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まずは解釈を排して、事実だけを見ていく

物事に対して、事実と解釈が混在していることがよくある。

そもそもこの2つを区別することが出来ていないと、「それってあなたの感想ですよね」という状態に陥りがち。

だからこそ、しっかりと物事のうち事実とそうでないものをしっかりと切り分けることは重要。

そして多くの混乱の原因となることは、解釈が上乗せされた事実であるように感じる。

事実のように思えて事実ではない状態を、あたかも事実のように扱って認識してしまう。

そのことによる勘違いが世の中にはびこっているような気がする。





例えばある人が100万円を持っていたとする。

100万円存在していることは事実であっても、それを大金と考えるか、大したことがないと考えるかは、認識する人の価値観次第。

子供の頃に聞いた100万円は、何でもできる夢のあふれる金額のように感じる。

それが大人になってみると、100万円は意外と身近に存在するくらいの価値になる。

もちろん年収が300万円で保有する財産が10万円に満たない人からしたら、100万円はとてつもない大金。

一方で年収1億円を超える人にしたら、100万円はとても小さい。

そして時代によっても全く見え方が異なるものであり、明治時代の100万円といったらとんでもない額にあたる。

同じ100万円というものに対して、時代や人や環境や価値観によって、その価値は大きく異なる。

このように100万円ということが意味すること、事実は「100万円」ということに過ぎないが、それに対する解釈だけでも無数に成り立つ。




お金の金額だけならまだしも、当たり前のように一つの事実に対して色々な解釈が付けられてしまうことがある。

例えばあるところで殺人事件がおきて、そのことに対して様々な解釈が発生する。

誰がどのような恨みを買ったのか、そしてその動機やアリバイがどうであったのか。

金銭トラブルなのか、恋愛のもつれなのか、それとも全く別の原因なのか。

探偵や警察、第3者などを含めた様々な解釈を各自が物証をベースに、物語を組み立てていく。

そして実はその犯人と思った人は犯人ではなく、別の人物が全く別の動機で偶然に実行した結果としての事件かもしれない。

あるいはもしかしたらその人は死んだかのように扱われているが、実際には身代わりが死んでいるだけに過ぎないこともある。

時にはその犯人とされるものが存在しないこともあるかもしれない。

まさにミステリーで楽しむのは、事実をベースとしてそこからやってくる様々な解釈をたのしむもの。

そして、その物語の中に扱われているものとしての事実の割合は、実は思っているよりも圧倒的に少ないことが多い。

それだけ、多くの解釈の中に事実が埋もれているという事。




事実は一つ。

しかし解釈は認識する人の数だけ、もしくはそれ以上存在する。

だからこそ、まずは解釈をせずに事実だけを捉えるようにする。

ありのまま、あるがままを見る。

その事実に対して、まずはフラットであること。

世の中のどのようなニュースであっても、まずは「事実」のみをしっかりと抽出する。

ふと気が付くとストレスがたまるような話題にたいしても、まずは「事実」をしっかりと認識する。

そしてそこに色を付けて自由に解釈するのは、まずは事実をしっかりと事実として認識してから。

その習慣をつけられるかどうかによって、物事の本質を捉えられるかどうかが変わってくるに違いない。

そしてそこで得られた習慣は、周囲との大きな差を生み出すに違いない。




ありがとうございました。

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