保険としてのパートナーシップと、結婚のポートフォリオ最適化問題
「40近くなるともう、パートナーシップの目的はプラスを作ることじゃないんですよ」
10ほど歳の離れた編集者はそう言った。見た目に反してさほど辛くない羊肉の串焼きをビールで流し込みながら、僕は彼女の主張が飲み込めずにいた。
「次回作の打ち合わせと祝杯を兼ねて、飲みに行きませんか?」
担当編集者からそんなメールが来た時、素直に嬉しかった。今月発売になる処女作の予約が上々で、5000部の予定だった初版が1万部まで積み増された。更に、増刷も社内で検討中だという。実に光栄なことだ。(予約してくださった皆様、本当にありがとうございます)
二つ返事で「行きましょう!」と回答するメールを送った。積み上がった仕事の山からは目を逸らして、とにかく祝杯を上げに行く。たまにハレの日がないと、繰り返すケの日をやっていけないから。
彼女が予約してくれた店は、池袋北口にほど近い中華料理店だった。中国語で書かれたメニューは文字情報を理解できず、写真で選んで注文した。池袋にはこういう店がたくさんある。この界隈に引っ越してからというもの、会食が中華だらけになった。
「自分が担当した書籍がこんなに順調にいったの、初めてかもしれません」
彼女は最初にそう言った。半分はお世辞だと思うけれど、もう半分は本音な気がした。ありがとうございます、とお礼を言いながら、乾杯。冬のグラスは高い音を立てる。
簡単に近況を話したり、書店の反応を聞いたり、今後の戦略について話したり……といったマトモな話は30分ほどで影も形もなくなった。酒が回ってくるにつれてお互いが喋りたいことを喋り倒すようになり、熱狂的に好きな漫画や、創作に携わるものの職業倫理や、挙句の果てに「人はいかにして歳を重ねるべきか」といった人生観について話し始めていた。酔っぱらいは無謀にも、大仰なテーマに挑戦するものだ。
その一貫で、結婚の話になった。僕はちょうどその日の昼に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』を読んだところだったので、興奮が冷めないままに語り始めた。
「この本を読んでると、家庭を持ちたいなと強く思いますね。煩わしいことは見るからに多いんだけど、それ以上に美しく楽しい家族の生活がある」
「分かります。彼らの家庭は、異文化がスタート地点になってるのが良いんでしょうね。"対話しなければ何も分かり合えない"という前提があるから、すごく良い対話が生まれる」
「本当にそうですね。今日の昼もそこに感動しっぱなしでした」
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、一昨年、めちゃくちゃに売れたエッセイである。
日本人の母(著者)と、イギリス人の父の間に生まれた息子が、人種差別渦巻く荒れた公立中学で何度も壁にぶち当たりながら成長していく様子を描いている。
聡明で素直な息子が、「多様性って良いことなんじゃないの?学校ではそう習ったけれど、皆多様性を嫌っているように見える」などと本質的な疑問をぶつけ、親である著者もそれに精一杯答えている。著者も正解は持ち合わせていないけれど、懸命に対話を重ねていく。
少年の生活は、大人よりもずっと目まぐるしい。対話の中で出た暫定解を活かして、彼はとにかく何度も壁に挑んでいく。何度も打ちのめされるけれど、そのたびに立ち上がって、それなりの落とし所を見つけていく。ひたむきな彼の様子と、それを描く著者の筆の超絶技巧が、読者の心を打つ傑作だ。
あまりにも良かったので、僕も読んだ直後に、怒涛の長文レビューを書いてしまった。
そして、最近続刊が出た。僕が読んだのは、ちょうどこの中華料理店に行く直前だった。読んだばかりの本の話をする時は、熱が籠もる。
「著者の親子関係は本当に素敵だなと思います。パターナリズムから程遠くて、子どもの意見を尊重している。子どもに教えることよりも学ぶことの方が多いという姿勢は、あらゆるパートナーシップに敷衍できる原則だなと。そういうものを築けた方が人生は楽しい」
