良いコンテンツを追っていくと法律に当たる。おもしろ判例と芸人裁判。
先週まで、7本に及ぶ「昨年、精神を最もすり減らしたあの事件の話」シリーズを合計9万文字ほど書いた。
こちらのシリーズがめちゃくちゃ好評でバカ売れしたので、商売人としては笑いが止まらない状況だ。近々「noteで月100万円稼ぐ方法」みたいな情報商材を書いて売り始めようと思う。(中身は当然、「こんな悲惨な事件に巻き込まれ、それを十分な筆力と観察眼で情感たっぷりに書くといいですよ」である。再現性があるとは言ってない)
ただ、さすがに少し書き疲れてしまった。いくら儲かったとはいえ、7週連続で気合いの入った実録モノ(しかも実体験なので思い出すと精神的ダメージがある)を書くと、ヘトヘトになってしまう。
スタートアップ界隈の格言に「売上はすべてを癒す」というのがある。どんなに大変なことがあっても、売上さえちゃんと出ていればスタートアップは走り抜けられる、ということだろう。
作家はそうではない。いくら売上が上がっていても、疲れるものは疲れるのだ。少なくとも今週は、ヘビーな実体験について書きたくはない。
近々書きたいと思っているnoteネタとして、「あまりにも話が通じなくて気が狂いそうだったクライアントの話」とか「急に思い出した、地獄みたいなブロガー界隈の思い出」とかがあるけれど、これは来週以降にして、今週は僕の実体験から離れた記事を書きたいと思う。
アリストテレスは『詩学』の中で、あらゆる創作を「悲劇」と「喜劇」に分類しており、喜劇の要素として「滑稽」を挙げている。そして、滑稽はこう説明される。
悲劇は人の心に苦痛を与えるが、喜劇(滑稽)は、「苦痛もあたえず、危害も加えない」のである。僕たちはときにそういう気軽なコンテンツを必要とするものだ。見る側としても、作る側としても。
だから、今日はそんなつもりで書こうと思う。軽率に、自分の思っていることを詰め合わせたい。
最近やった仕事とか、読んだ本とか、感心したコンテンツとかの話をしよう。苦痛もあたえず、危害も加えない記事を書こう。今週ぐらいはそういう箸休めがあってもいいだろう。来週はまた地獄みたいな記事になるだろうから。
初めて書評の仕事をやった
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