表彰は「他者のものさし」で高く評価されたものに過ぎない
表彰式において、お立ち台にて色々な表情を見かける。
3位であってもとても満足な顔をしている人もいれば、1位であってもそこまで嬉しくないという人もいる。
2位であるとかなり悔しい表情を見せる人も多くいるように感じることもある。
お立ち台以外、それ以外の場、会社や学校で何らかの成果を残し表彰を得ることがあるかもしれないが、それについても賞を受け取る人の表情・感情は様々。
とても嬉しそうな人もいれば、全く満足できないぶすっとした表情の人もいる。
これらの差というものは何なのか。
そして、どのような状態であれば本当の意味で満足を得られるのか。
そこにおいて、まずは前提としてとても大切なことがある。
それは、表彰はあくまでも「他者のものさし」で高く評価されたものであるという事。
他者が作り上げる評価軸というもの、それは個人が持っている評価軸とはまた別の次元に存在しているもの。
特に大会の中でも、審査員による評価要素が大きいものについては、複数の他人軸が均される形となって評価が決まる。
そのため、本人がものすごく満足していたりしても、他者の評価が今一つである場合は決して評価されることはない。
一方で本人が全く満足しないレベルの物であったとしても、他者特に審査員の評価が抜群に高い場合は、ものすごい評価になる。
そして本人を満足させるのは、あくまでも自分が持っている軸というものがとても大きな要素。
だからこそ、まずは自分自身の軸に照らし合わせたときに満足できることをすることが何よりも重要。
これはとても当たり前のものかもしれないが、本当に満足する経験をするためには、まずは自分の軸を確実に満足させておかないといけない。
自分の軸をないがしろに、他者の評価ばかりを追い求めている場合は、ある意味幸せになりにくいかもしれない。
もちろん、他者に評価されるというものが自分の軸になっている場合はいいかもしれないが、その場合は全てが他者依存になってしまう。
自分で軸を決められず、軸の評価は常に世間の雰囲気によっていくらも揺れ動くことから、満足させるための軸を達成させることはかなり難易度が高いように感じる。
もちろん最も理想で素晴らしい状態は、表彰による他者軸と自分自身の軸が完全一致していること。
自分の世界観と、他者の世界観が完全に一致している状態。
そうなれば間違いなく表彰されることは、表彰される人にとってものすごい満足感を生み出す。
ただ、本当にそのような場面というものはほぼないといっても過言でもない。
一人に一つ宇宙があるという状態であり、あくまでも他者は別の宇宙。
なぜなら他人の軸と自分の軸、他人の世界観と自分の世界観、これは完全に一致することはそもそも生きて経験してきた内容が異なる地点で現象としてありえないのだから。
表彰はあくまでも「他者のものさし」が基準。
だから、時と場合によっては全く気にする必要はない。
一方で、「自分のものさし」については、しっかりと認識し、それに対して忠実であることが出来ているかどうかはとても大切なこと。
他者軸の表彰をもし得られなくても、まずは自分自身の評価軸で最高のパフォーマンスを常に発揮・提供出来ているか。
その積み重ねが出来ているか否かは、人生の満足度に大きな影響を及ぼす。
今この瞬間自分の軸において、表彰を上げることが出来るにふさわしいプロセス・成果を残すことが出来ているか。
その分野の自分が持つ軸において本当に満足しているのか。
時には問い直してみるのもいいかもしれない。
ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?