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ハレとケのギャップこそが大切

毎日の生活が地味で平凡。

何も変わらないというこのとを嘆く人がいる。

そんな人は輝いている忙しい人に憧れる。

一方で毎日が輝きに満ちていて、てんてこまいという人もいる。

常に動いていて落ち着く暇がない。

そんな人はのんびりとした生活に憧れる。

平凡で地味な生活、忙しくて追われている生活、お互いにないものを持っていて憧れ合うことがあるに違いない。

どちらかというと平凡で地味な毎日を過ごしている人が、輝いている人に憧れることが多いかもしれない。

輝いている人は、毎日人生を楽しんでいるように見えて羨ましい。

どうにかして、もっと人生を輝き続けられるようにしてみたい。

もちろんこのように思い立ってもちろん毎日を忙しくして輝いている人生を目指すのもよい。

とはいえ、実はより効果的に人生を楽しむのにはもっといい方法がある。

それはハレ(非日常)とケ(日常)をとことんギャップを持たせること。

つまり、変化・振れ幅が大きい状態を生み出すということ。




毎日がたとえ地味であったとしても、お祭りの時だけとても盛り上がるということは実はとても素晴らしいこと。

それは日常と非日常のギャップという大きな変化によって、お祭りの効果を最大限に高めることが出来る。

周囲から見たら普通のお祭りであったとしても、日常のギャップが大きければ大きいほど体感できる楽しさは何倍にもある。

一方で毎日が忙しくてどうしようもない日々に追われているなら、休養となる一日はものすごい価値になる。

全く休めないストレスフルな環境から、一気に安らぎという非日常を経験する。

それは特別な瞬間であり、待ち望んでいた時間であり、本当に心が安らぐ瞬間。

このように、その人にとっての日常と非日常のギャップをいかに大きく出来るかどうか、それこそがとても重要であるように感じる。




本当に贅沢をしたいのならば、毎日が高級料理である必要は無く、逆に通常の日をいかに質素にできるかが重要。

本当に最高の休憩を味わいたいのならば、毎日を忙しくしてこそ。

ギャップの大きさがそのままハレという非日常側の価値をものすごく高める。

それを昔の人は知っているからこそ、ハレとケを明確に持っていた。

現代ではどちらかといえば毎日がハレという人がとても輝いているように見える。

とくにSNSでのキラキラした場面を表に出していることが目立つからこそ、そう感じやすいのかもしれない。

しかしながら、実は本当に幸せを感じる可能性を秘めている人というのは、日常のケをしっかりと生活していること。

それはいわゆる巷にあふれる、多くの一般人の当たり前の生活。

当たり前の毎日を大切にしてこそ、本当の楽しみの瞬間はかけがえのないものになる。

そして時々やってくる非日常には、想像以上の設定をどこまでできるか。

ハレの瞬間を類を見ないくらい思いっきり豪華にすること、そこに集中投資する生き方をすること。

実はそのほうが毎日が輝いて見える人の何倍もの幸せを実感・体感できるに違いない。




ありがとうございました。

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