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失って気が付くこと、それはより多くを得られるチャンスであるということ

全ての出来事には、しっかりとした意味がある。

どれだけ不幸なことでも、それは学びになる。

起きている出来事は、全て最高・最善の出来事。

そうなったときに、この経験は何を学ばせてくれるか、何を思い出させてくれるか。

全部がメッセージであり、必要なことしか起きていない。

もしかしたらその出来事はどこかで伏線としてつながるかもしれないし、つながらないかもしれない。

繋げてさらに興味深い学びに発展していくかどうかは、日々の発見・気づきに毎日感謝を示すことが出来るかどうか。







風邪で声が全く出なくなった。

声が出ないのは学生の時以来、かなり久しぶり。

のどの調子はイガイガした状態が継続していて、しばらくはこの状況が続くかもしれない。

話そうとする場合は、空気音でコミュニケーションを取ることに。

とはいえ、ここから学べることは無数にあり、その数は半端ない。

一部を書き出してみると、

1.健康があたりまえであることのありがたみ

2.声を出すことが出来ることのありがたみ

3.コミュニケーションを簡単に取ることが出来ることのありがたみ

4.歌えることのありがたみ

5.エアコンに頼りすぎていたことの気付き

6.予定を詰め込みすぎていたことの気付き

7.睡眠時間が少ない日が続いたことの気付き

8.気遣ってくれる人が多いこと、周囲に助けてくれる人が多いことの気付き

9.いざとなった時用の漢方のありがたみ

10.俳優・声優・歌手・youtuberなど声を職業にしている人の、プロ意識を想像することが出来たこと

11.日々無理をしすぎていたことの気付き

12.声が出ないことを新たな気付きに変換できることを話題としたノート作成できたこと



たったひとつ失うものがあるだけで、普段見えていないものが一気に可視化される。

特に目に見えない支えや、自分の身体のほころび、当たり前に存在するものへの再認識など、気付くものが一気に増える。

もしかしたらこの経験によって失ったものよりも、大きなものを得られているのかもしれない。

失ったものがあるとき、どの部分にフォーカスできるかどうかで、そのあとの行動が大きく変わってくる。

失うことで体験的に気が付いたことを、良しと捉えられるだけで、その人の人生は何も失わなかった頃よりも2・3歩先に進むことが出来る。

一方でそのことを不幸と捉えることで、犠牲者になっているだけでは何も進まない。

全てが学びであり、得ることも失うことも学び。

今回と逆に、得ることで失っていることもあるのだろう。

そのことにより明確に気が付くことが出来るようになると、さらに一歩進むことが出来るかもしれない。

どれもこれもがとてもありがたいこと。

声が出ない経験に、あらためて感謝。






とはいえ、早く治さなくては(笑)








ありがとうございました。

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