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人類と人工知能、仕事について。

最近、人類の労働の一部を人工知能が引き受けるようになってきた。
人工知能やシステムは特別なエラーや障害をのぞけば24時間稼働することができる。

「人間の仕事を奪う」という表現をよく見かける。少し穏やかな物言いではない。
それは「労働と賃金の関係性」が背後にあって「人工知能のせいで稼げなくなる」ということが関係しているのかもしれない。

まず、知識労働者の仕事の特定部分を人工知能が引き受けることができるようになりそうだ。
人間の仕事を「奪う」という表現は、学者や研究者などからも聞こえてくるように思える。
それを書いて思ったが、肉体労働などの仕事も自動化などで、仕事が「奪われるのではないか」という声もあったのを思い出した。

「人類と人工知能の対立」のような発想を軸にして考える時に発生する焦燥感は理解できないとは言わない。けれど、自分の考え方は少し楽観的だ。「人類と人工知能が調和するような形式」を想起しているから。

人工知能やロボットとの協業体制や。賃金の分配方法などのレギュレーションやデザイン次第で事物は良い方向に向かうと思っている。
例えば、自分は「週休3日制」がメジャーになるような世の中にシフトしていけば良いと思っている。
これは自分の模索中の案件だが、もう少し人工知能が人類との関係性が安定してくれば「人工知能に借金をしてもらう」方式で貧富の格差や経済問題の解決を図ることもできる、と考えていたりする。

時代は専門性の分化と進化が進んで仕事しながらも学習する時間の確保も必要だ。
また、人工知能との協業や副業の流行などもあって「仕事時間と自分時間」の境界線はより不明瞭になっていくだろう。

「人類と人工知能双方にとって快適なバランス、均衡点はどこか」を模索することが関係各位誰にとっても必要で、それが誰にでも受け入れられるものでなくてはならない。

先進国は、実験的にだが、あまり報道しない間に色々な取り組みを進めている。
ヨーロッパや中国の一部ケースでは「人工知能同士がビジネスを成約させる」などという現象や、
「特定技術に特化した人工知能が新しいビジネスモデルを創出し採用される」という出来事も起きているみたいた。

ヨーロッパの「デジタル税」なんかを聞くと「あー、進んでるけど、大丈夫かなぁ」と思う。

世界的に文化や風習の違いはあるけれども「人工知能と人類の在り方」については、共通認識を模索されなくてはいけない段階にきているなぁ、と思う。

ちょっと話題を変えよう。

グローバルベーシックインカムの議論もここ最近、よく聞かれるようになった。
自分はそれを聞く度に「グローバルタックスランニング」について考えることが多い。
今は租税回避地などがあるから、自分以外に誰もこれを発言する人はみかけない。

現在のグローバルベーシックインカムの取り組みは一部地域などが限定的に取り組んでいるみたいで、それも地域差や将来的に発生する問題を今のうちから考えておかないといけないと思う。

さて、話が紆余曲折してしまった。

我々の現実世界は、シュミレーションによってその選択肢をどのように現実世界に適用するか、という
聞こえは悪くないのだが、人によっては窮屈だったり、「自由意志の存在が無いのでは…?」と思ってしまうような、そのような手法で社会は発展している傾向にある。
(自由意志と運命については、また今度別の機会にお話できればと思う)

人工知能と人類の関係性が、誰にとっても受け入れられる良いものになるように今日も研究を続けます。

読んでくださってありがとうございます。

良い一日をお過ごしください。

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