったわだちの田舎道をテクテク。地域にもよるが港町横浜も昭和30年代はちょっと街から離れるとこのような場所があっちこっちにありました。田植えが終わった田んぼの中に大きなドジョウやタニシたちの姿にワクワクしました。 昭和40年代の半ばになると子供心に社会の様子が変わったことを肌で感じ取れる出来事が始まりました。農道が舗装道路に。伐採した大きな木を里に引き摺り出していたでっかい馬が入