自身の思考が何によって構成されたのか棚卸する意義について
自分は自分である。
他の何者でもない。
自身の人生における選択は、自分で判断したもの。
しっかりと選んだ結果として、今この瞬間にここに存在している。
ただ、本当に自身の思考は自分だけのものなのか。
実際のところ、その思考は外部によって作られたもの。
環境に依存して身に着けたもの。
選択をすることについても、すべての過去や条件によって身に着けられた思考や在り方そのものが判断を下すもの。
本当の意味での0ベースで生み出されたオリジナルの思考というものは、ほぼ存在しないといってもいいのかもしれない。
自身を構成するものは、何によって作られたのか。
その部分をいかに把握できるかどうかは、とても重要なこと。
外部環境から得られた知識はもちろんのこと、実際にその時代のこの場に放り出された経験についてであっても、多くはその時代と環境に依存するもの。
少しでも生まれた環境や育った環境が異なった場合、そもそも今の自分というものは構成されていない。
別の自分というものが自分として判断し、経験をして生きているに違いない。
その面においては、構成されたベースとなるものは外部の全てかもしれないが、その組み合わせそのものはその人独自のオリジナリティがあるのかもしれない。
自分自身を構成するもの。
目に見えない分野としては、その考えや思考のほかに、経験などもある。
目に見える部分としては、まさに身体を構成しているものと5感を通しての経験。
それらがどのようにお互いに機能して今の自分自身を構築しているのか。
そしてそれらがどのような時にどのような判断に影響を及ぼすのか。
これを把握することは、その人自身の思い込みを客観的に捉えられるようにするという面でも役に立つ。
トラウマと呼ばれる現象や、それに依存した行動というものがもしそのものが過去に依存するものだとするなら、その過去の経験の解釈を変更することや、忘却を行う事によって、変化させることは可能。
重いと思う事については、軽い物事と捉えることが出来ることによって、心の負担がとても軽くなる。
その結果として、様々な思考を自由にさせることや、行動をどこまでも広げることもできるかもしれない。
自分自身を縛っているのは、あくまでも自分自身の思考。
その呪縛を解き放つため、より自由に行動することをするために、まずは自分自身が何によって構成されているのかを見極められるかどうかがとても重要。
自分自身の潜在意識部分が何なのか問うことを見える化して自由に塗り替える・操ることについて誰もが出来るようになれば、その人は何者にでもなれるのかもしれない。
ありがとうございました。
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