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過剰解釈による影響について

言葉狩りが激しい。

句読点すら、ハラスメントになる時代。

わずかに発した言葉が、致命傷になる。

本人の意図しない方向に、勝手に解釈がなされていく。

文章の間を読もうとして、明後日の方向に。

そして、SNSで大拡散されてしまい、拡散された情報が真実として世の中の常識になる。

レッテル貼りがあちこちで生まれて、発した本人が追い込まれていく。

そして本人は気が付かぬ間に言論統制によって、発言できなくなる。

本人の文章を、背景や文脈から読み取らないこと、読解力・国語力の低下や意図的な切り取りが多すぎる。

この状態でまともに議論することは、おそらく叶わない。

発信すること一つ一つが、かなり大きなリスクに晒されている。





文章の過剰解釈による影響、それはまともな議論を許さないこと。

前提とされるものがそもそも間違っていては、いくら論理的に構成される結論があってもそれは誤りである可能性が高い。

そして、誤った結論という誤った前提がさらに生まれることで、ますますおかしな方向に進んでいく。

実質何も進んでいないとの同じこと。

議論に投資された時間が全て空虚なことになる。




過剰解釈によって、どこまでも不安になる事があるかもしれない。

想像が更なる想像を呼び、もはや止まらない。

地に足がついていないため、完全に現実から離れてしまう。

そして現実から離れていることに本人は気が付かず、想像したものが現実だと解釈する。

助けようとする人が周りにいても、それに縋る事ができず、さらに心が暴走していく。

過剰解釈による心の暴走は恐ろしいもの。





過剰解釈によって、根も葉もない噂が広がる。

そしてそこから不信感が拡大する。

不信が更なる不信を呼び、混乱状態に陥る。

混乱から暴動、暴走、衝突、争いに発展する。

多くの人が傷ついたり、不幸な目に遭ったりする。

国同士の争い、国民同士の争いが加速していく。






様々な場面で過剰解釈が生まれる時代。

その中でまともに建設的に議論できる仲間やコミュニティがあるのは、とてもありがたいこと。

会社がそのようなメンバーで構成されていれば、大いに発展する見込みがある。

まともに文脈を理解して、正確に伝える。

言葉がしっかりと通じ合う友人や仲間、過剰解釈の影響がないコミュニティ、それをしっかりと持っているかどうかが大きく問われる。

真の無形財産としてのコミュニティ、それを持てている人こそ、本当に幸せな人であるに違いない。







ありがとうございました。

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