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大切なことだけに集中し、無駄なことに時間と脳のリソースを奪わせない

アテンションエコノミーと言われて久しい現代。

どのようなものに時間を割くのかということが、ここまで多様になった時代も過去にはない気がする。

白黒テレビが出始めたころは、多くの人がそのとりこになった。

巨人・大鵬・卵焼きのように、特定の対象に対して人気が殺到した。

猫も杓子もスキーに行っていた時代があった。

高速道路の渋滞は激しく、スキー場によっては全くたどり着かない場所もあった。

社会的なステータスとして目指す先についても、しっかりとしたモデルが存在していた。

20代で結婚して、車をもって家を買って、保険もしっかり入って一人前という常識が当たり前になっていた。

そしてハイグレードになるとさらに軽井沢に別荘を持ち、ハワイに旅行すること、それがあこがれの対象でありステータスになったこともあった。

このように大衆のうちほとんどの人が基本的に同じような考えを持つようになっていた。

目指す方向や興味そのものがしっかりと作られて、うまく誘導されていた時代。

ある意味これはこれで幸せだったかもしれない。












現代はどうなのか。

様々なコンテンツが流行り、年齢層や触れる情報によってもはや興味の対象は全く異なる。

そのため、世代がわずかに違うだけで、触れる情報の種類が異なるだけで、全く話が通じなくなる。

二極化どころか、多極化がどこまでも進んでいる状態。

その中でもコンテンツとして選んでもらうために、より優れたものを生み出すことが出来るかどうかが勝負所。

現代の価値は、それは多くの人の脳を支配して、時間を割いてもらうようにコントロールすること。

多様なコンテンツが乱立する中で、脳のリソースを奪い合う戦いが常に発生している。

無名であっても一度注目されてバズれば、一気に有名になれる。

一方今まで人気だった当たり前のコンテンツは、他の興味のほうにさらにアテンションを奪われていく。

結果として、興味をいかに引くか、より過激に注目されるかどうかだけが評価されるようになってきているに違いない。

その結果、炎上歓迎、アンチは養分、バズれば勝ちのようになってきている。

この過激化はSNSが続く限り、注目されることが価値になる限りは続いていくに違いない。

過激なものが溢れて、それぞれに個人の脳がハックされていては、非常に脳のリソースが無駄に割かれて疲れてしまう。

あっちに注目したと思ったら、こっちのことにはまってしまうというのは、気が付いていないだけでかなり集中力が落ちてしまう状態。

過激なコンテンツに注目が続いている限り、一日は一瞬で終わってしまう。

それどころか色々なものに振り回され続けた結果、一瞬で人生が過ぎ去ってしまう。

それも気が付かないうちに。











ではどうしていけばいのか。

個人にとってどのような状態が現代のアテンションエコノミーにおいて本当に幸せなのか。

それは、個人にとって本当に大事なことだけに集中すること。

自分の本当に集中したいことに時間と脳のリソースを投入すること。

逆を言えば、集中したいこと以外の全てを断捨離そしてシンプルにすること。

必要なもの以外を完全に無視して、関心から外す設計に自分でいかにコントロールするか。

その部分にいかにコストをかけられるか。

動画の広告が入らないようにすること一つであっても、とても重要なこと。

テレビに時間を割かないことも、とても必要なこと。

持っている物を減らすことも、とても必要なこと。

あちこちに散っている銀行の口座や、保険やクレジットカード、使うものを出来るだけ絞ってシンプルにすることも大切なこと。

ちょっとしたおこずかい稼ぎのためにあれこれ登録してポイントをもらうようにメールを登録してしまうことは、もしそれが本当の目的に沿っていない場合は大きな集中力のロスになることを知っておくこと。

出来るだけ多くのものを手放してシンプルにすること、それが出来るか否かで色々な物事の充実度が変わってくる。

まだまだ身の回りに無駄が溢れ続けている。

その無駄をいかにそぎ落とすことが出来るかが勝負な気がする。

あなたはどこまで自分をシンプルにできますか。












ありがとうございました。

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