家で里山を再現するのが里庭16「これが私が農薬を使わない理由の一つです」
都市が故郷となるカワセミたち
生まれ育ったのは横浜の里山。小学校へは5キロほど歩いて登校。牛車が通ったわだちの田舎道をテクテク。地域にもよるが港町横浜も昭和30年代はちょっと街から離れるとこのような場所があっちこっちにありました。田植えが終わった田んぼの中に大きなドジョウやタニシたちの姿にワクワクしました。
昭和40年代の半ばになると子供心に社会の様子が変わったことを肌で感じ取れる出来事が始まりました。農道が舗装道路に。伐採した大きな木を里に引き摺り出していたでっかい馬が入っていた所にはトラックにかわりました。農家の方が鍬で耕していた田んぼは耕運機が走り回っていました。
梅雨の晴れ間を縫って大きなヘリコプターがやってきます。低空で田んぼの上を飛びタンク入った農薬を滝のようにまいて飛び去っていきました。ヘリコプターが去った田んぼの中では沢山のドジョウは白い腹をみせて死んでいました。水面にはシオカラトンボが翅を裏返して浮いています。たまらなく哀れで辛い影が忘れられません。
田んぼの中も田んぼに沿って流れる小川からも生き物の姿が消えてしまいました。
小川の決まったところで魚をとっていたカワセミの姿を見ることは出来なくなってしまいました。
里山の宝石カワセミが近年は東京都内などあっちこっちの都市部で姿を見かけます。横浜も例外ではなく横浜スタジアムがある横浜公園の小さな池でも頻繁に見ることができる宝石です。
生き物にとって住み心地が良い都市
果樹園が広がる緑の大地や農村地帯。生き物の楽園?真逆です。高い頻度の農薬や除草剤の散布で生き残れるのはほんのわずかな種に限られていることでしょう。そのような環境の里山が増えているように思います。
「都市にカワセミが戻ってきた〜自然が回復した〜」
とは一概には言えない状況だと強く思います。
野生動物にとって暮らせなくなった場所からのたどり着いた最高の避難場所が都市の緑や環境だと思います。都市の公園では農薬も除草剤の使用もないと思います。。浄化槽の普及などで水質も良くなりカワセミが食物する水生動物も少なくないと思います。都市の水辺はカワセミ達にとって人の姿さえ気にしなければ最高の場所ではないでしょうか。
やっぱり里山の緑は大切だと思います
皇居にもカワセミやオオタカも暮らしています。私が研究しているヤマセミも飛来も観察されています。
野鳥達は翼を使って自分の希望する環境へ移動が可能です。でも、カエルやドジョウ、メダカやタニシ、ノウサギやモグラなどー計り知れない生き物達にとっては様々な環境が比較的まとまってつながった里山の自然はとても大切です。物言わぬ生き物達にとって命の空間です。
足ものと小さな環境ですが無農薬で楽しむ里庭の管理は自身の気持ちを穏やかに保ってくれるかけがえのない環境でもあります。
小さい緑地と水辺ですが彼らと共有できる里庭を目指しています。
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