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イノベーター理論で、ラガードが勝つのも悪くない

イノベーター理論とは何か。

それは、イノベーション、新しい価値が生み出された時にそれがどのように広がっていくのかというもの。

そして人間を5種類に分類して、その人が新価値に対してどのような態度・行動を示すのかを示したもの。

その5種類とは、「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」。

初めはイノベーター本人が新しい価値を生み出して、実践する。

物好きなアーリーアダプターが、それを積極的に取り入れて、広めていく。

出遅れてアーリーマジョリティが新しい価値を導入し始めて、新価値を受け入れるひとが全体の半数程度になる。

その後レイトマジョリティがイノベーション内容が多数派になる流れを感じつつ、消極的に取り入れ始める。

そして最後の最後になっても、ラガードが変化を受け入れないまま取り残される。

この人数の割合が正規分布の中で示されている図はとても有名。

少し調べれば、あちこちに出てくるもの。

そして、いかにアーリーアダプターを増やして、彼らに行動を促すように働きかけることが出来るかどうかが、変革において大切とされている。

そこが上手くいくかいかないか、それが新しい価値が世の中に受け入れられるかどうかの分岐点になる。

他にもアーリーアダプターが受け入れても、アーリーマジョリティに受け入れられない事で先に進まない「キャズム」理論というものもあったりする。

結果として、新しい物事がどのように広がりを見せるかということが何となく理論つけられているようにも見える。

そしてこの説明において、ラガードは変化を受け入れない、イノベーションに対するどうしようもない反対者・頑固者といった印象を受ける。

多数派が移行しても、頑なに過去使ったモノをそのまま使い続ける。

これは世の中がみんなスマホを当たり前に使っている時に、黒電話を使って電話のみで会話をしているが如く。

そのことに対してどちらかというと「ネガティブ」な人の印象を描かれがちであることもあるかも知れない。

変化を受け入れない、偏屈者は放っておくのが最適解。

そんな感じで囚われている節もある。

ただ、本当にそうだと言えるのか。




ラガードに分類される人達、その人はどのようなものなのか。

それは昔ながらの伝統を重んじるような人かもしれない。

変えてはいけないモノを知っていて、それを頑なに守っている人かも知れない。

宗教上の理由や、文化的な信念の文脈の上で受け入れていないだけかもしれない。

単純に技術についていくことができず、知識面で追いつかないから諦めている人かも知れない。

もしかしたら、世の中のトレンドそのものを全く知らない、周りを一切気にしない生き方をする人かもしれない。

ラガードの中でも、様々な状態な人がいるに違いない。

それをひとくくりにして、ネガティブな印象のレッテル貼りをしているような事をたまに説明で受けたりする。

それは健全な状態といえるのだろうか。




イノベーター理論はあくまでも理論として存在しているから、その対象群に優れている・劣っているというものは意図されていないのは当たり前。

とはいえ、イノベーションが礼賛されている世の中においては、イノベーターが素晴らしく、ラガードは良くないという印象に当てはめられがち。

もちろん言葉に対する印象が、強めな言葉で表現されているだけかも知れないが、気がついたら無意識のうちに刷り込まれているものがあるようにも感じる。

しかし、現実世界には変化しなかったために生き残ることができたり、幸せをそのままキープできていたりするというものもある。

新しい考えを受け入れず、過去からの教えや知恵を守ったことで、世の中のゴタゴタに巻き込まれていない人もいる。

車を否定し、電車や飛行機を拒否して、徒歩や自転車のみを使い続ける人。

カード・電子決済やQRコードを拒否し、ニコニコ現金払いを是とする人。

パソコンを受け入れず、インターネットを受け入れず、携帯電話を受け入れず、ましてやSNSやVR・ARや生成AIなどはもってのほか。

西洋医療を否定して薬を飲まず、手術を拒否し、抗がん剤にも反対し、ワクチン接種やiPS細胞を使った医療行為などもってのほか。

その結果として、どのような変化が世の中で起きたとしても、泰然自若としている。

不便をそもそも不便と認識していない。

ある意味真の通った生き方であり、確立されたもの。

その生き方そのものは、それはそれで素晴らしいとされるべきなのではなかろうか。

何でもかんでも変えることが正義であり、イノベーターを礼賛すること、新技術や考え方を受け入れないのが悪いとし過ぎている節があるようにも感じる。

もちろん、変化を受け入れるもの受け入れないのも、そもそも良い悪いはないかもしれない。

あくまでもその世の中における最適解を、個人が選んでいることにすぎない。

ただ、変化に対する態度において、偏ったままバランスの崩れた状態なのはどうなのか。

特に何でもかんでもイノベーションの名の下に変えるのが正義としてしまう風潮、少し危険な気もする。

イノベーター理論において、実は変化を拒否したラガードが最善選択で結果的に勝つこと、たまにはあってもいいのではなかろうか。




ありがとうございました。

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