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お金から開放された社会へ

日々の生活に色々とお金がかかる。

食事から家賃、移動代やちょっとしたサービス含めてありとあらゆるものにお金がかかる。

お金はいくらあっても足りない、なくなったら不安だという思考が、どこまでも心にこびりついている。

完全にお金という足かせによって、行動が制限されているようにも感じる。

そしてそのお金の移動や資産に対して、さらに税金もかかる。

そしてここ最近は税金が高いということについては、多くの人が感じること。

消費税に始まり、所得税・法人税・住民税など普段から何らかの形で見るものがある。

他にも固定資産税や相続税など、ある条件においてどさっと発生するものもある。

特定の税金対象物としてはガソリン税やゴルフ税やたばこ税、自動車税、酒税など、取れるものからたくさん取っていくというのも特徴がある。

さらに形を変えた社会保険料など含めて、かなり多くの額が常に色々なところから抜かれている。

もちろんこれらは有効活用されていて、気が付かないところに還元されているということもあるかもしれない。

道路の補修や公共施設の整備、多くの人の補助の元に成り立っているものも沢山あるように感じる。

とはいえ、その恩恵を感じにくい、ただひたすら取られ続けるということであれば、払いたくなくなるのもとてもよくわかる。

大きなトレンドとしては税金はどこまでも上がって行き、ますます生活は苦しくなる。

そこからいかに逃れられるかということについて、節税対策に全力を注ぐ人もいる。

税金はもとより、お金によってどこまでも縛られる状態にうんざりしている人もいるのかもしれない。

その場合は、どんな形にせよFIRE状態というお金から解放される状態になる環境が憧れになるに違いない。

とはいえ、今の日本もしくは地球上にお金から解放される環境は本当にあるのだろうか。

あらゆるものに値札が貼られて、お金との交換が当たり前になっている社会ではない社会。

実は意外なところにヒントがあったりする。














地方には今でも残る独特の文化がある。

お金を必要としない、いわゆる「おすそわけ」の文化。

野菜取れすぎたから、あげます。

夕食作りすぎたのであげます。

この炊飯器使わなくなったから、あげます。

お世話になったついでに、壊れているものを少し直してあげます。

うちの子供ふくめて、子供の面倒をまとめてみておいてあげる。

そこに実っている果物、勝手に取って行っていいよ。

魚の取り方を教えてあげる。

このような風景は、地方であれば当たり前のように機能しているところがある。

特に人間関係が濃い集落ほど、この傾向が強いように感じる。

ここではそれぞれのサービスについて、金銭的なサービスは生まれていない。

つまり金銭が全く動いていない中で、あらゆるものが提供されている空間。

金銭が動かないので、そもそも税金について発生しようがない。

ここでは目に見えない「信頼」という通貨がやりとりされている。

これはある意味究極の節約方法でもあり、搾取から逃れる方法ということでもあるかもしれない。

お金という指標が生活から抜け落ちている空間、もしかしたらそのような空間のほうが幸せに過ごせる人が多いのかもしれない。













もちろん細かいところや本当に必要な所では金銭のやり取りは何らかの形で発生するかもしれない。

その空間では得られないサービスもあるのかもしれない。

でも、お金が動く絶対量が少なく、結果として必要なものがほとんどが手に入っている状態になるかもしれない。

これならば、平均の年収がかなり少ない状態であっても、生きていくには十分に暮らせる。

そして、そのほうが幸福である人も多いのかもしれない。

金銭の多寡と幸福の関係が成立していない社会、それは信頼という目に見えない資産で溢れている社会。

そんな社会が当たり前になったら、世の中の価値観や面白さは、また次の段階に進んでいくのではないだろうか。

今のような利権や不正にまみれた状態は、元は金銭という指標があるからこそ。

その指標が「信頼」に変わった瞬間に、大きく変わってくる。

金銭が指標となる時代の終了。

これこそがある意味での「グレートリセット」完了という状態になるのではないのだろうか。













ありがとうございました。

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