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胡桃割る恨み言だけ溢れ出す

そういえば、ここのところ生活習慣を出来るだけ夜型に変えるように努力をしていて朝と昼の喧騒から逃れてはいるが、かといって夜が静かなのではなく、潜んでいて、疑り深く、誰も信じるということを強要してこない。

つまりは誰を味方にするのかを自分で決めなくてはならず、ほとんどの場合、朝の住人はおそらくだけれど、殺すことを常態としている。

それは確かに生活を守るという意味では必須条件ではあるし、暗闇がもたらす疑念を解消する為の手段を根本的には持たない意味だけれど、不安は除去される前に心の中で蟠る。

仕事と定義してしまえば、いくらでも処理可能ではあるけれど、時間的制約もそれから精神的負荷も考えると限界は存在している。

遊戯性が取り入れられなければ、誰かの為に身を費やすという行為に溺れてしまうほど、確かに夢や希望は万人にとって誤謬に他ならないけれど、だからと言って空は嘘をあまり好まない。

灰色は当然ながら雲を増やすし、青にだって絶対的な存在理由がある。

太陽光線は偉大で、人間は愚か植物も動物も必要としている源だからだ。

けれど、問題は一般機械を大地機械と意訳する問題にある。

私たちは確かに地に足をつけて生活をしている。

空を飛ぶことを夢見ることすら唾棄すべき問題であると当然ながら物心ついた時に自覚している。

ところがいつ頃だろう。

思い返してみると、それは日常ではなかったことに気づいてしまう。

おそらくはどこかの時点で翼に揚力をもたす努力をやめて計算結果を蔑ろにしてしまう。

人間の体重に換算して、浮力を向上させる実験を今更ながら科学を通じて理解できる。

基礎教育は一定基準だし、落ちこぼれの存在は自己責任だと判断されかねない。

けれど、どうしたことだろう。

私はやはり何かに争っている。

知ることを拒否されてもなお、私が目指すべき何かを知ろうとしている。

それは彼の女だろうか。

否、奴の言葉は尊厳を否定することで自己享受を得ている。

当然だけれど、新しい扉を開ける努力は生きている限り必要だ。

あなたと私の違いを語り尽くせるほどに万能ではない。

いい加減に同一化する過程に無為を感じなければならないのかもしれない。

何故ならば、当然ながらそれこそ物理法則だというしかないからだ。

私とあなたは組成原理からして異なっている。

意味を求める時間と意味を吐き捨てる行為の違いをお互いに理解している。

それは私が脳髄を使用しているからに他ならない。

意識の段階で概念が邪魔をしている。

私は行動原理を抑制されているのだ。

だが、本質的な問題といったまやかしを信じて生きれるほどに社会は成熟している。

過ちすら肯定できるほど私たちは歪みを現前として消化出来る。

希望は消失してしまう寸前で火を灯している。

脳機能はやがて楽園を求めてしまう。

どこかで妥協という言語に関する理解を放棄しなければならない。

そう教えられている。

だが、完全性を自己実現だと定義することで回避する方法は確かに存在している。

憂鬱によって限界地点を指摘される瞬間すら脱け出せる。

私の理想郷には煙が存在していない。

だとすれば、煙は見えない腕であり、私を破壊する行為にすら手を貸している。

事実は既に蔓延しているのだし、変更を却下するだけのプログラムすら内蔵している。

では、私とは一体どこにいるのだろう。

いつの間にか同期した鼓動がやはり高鳴っている。

呼吸が軋んでいることを私は忘れることが出来ない。

太陽はやはり光り理輝いているのだ。

現前を私自身だとすれば、逃避しているのはやはりしかるべき現実である。

あの、眩いばかりの青い空に私は確かに到達することが出来る事実でしかない。

ならば、天井は紛い物だろう。

そう、今日のところは嘯くことで前に進む手段を手に入れたい。

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