「堀元さんがそう言うの、意外ですね。もっとドライじゃなかった?」
「前はもっとドライだったんですけどね」
「最近は良いパートナーシップを求めてる?」
「そうですね。1人だと煩わしさがゼロだけれど、成果も100点までしか出ないですから。誰かと一緒だと煩わしさが爆増するけど、120点の成果が出るなら素敵なことだな、と」
「昔はそう思ってなかったんですか?」
「大体のパートナーシップってマイナスに終わると思うんですよ。仕事でも恋愛でも家庭でも。煩わしさだけがずいぶん増えて、成果は60点しか出なかった……みたいな経験が多くて。だったら期待値がひどく悪いな、と思ってました」
「マイナスのパートナーシップ……。面白いですね。たしかにそうかも。お互い遠慮しまくって足の引っ張り合いみたいになったり、ディスコミュニケーションで無意味にイライラしたり、失敗事例は枚挙にいとまがないですよね」
「ただまあ、歳を重ねるうちに人生が上手くなってきたというか、プラスのパートナーシップを築ける確率がずいぶん上がってきたという感覚はあるんですよ。仕事の話だと、今年はホントに色々な人に助けられて良い成果が出せたなと思ってます。今回の本もそうですけど」
「なるほど……。その話はめちゃくちゃよく分かるんですけど、それは20代とか30代特有の考え方かもしれません。40近くなってくると、"プラスのパートナーシップを目指す"とはまた違う価値観が支配的になってくると思いますよ」
「というと?」
「40近くなるともう、パートナーシップの目的はプラスを作ることじゃないんですよ」
彼女は、そこで一拍おいた。
「一人ではどうしようもないことを分かち合うために、パートナーシップがあるんです」
金曜の夜の中華料理店では、多様な人々が気兼ねなく酒を飲んでいた。座敷を占領している常連風のサラリーマンたちは大笑いしながら馬鹿話に花を咲かせていたし、観光気分を楽しみに来たであろう女子大生たちは、嬌声を上げながら鯉が丸々一匹入った鍋を楽しそうにつついていた。
「たとえば、親が亡くなるとか、自分が重い病気になるとか、笑えないライフイベントが増えるワケですよ。歳を取ると」
「そうですね」
「絶望を一人で越えようとするのってあまりにも厳しいじゃないですか。だから、誰かと分かち合いたくなる。プラスなんて産まなくていいし、何ならデフォルトがマイナスでもいいから、絶望した時に底に沈まないためのパートナーシップというのもあると思います。この歳になるとむしろその方が支配的になるかもしれません」
面白い議論だ、と思った。
僕はプラスとマイナスの二元論で考えていたけれど、彼女は新しい軸を提示してきた。いわば「保険としてのパートナーシップ」である。
生命保険とか自動車保険とかを、期待値で論ずるのは馬鹿げている。期待値がマイナスなのは分かりきっているからだ。保険会社は従業員の給与や株主への配当やその他様々な諸経費を差っ引いても利益が出るように保険商品の料金を設定しているワケで、期待値はマイナス以外はありえない。
それでも、保険商品は売れる。万が一のリスクが自分に降りかかった時、壊滅的な打撃を受けたくないからだ。期待値はマイナスだったとしても、万が一の事態に備えられることには大きなメリットがある。
僕はパートナーシップのことを、株式とか投資信託みたいな金融商品だと捉えていた。存在意義は利回りの期待値であり、期待値がマイナスになるのならば買う選択肢は絶対にない。
だけど、彼女の主張を鑑みると、保険として捉えることもできるのかもしれない。期待値はマイナスでも構わない。利回りを期待して保険商品を買う人はいない。
「そうか……。面白いですね。全く新しいパートナーシップ像を提案された気がします」
「私もこれを実感するようになったのは最近ですけど、同年代か年上の人では、かなり多くの人がこういう捉え方をしていると思います」
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