90年代柔道部レポート2 当時の柔道部の先生という人達

それぞれの指導、それぞれの怒り方

柔道という競技は首を締めて相手を失神させる所まで許容されている。路上でこんな事をしたら「殺人未遂」になりかねない行為が許容されている過酷なスポーツだ。また、<シゴキ>の文化も一部にある為、現場においての体罰や虐待の線引きが時として曖昧になりやすい。強い柔道部の指導者は大抵、その学校の生徒指導も兼ねていて学校でも恐れられているパターンが多い。偏った<指導者>という立場に身を固定してしまい、自身は<指導される>という精神性から人生の割と早い段階で遠ざかってしまう。それ故、決めつけが多く、アカデミズムを否定するようなある意味で反知性主義的な指導者がとても多かった。指導者という職業の難しいところかもしれない。この、それぞれの反知性主義的な部分というのが並べて比較してみるとまさに個性が現れる部分で面白い。

※日本の柔道業界における反知性主義というのは、根性論の類、経験論の押しつけ、大学病院の治療を否定し、整骨院・接骨院をとにかく推奨するなどの風潮がある(ある意味スピっている人が多い)。

紹介する学校名や人物名は全て仮名。

柔道指導者には何故か嘘つきが多かった

指導者の皆さんも自身のプライドをかけてやっていると思うので、当然結果が悪いと悔しい。でも時々本当にどうでもいい事に見栄っ張りで、それゆえか嘘つきな指導者というのも結構いた。A県北部の田上(たがみ)中学校の指導者だった谷上先生がそれにあたる。時々、やれ誰々が怪我をして引退しただの、どうにも根も葉もない噂が立ったりしてその元を探るとどうやら谷上先生から発せられていると言うことが多かった。保護者からは人気があるようだし、あまり憎めない人なのだがともかく初回はこの人との出会いの話となる。

A県は4つの地区(北部中部南部西部)に分かれて予選が行われている。当時、我が西中学校は西部で1位2位を争う実力者揃いで一年後は全国出場を期待される新人揃いのチームであった。将来を切望されるチームではあったものの、この当時の田上中学は北部で敵無しの格上という前評判であった。初の合同練習があった時、我々の西中の柔道部顧問(錦山先生、当時アラフォー)が挨拶をした。
「今日は田上中学の皆さんに胸を借りるつもりでおりますのでよろしくお願いしますね。」

若めの谷上先生(30前後)は胸を貸したそうに挨拶を返した。

「まぁお互い怪我のないようにね!良い練習にしましょうや!」

当時、我が西中も柔道部員が多い時代だったので25人以上はいたと思うが、谷上先生の田上中学はそれ以上に大所帯で30人前後の部員を抱えていて、多くの生徒は黒帯を締めていた(当時の西中はまだ全員白帯)。強い学校の部活は部員が多い事が多い。あとはウォーミングアップの雰囲気である程度の実力が測れる。大所帯の田上中学の生徒達は威嚇するように打ち込み練習を始めた(こういう政治的なウォーミングアップも柔道部のあるあるなのだ)。
「あまり打ち込みは綺麗じゃねーな……。」
錦山先生はそれを見ながら呟いた。
一軍はそれぞれの顧問、二軍は副顧問がつく形で練習試合が始まる。俺はその頃入部したばかりの一年生だったのでまだ試合には出ないで見学だった。

初めてみる他校との合同練習試合

俺は自分達がいつも一緒に練習をしている先輩達の実力を見れるのが楽しみでドキドキした。一軍の様子はお互いに緊張感がある。はじめての相手との練習試合の前は決まってこんな空気になるが、この時がその初めての体験だった。お互いの監督が試合前の生徒達に声をかける。

錦山先生「まぁ相手は北部の敵なしだって事だから思い切ってやりな。怪我しないようにな。」

谷上先生「お前ら北部の覇者なんだからな。自信持って。あと怪我だけさせないようにな。」

試合が始まる。

……が、何か様子がおかしい。思っていたのと違う。早い。

西中の先輩達がべらぼうに強い。始まって10秒以内に終わる試合も結構あり、あっという間に最初の一軍同士の試合は5-0で西中の勝利となった。
それまで胸を貸したそうだった谷上先生も、試合が終わる頃には鬼のようになって全員を

「何だあれはー!!!?えーー!??恥ずかしくないのかー!!!!えーー!!!!???○△%!!??えーー!??」

と怒鳴りつけていた。

一方、我々の錦山先生は……
「何あれ…?全然お話にならないじゃんなぁ(ボソ)。」
と、ご機嫌そうに輪になって目の前にいる自身の生徒達にヒソヒソと言いながらニヤニヤしていた(この錦山先生という人は時々、心強くなる程に性格が悪い)。

2試合目。5-0で同じく西中の勝ち。谷上先生(以後、たにせんと表記)は生徒達を殴りだした。チームメイト5人、1人1人に強めの張り手で気合注入だ。成る程、その文化を継承している学校らしい(錦山先生も非常に怖い先生だがこれとはタイプが違った)。生徒達は殴られると何故か
「ハイ!!!」
と大きな声で返事をした。
ビシ!!ハイッ!!ビシ!!!ハイッ!!ビシ!!ハイッ!!!…
という具合に道場にそれがこだました。
「(ハイッて…ナニに??)」
何やらテレパシーでの会話をしている、と月刊ムーの読者だった当時の俺はそれを見て感じた。一方の錦山先生は……

「うん。こういう時にお前らは<しっかりと綺麗に相手を投げる>って感覚を覚えないとダメだからね。怪我させないようにな。」
谷上先生サイドの悲壮感漂う空気に配慮して、控えめなシリアスモードを装ってはいるが完全に背中が嗤っている。
「(スカした態度のヤツのプライドが壊れるのが面白くてしょうがない!)」
という絶頂が全身から滲み出るのを抑えながら、対照的に理知的な態度を装っている。

追い詰められてついスピッてしまうたにせん

3試合目、西中は補欠と〈2軍の上〉的な選手を入れて、たにせんベストセレクションに挑む……。

補欠のどちらかが1試合引き分けるも、それ以外の試合はやはりことごとく西中が勝ちを重ねる。田上中陣営は完全なレベル差を理解し始めていた。生徒達は負けたくない、怒られたくない、殴られたくないの気持ちで試合にも余裕がなくなってきていた。
途中、とある軽量級同士の寝技の展開になった時に西中の生徒が絞め技を狙った。絞め技は有効に入っているらしく、田上の生徒の顔が真っ赤に紅潮している。たにせんが叫んだ!
「怒れーーー!!!そうだ怒れー!!!!」
もうたにせんは胸を貸す事が出来なすぎて何やら様子がおかしくなり始めた。

「待て」

もう少しの所を決めきれずに待てがかかる。落ちかかった田上の生徒はフラフラになりながら悔しそうな表情で立ち上がる。
「そうだー!いいぞ!!もっと怒れ!怒るんだよー!」
と、道場の静寂の中にたにせんのスピリチュアルな指示がこだました……。

「(こりゃあダメだな)」
とばかりに錦山先生は顔を逸らしてクスクス笑っている。状況によってはこの先生の性格の悪さは頼もしい……。

その日は最終的に、田上中学校の生徒達の技のフォームを錦山先生が矯正する練習で終えた。

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